『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

百里の後を追い、二子の昔ならんと欲す

2015-08-24 20:20:38 | 源平盛衰記の蔵:故事・逸話篇
百里の後を追い、二子の昔ならんと欲す
(ひゃくりのあとをおい、にしのむかし
ならんとほっす)


「百里」とは、秦の政治家百里奚のこと。以前は

貧窮し乞食をしていた。「二子」とは周の賢人伯夷・

叔斉兄弟のこと。「伯夷・叔斉」は、周の武王が

殷の悪王紂を討つ時、『暴を攻めるに暴をもって

なすは非なり』と諌めたが、武王からは聞き入れ

られず、「周の食をとらず」と言って去り、首陽山

にこもり蕨を食し、ついに餓死したという。

 ※物事の道理を糺すために困窮に耐える生活

  について中国故事の引用をしたもの。


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