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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

川越で楽しく学ぶ

2022-06-25 23:01:45 | 徒然なるままに(雑記)

 今日は暑かったね。
ニュースで群馬県伊勢崎市で40.2度、2011年6月24日に記録した埼玉県熊谷市の39.8度を抜いて、6月の国内最高気温との事。
で、今日は、そんなに暑かった埼玉に行っていたんだよね。

 昼過ぎの上野駅前(マルイの壁面の電光掲示板の気温表示)は37度だった。
その後、池袋乗換で川越に行ってきた。
川越市は大学の校舎が有るので、1度行った事が有る。
と言っても授業ではなくて、土曜だか日曜だかに行われたソフトボール大会に同期のメンバーで参加した際に行っただけ。
それ以外では行った事が無くて、あれから・・・何年振りになるんだろう?

 東武東上線も何時以来だろう?
日光に行った帰りに東武東上線経由で帰ったのでなければ、大学時代に乗ったのが最後の筈。
朝霞校舎でのソフトボール大会と、朝霞校舎の図書館に用が有って乗った事が有ったなぁ~。
大学の同級生達は、結構多くこの路線沿いにアパートを借りて住んでいたけれど、遊びに行った事は無かった。
皆、今どうしているんだろう?
故郷に戻った人もいれば、東京で就職した人も居た。
ばったり街で会った・・・って言うのは残念ながら今迄1度も無い。
まぁ、頻繁に東京に出掛ける様になったのは、数年前からで、それ迄は神奈川から殆ど出なかったもんなぁ・・・。

 今ばったり出会って、お互い直ぐ分かるって言う人が何人居るかな?
私は、体形が変わっていないし、髪の長さも髪型も大して変わっていないから、比較的分かる方だと思う。
とは言え、マスクをしているから余程親しくしていた人以外は、直ぐには分からず、
 「ん?何処かで見た様な?」
 「知り合いだっけ?」
ってな感じで、確信を持てずに声を掛けられないまま・・・てな感じで終わってしまうかも。

 え~っと、何の話をしていたんだっけ?
あっ、川越か。
川越に行った話をしようとして、大学時代の話に脱線したのか。

 大学の川越校舎の最寄り駅は川越駅ではなかったので、川越駅は初めて。
思っていたより遥かに開けていて、繁華街(商店街)が延々と続いていて正直驚いた。
昔からの蔵や木造やレンガ造りの建物が並ぶ街並みが有名で、他にも駄菓子屋さんが並ぶ箇所(問屋なのかな?)とか、火の見櫓とか話には聞いていたのだけれど、あまり下調べが出来ない状態のまま、
 「時間的に行く事が出来るから、川越にも行こう」
と言う感じで、外出の途中で行く事にした。

 「大正浪漫通り」何て名の古い建物が並ぶ通りが有る事を事前に知ったのだけれど、

「そう言った箇所がちょこっと有って、其処以外の周辺は、既に開発されて現代風の住宅やマンションが立ち並ぶごく普通の住宅街なんだろうな」
「歴史的景観保全地域」になる前に周辺の大半の建築物は開発の流れで消えて、写真とかTVの映像でみるのも、残されているほんの少しの短い距離の箇所で、行って診たら、『たった此処から此処迄で終わりか』って思うんだろうな」

何て、ちょっと「悪い方の予想」をしてた。
そう言う街とか地区とかが大半でしょ。
写真とか映像とか「良い部分」しか撮らないし、そう言った箇所が広く続いている様な感じの構図で撮影するから、そう思って行ってがっかりする事が大半。

そういった場所や撮影技法?をたくさん見てきたし、ガッカリしたくないから、過度な期待をしないで行ったんだ。
で、逆に驚いた。
 

思っていたより遥かに「古い建造物の街並み」が広くて長くて、何カ所も点在している。
その殆どが住居ではなく店舗になっていると言うのも、他の街とは違う点。
昔からのお店も有れけれど、近年オープンしたお店が入っているお店が多い。
近年オープンしたお店は、観光客相手の飲食店や小物雑貨のお店で、古い街並みが複数個所、複数の通りに渡って存在し、お店が多いから見出が有る。
それでいて観光客でにぎわう神社やお寺も点在している。

これは・・・嘗めてたなぁ~。

と言った具合。
古い町並みと言っても、観光地でなければ、建物には住民が住んでいて、商店が有っても地域住民向けのお店ってな具合で、観光客向けの施設を設ける余地はそう有る訳ではない。
川越はどうやってこの古い建物と商店街を観光客向けにしたのだろう?

「住民が次々に観光客向けの商店に商売替えをした」・・・と言うのは考え難い。
「住民が1階を新規開店する人に貸して、自分達は1階部分の奥や2階を住居として使う」と言う事も有るとは思うけれど、住居部分が狭くなって表通り側はお店なので、家の出口を裏に設けないといけない・・・と言う事に地域に住む大半の人が賛同するか・・・と言うとどうなんだろう?
商店街としての取り組みと、行政としての協力の両方が無いと此処迄の物は出来ないのではないかな?
って思うのだけれど…。

 暑くてヘロヘロだったのだけれど、そんな状態でも色々な事を考えながら街を見てたんだ。

帰宅後、調べてみると、昭和40年代後半から保存の動きが始まった事が記録されていて、現在は様座な規制や決まり、運動によって支えられ、維持されている事が分かった。
唯、元々の住民と今の店主や業種も事は分からなかった。
現在の観光地となったこの地区の古い建屋は、住宅としては不向きでも店舗としては魅力の有る場所なのかもしれない。
そうなると、「他の場所に引っ越して、古い建屋は店舗として貸す」とか、「不動屋さんに売りに出す」と言う流れになるのかな?
古い商店街がシャッター街になってしまう事が多いのだけれど、古い町並みやその雰囲気が良い商店街って結構あちこちに有る。
住民と借り手の仲介をして、「店舗部分だけ貸し出して」、何て事で、商店街を維持できる箇所も有るのではないかな?
元々商売をやっていた人は、利益が上がらないとか、後継者が居なくて自分は高齢になったからとか、様々な事で商売を辞める訳だけれど、店舗スペースは1階部分のあるのだし、シャッターを閉めて物置場にするくらいなら、家賃収入が有る方が良いと思う人だっているだろうし、借りる方は新築で建てたり、借りるよりは居抜きで店舗部分を借りられたら安く済む。

 別に視察に行った訳ではないのだけれど、「他でも生かせないかな」何て思いながら見てしまうのは、私だけかな?
単純に楽しめば良いのにね。



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