『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

滝川雄利(たきがはかつとし)

2017-12-23 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
滝川雄利(たきがはかつとし)

〔現代仮名遣い〕たきがわかつとし

※下線部は信長公記以外の記事によります。


三郎兵衛。木造具康の子(あるいは弟)で、

はじめ出家して源浄院主であったが、還俗

して滝川一益の聟養子となる。信雄に仕え

家老となる。

1581年9月北畠信雄の伊賀攻めに加太口先手と

    して参戦。

1584年小牧の戦いを機に秀吉に仕える。

1590年小田原の役にも参戦し、韮山城を牽制する。

1590年7月伊勢神戸城主となり二万石を領す。

1592年肥前名護屋城に駐屯。

1595年伊勢員弁郡五千石を加増されたが、豊臣

秀次事件に連座して叱責され封を失う。その後、

秀吉の御咄衆に加えられ、三万石を領した。

1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属し伊勢口を

固めた。戦後所領を失った。

1601年徳川家康から常陸片野に二万石を与えら

れ御咄衆に列した。

1610年2月死去。



 ※相当な魅力あるいは戦闘力があったのか、

  ・織田信雄の家老

  ・豊臣秀吉のお伽衆

  ・徳川家康のお伽衆

  などを務めた人物です。話が面白かった

  のか、すごく綺麗な人だったのか・・

  興味あるところです。

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