『狐の行列』です。
ゆきさんと巡る『東京十社巡りの最終 結願』のお話です。
東京都北区の王子にやって来ました。
王子は初めて訪れた地。
後に知ったのですが、この付近に実家がある大学の同期が数人居ます 。
実家が現在も営業中のお店を開いていると言う人もいたので、折角なら寄ってみたかったなぁ。
王子稲荷神社の『狐の行列』が大晦日の夜に開催されると言う事で、その案内が置かれていました。
駅の出口には写真の『ちりめんの狐の行列』が。
実際に見てみたいなぁ~。
川の先の建物が王子駅。
先日の『じゅん散歩』(TV朝日系列)で映像が流れたなぁ~。
この風景や駅から直ぐの玉子焼き屋さん。
なかなか良い雰囲気です。
目的地の王子神社へは、川沿いの道から階段を登ります。
写真左の大木は銀杏の木。
大田道灌ゆかりの木も境内に有ったそうですが、空襲で焼けてしまったとの事。
この銀杏は焼けずに残ったとの事。
王子神社の拝殿。
降ったり止んだりの生憎の天候で、境内は静かでした。
王子神社は創建不詳ですが、「源義家の欧州征伐の際に甲冑を納めた」と伝わり、後にこの地の領主であった豊島氏が1322(元享2)に熊野から王子大神を迎え、その際『若一王子宮』と名付け、この地が王子と言う地名になったとの事。
祭神は伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、速玉之男命(はやたまのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、王子大神と呼ばれている。
小田原北条氏、徳川氏の崇敬を受け、徳川家康は朱印地200石を寄進し、将軍家の勅願所と定めたとの事。
8代将軍徳川吉宗は、1737(元文2)に飛鳥山を寄進し、桜を植え、江戸庶民の名所になりました。
境内社の関神社
祭神時は小倉百人一首にも登場する蝉丸で、髪に関する職業の方の信仰を集める神社。
玉垣には床山さんやカツラの会社等の名が。
鳥居の前にて。
王子神社の東京十社ミニ絵馬。
この鳥居からの光景が描かれているんですね。
夏のお祭りの槍祭りが名物なので、そう言ったその神社に因んだ物(槍)が隅に描かれていても良いのにな。
王子神社の御朱印。
『北方守護』の印が。
江戸の北方を守る神社と言う事なのでしょう。
私の住む神奈川(相模の国)だと、どうなるのかな?
王子で昼食を済ませ、少し散策した後、赤坂へ。
写真右はアメリカ大使館の大使館員の為の住宅。
中がどうなっているかは分かりませんが、外観からすると、それ程極端に広くて豪華な造りではなさそう。
日本に有るアメリカ大使館の施設だから、広大な敷地で、豪華な造りになっているのかと想像していました。
赤坂氷川神社へ到着。
此処が東京十社最後の神社。
境内には点々と巨木が生えています。
包丁塚なるものも。
この門の先が氷川神社の拝殿。
氷川神社の拝殿
氷川神社の絵馬。
境内社の四合神社。
四つの神社を合祀した際に神社の名前を考える様に求められた勝海舟が『四つの神社を合わせた』⇒『四合』と『幸せ』を掛けて『四合神社』と名付けたとの事。
四合稲荷横の斜面に鎮座する西行稲荷。
赤坂田町の自身番屋近くに鎮座していたと伝わります。
西行五兵衛と言う者が或る日榎坂を通った際、甲冑を身に纏い、弓矢を携えて狐に乗った三寸程の鉄の像を拾い、御神体として安置したのが由来で、後に御神体は紛失し、代わりに錦の布に包まれた長さ6寸幅2寸程の木箱を祀っているとの事。
赤坂氷川神社の案内と東京十社のミニ絵馬。
「幸福を沸かす、幸せを注ぐ」事にあやかる『やかん鈴』の御守り。
でも、何処にも赤坂氷川神社と記されていないんだよね。
これを戴いたのですが、刻まれているとか、根付けが付いていると良かったのだけれど・・・。
赤坂氷川神社の御朱印。
四合稲荷の御朱印も戴きました。
此れで東京十社巡りは結願。
ミニ絵馬は売り切れの白山神社と日枝神社が手に入らず。
白山神社はまた訪れる口実になるけれど、日枝神社では「売り切れ」でなく「販売終了」と授与所の方に言われたんだよね。
「売り切れで入荷日未定」と言う事ならまだしも、販売終了だと手に入らないになってしまうなぁ~。
元准勅祭社12社の中から遠方の大國魂神社(府中市)と鷲宮神社(埼玉県久喜市)を除いた残りの東京23区内の10社で始めた『東京十社巡り』と言う案内とミニ絵馬等の授与品。
十社巡りは結願したので、その流れで12社の2社にも行こうかな。
夕暮の東京駅に行きました。
日中も良いけれど、ライトアップされた姿は更に綺麗だなぁ~。
東京駅その2
唯、人が多くて、何処かでお茶の休憩を取りたくても、どこも満員。
元々オフィス街だし、人の多さに対してお店は少ないんだよね。
駅地下のすみっこショップに寄り、電車に乗って帰宅しました。
生憎の天気だったのと、人の多さにちょっと疲れたな。
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