『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

足利義輝(あしかがよしてる)

2015-05-01 19:03:24 | 信長公記の蔵:人物篇
足利義輝(あしかがよしてる)

〔現代かなづかい〕あしかがよしてる


 ※ひょっとしたら足利義昭は、信長最初の

  上洛時に兄足利将軍義輝から、その噂を

  聞いていたんでしょうか?

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


第十三代足利将軍。初名義藤。義晴の子。

1559年2月織田信長は一回目の上洛で、足利

    義輝に謁見。

1565年5月19日、三好修理大夫義継・松永久秀

    に御殿に攻められ、散々に切りまわっ

    た後御殿に火をかけて自害。

信長が義昭に下した十七条異見書のなかでは、

参内を怠った将軍の先例として出てくる。


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