『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

玉越三十郎(たまごしさんじふらう)

2018-02-16 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
玉越三十郎(たまごしさんじふらう)

〔現代仮名遣い〕たまごしさんじゅうろう


尾張の具足屋。

1572年12月武田信玄が駿河に進攻してきたとき、

    丁度桶狭間主従六騎がけの長谷川橋介・

    佐脇藤八良之・山口飛騨守・加藤弥三郎

    の四人衆(岩室長門守は1562年6月於久

    地の戦いで討ち死に)の見舞いにきてお

    り、四人が信玄に攻めかかり討ち死にす

    るつもりであることを聞き、身方が原の

    軍に参戦し討ち死に。


 ※具足を造って売る立場でありながら、買い手

  の心根に打たれ、軍に一緒に立ち向かい三

  方ヶ原で討死するという・・このようなピュア

  な心の持ち主こそドラマの主役にすべきな

  のに、現代のTVドラマディレクターやプロデ

  ューサーの勉強不足はなげかわしい。


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