『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

桑原助六(くわはらすけろく)

2017-02-02 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
桑原助六(くわはらすけろく)

〔現代仮名遣い〕くわはらすけろく


不詳。

1582年3月滝川一益が武田勝頼の居所を

    つかみ、田子の平屋敷を襲撃。

    武田勝頼は女房・子供を刺し殺し、

    切って出て討ち死に。武田信勝は

    散々に切りまわってから討ち死に。

    勝頼・信勝の頸は滝川一益が織田

    信忠に進上。信忠は関可平次・桑原

    助六を使いとして信長へと進上した。

1582年6月本能寺の変で討ち死に。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桑原九蔵(くわはらきうざう) | トップ | 桑原平兵衛(くわはらへいべゑ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事