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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

相模原畑地灌漑用水路跡 ~2016.5.29(日)~

2016-05-29 18:50:46 | 街・観光地編2016

 ギオンスでの試合観戦の帰り道。
何時もなら真っ直ぐに村富線(むらとみせん)に出て、大通り沿いに帰るのだけれど、今回は1人なのでちょっと寄り道。
子供の頃に総合体育館への行き来には、大通りでは無くて清掃工場の裏手側の小道を通っていた。
道の端には、コンクリート製の樋(とい)の様な物がずっと伸びて敷かれていて、
 「何だろう?」
と思っていた。
水を流すものと言う事は想像が付いたけれど、使われている形跡はなく、近所の森の中にある用水路跡と同様でも「形状の違う物なのかな?」と思っていた。
あれは今も残っているのかな?

 「確かこの辺りだったよなぁ」

道の脇、清掃工場との間には、もう1本道を敷く事が出来るスペースが有る。
そのスペースにはフェンスが有って入る事は出来ず、草が生い茂っている。
その草むらの中に・・・
「あっ、あれだ、あれだ!」
何とかコンクリートのドブと言うか、樋と言うか、その様な物が見えた。
「もっと良く見える場所は無いかな?」
右折する場所を見付け、其処からだとその部分が正面から見えた。

 これは戦後に食糧増産を目的に1940年着工、戦時中の一時期休止されたものの、1947年に完成した相模原畑地灌漑事業に因って作られた用水路跡。
河岸段丘で相模川に対して階段状になっている台地の相模原で、この辺りは最上部に位置しています。
最上部の面積は広く、ほぼ平らな土地が延々続いていますが、水に乏しい場所。
水田には向かず、畑を作るにも水を得るのが問題な場所。
それを解決する為の大規模事業でした。
メインの用水路と其処から分岐して彼方此方の地区を潤す用水路。
現在も痕跡が残っている場所もあれば、すっかり消えてしまった場所もあります。
でも、建造物は無くなっても、「不自然な道」の造りとか、「不自然な歩道の広さ」、「畑や空地の中、住宅街に突然現れる遊歩道」とか、用水路の痕跡は彼方此方に見られます。
碁盤の目とまではいかなくても、
 「平行に通っている道の中に、1本だけ斜めに通り抜ける細い道」
何てのも用水路の跡であったり。
正直、しっかりと活用されなかった大規模事業の跡なのだけれど、「先人達の思い」や「苦労」、「夢・希望」を感じる事が出来る遺物でもあります。

 この後通った住宅街の道路工事では、砂利に埋まったままの用水路の跡が道路の拡幅工事で壊されていました。
工事が進んでいけば、未だ残っている部分も壊され、アスファルトに覆われてしまうのでしょう。
世界遺産になる物ではないですし、観光客が引っ切り無しに訪れるような遺構ではありませんが、身近な歴史遺構やその背景に有った事柄を思いながらの散策は如何でしょう?






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