『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

久野宗能(くのむねよし)

2017-01-10 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
久野宗能(くのむねよし)

〔現代仮名遣い〕くのむねよし

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


三郎左衛門。徳川家康の老臣。

1568年徳川家康が遠江攻略の時今川氏に

属して久野城を守っていたが、家康の臣

高力清長が、宗能が帰依している可睡斎

を通じ降参をすすめたのに従い家康に降伏

した。叔父宗益は今川氏真に誘われ、家康

を謀計にかけようと宗能を説得したが、

宗能は拒否。合戦に及んだが、家康の救援

によって宗能方は勝利を得ることができた。


1581年3月の高天神城攻めで首級1をあげる。

1590年徳川家康の関東入封のとき、下総

佐倉で一万三千石を与えられた。

1603年久野に復帰し八千五百石。

1609年死去。


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