『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

伊勢物語(いせものがたり)

2007-11-03 13:34:49 | 源平盛衰記の蔵:引用書物篇
伊勢物語(いせものがたり)

平安前期の現存最古の歌物語。作者未詳。在原業平

などの歌を軸に、業平を思わせる「昔男」の一代記

に託して、人間の愛情の諸相を展開。「あはれ」と

「みやび」の世界を現出する。約125段の歌物語

で構成。在五が物語。在五中将の日記

【ここまで講談社日本語大辞典】

冒頭「むかし、男、・・・」ではじまり、

『名にしおはばいざ言問はむみやこどり

     わが思ふ人はありやなしやと』

の名歌で有名な伊勢物語は「教養のレベルが高いこと

を示す」格好の書物でした。「昔男」(茶杓)、

「つくも髪」(棗)など名物茶道具の名としても用い

られ、風雅を醸しだしています。のちの源氏物語も

伊勢物語を参考にしているとのこと。在原業平から

光源氏とつづく男前路線を織田信長も継承したか?

個人的には、

*妹のお市の方が『絶世の美女』

*弟の喜六郎秀孝は「御歳の齢十五・六にして、御膚は

 白粉のごとく、たんくわのくちびる柔和のすがた、

 容顔美麗人にすぐれて、いつくしき共中々たとへにも

 及び難き御方なり」と称された美青年

*津嶋の衆が天人に扮した信長に見ほれた

などの記述から見て、「信長は男が見ほれてよだれを

たらすほどの男前」だったと思います。太田牛一が表

立っては「天下に覇をとなえる信長が男好きのする男

だった」などとは描けないので、文中にヒントを散ら

ばしているように感じます

【ここまで純野一益】

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 穆王の八駿(ぼくわうのはち... | トップ | 星鹿毛(ほしかげ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

源平盛衰記の蔵:引用書物篇」カテゴリの最新記事