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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

新春サイクリング・相模原  ~2019-01-02(水)

2019-02-06 19:12:19 | 街・観光地編2019

 日中、少し出掛けました。
相模原市内をサイクリング。
 写真はたまたま見つけた小さな稲荷社。

 目的地は相模原市緑区大島の諏訪明神。
旧大島村・九沢村総鎮守で、旧社格は村社。
住所:相模原市緑区大島594

 式内社巡りで訪れた石楯尾神社の論社で、最寄り駅はJR横浜線の橋本駅。
橋本駅から上大島行きのバスが出ていますが、地図を見ていて、

 「自転車で行けるのではないかな?」

と思った次第で。
調べてみると、20㎞は無いし、片道1時間掛からずに行けそう。
自転車なら周辺の散策もしやすいし、正月の諏訪明神の光景を見たいので行ってみました。

 時間が遅かったのと、1月2日と言う事で参拝者は近所の御家族(自転車はその御家族の子供が乗っていた物)だけ。
私が参拝を終えた後、もう1組御家族が訪れました。

 社務所は拝殿の右手の平屋の建物なのですが、左側にも古い建物が。
神楽殿なのか倉庫なのか?
その建物の戸締りをしたり、片付けをしている方が居り、もう少し早ければ、その建物が開いていて御札の樹をしていたのか分かったのですが、判明しないままでした。
亀ヶ池神社が兼務しているのですが、歴史の有る獅子舞が舞うお祭りが有ったりと、気になる神社。
正月の賑わいや御祭りの日の様子を見たいな。

 六地蔵にも寄りました。
左端の丸っこい石が徳本念仏。
江戸時代の浄土宗の僧侶(1758(宝暦8)~1818(文政元))で、紀伊国日高郡の出身。
徳本上人、徳本行者と呼ばれ、江戸周辺で念仏講を組織し、木魚と鉦を叩く念仏は徳本念仏と呼ばれ、農村を中心に廻り、強く支持された。
独特の筆跡による『南無阿弥陀仏』の名号碑が各地に建てられており、この徳本名号塔もその中の1つ。

 六地蔵隣の八坂神社にも参拝。
以前六地蔵を訪れた際に訪れた神社。
前回の散策での出会いと発見の御礼と今後の事を祈る。

 先を歩く1人のお婆さんが参拝中。
それに続いて私も参拝。

 大島の地を後にし、地元に向かいます。
矢部駅近くで国道16号線から横道に逸れたら、以前から気になっていた村富神社に辿り着いた。
 「此処に有ったのか!」
と、たまたまの発見に嬉しくなった。

 稲荷社だったんだね。
拝殿前には狐が。
境内は広く、お祭りの日にも訪れたいな。
授与所は左で、右手に社務所等の建物も。

 授与所右の小さなお社。
この地を開いた人物を祀っています。

 中には獅子頭が。
お祭りの際に被るのかな?

 続いて矢部駅をくぐる地下道で横浜線を渡り、駅の反対側に。
次の目的地は駅から北東に延びる道を進んだ地にあるこの交差点。
途中に麻布台の敷地が有り流石に獣医学部の有る大学と言う事で、馬場が有ったり、石板を祀る小さなお社が有ったりと、発見が。




 見たかったのはこの土塁。
これはこの地を治めていた豪族の矢部氏の館を取り囲んでいた土塁。
手前で見た石板は、和田合戦で滅んだ矢部氏の冥福を祈ったと言われる物との事。

 矢部氏は矢部の地名の由来になっているけれど、隣駅の淵野辺も豪族の淵野辺氏が地名の由来。
矢部氏は鎌倉時代初期の和田氏と北条氏が戦った和田合戦で和田氏側に組した横山党に属した豪族。
和田合戦敗れて歴史の舞台から姿を消しました。
残っているのはこの土塁と地下に眠る堀。
土塁の横に発掘調査時の写真が掲載された説明看板が有ります。


 淵野辺駅方面へ進むと、麻布大付属淵野辺高校の校門が。
サッカー部は冬の全国選手権大会出場経験が有り、FC東京の元日本代表太田宏介や川崎の小林悠等の出身校。
此処に太田君は通っていたんだなぁ~。

 青山学院大の校門前を通過。
「おぉ~、おしゃれな造りだなぁ~」


 皇武神社へ到着。
氏神様である御嶽神社は、この皇武神社から勧請してもらった神社。
皇武神社へ訪れるのは初めてで、どの様な神社なのかなと。
因みに淵野辺氏の館跡は、奥まった分かり難い場所に有り、今回は訪れませんでした。

 皇武神社の拝殿。
社務所前では薪を消したり片付けをしたり、と長居し辛い状況。
参拝を済まし、そそくさと神社を後にしました。

 相模原の結構広い範囲を自転車で行き来した1日。
結構遠く迄行けるものだなぁ~と言う事を知ったこの1日。
他にも気になる場所が有ったし、また行こうっと。



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