『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

寺田善右衛門(てらだぜんうゑもん)

2018-04-23 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
寺田善右衛門(てらだぜんうゑもん)

〔現代仮名遣い〕てらだぜんえもん


不詳。

1577年12月信長が信忠に十一種の名物茶道具を

    譲り渡す時、まず八点を寺田を使いとし

    て渡し、翌日三点を宮内卿法印を使いと

    して渡した。

1581年7月信長は寺田善右衛門を使いとして、秘

    蔵の駿馬「雲雀毛の馬」を信忠に送る。

1582年6月二条新御所で織田信忠切腹の後、攻め

    かかってきた明智光秀の軍と戦い討ち死に。


 ※世継ぎの儀式で一番目の使いに選ばれる

  など、信長公の信任が篤かったようです。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寺沢弥九郎(てらさわやくらう) | トップ | 寺井源左衛門(てらゐげんざ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事