2009-01-07 15:27:10
初詣に行った御岳神社の隣には、50年程続いた神奈川で唯一のワイナリーであるゲイマー葡萄園が有りました。
このブログでも何度か取り上げていますね。
残念ながら廃業してしまいましたが、跡地は葡萄が植えられたままで、誰も収穫しない葡萄が毎年実を付けていました。
その葡萄園に工事の手が入ったのはつい先日。
初詣の際にまじまじと見ましたが、御覧の様に葡萄園だった痕跡は有りません。
此れが道路沿いに掲示されていた計画書の図面。
63000㎡の敷地には、協同組合Sia神奈川企業団地」と言う名の建造物群が立ち並ぶ事になっています。
20社程の企業が入り、従業員数は600人程度になると予想されています。
設置看板の図その2。
構内には道路が通され、周囲の道路の拡幅工事もされる様です。
写真左の建物は葡萄園が有った頃から存在した建物。
直ぐに取り壊さなかったのは、そのまま何かに活用するつもりなのか、工事中は利用するつもりなのか?
どうなのでしょう?
一部の木々は未だ伐られていませんが、ビニールテープが巻かれているのが気になる所。
此れは「伐らない木」と言うマークなのか、「伐る木」と言うマークなのか、もう少し様子を見ないと何とも言えませんね。
市の広報誌である「広報相模原2008年11/1号」には、Sia神奈川の塚田代表理事の談話が掲載されています。
「ここは、約50年続いたぶどう園だったこともあり、緑を多くしていきたいと考えています。
また、敷地に、地域の子供たちが利用できる公園や歩道を整備するなど、近隣の方々と相談しながら、地域に親しまれる施設になるよう計画を進めていきます。
そして、雇用の創出という面でも貢献していけると思います。」
との事。
計画図では、園内の道路には街路樹が植えられ、児童館と神社に隣接した部分に公園が整備される事になっています。
残念なのは、ゲイマー葡萄園が歴史有る葡萄園であり、時代の流れの中で消えていかなければならなかったと言う事への配慮が万全とは言えない事。
「葡萄を全て伐採してビル群にしたが、一部に公園を設置して園内に街路樹を植えたから自然に配慮した」
と言うのでは考え方として「深さ」がないのでは?
この葡萄園が「なしてきた事」と「遺した物」を関係者も近隣の方々ももう少し敬意を持って欲しいし、忘れないでもらいたいなと。
葡萄園として復活出来ないまでも、その歴史と功績を記した石碑を設置すると言うのはどうなのだろう?
本当は、公園になって
「周囲の住民の憩いの場として大事にされれば良い」
と思っていましたが、民有地である以上どの様に使われようが文句は言えません。
地域住民や自治体・自治会が買い上げると言うのは資金面で無理が有りますし、地主としても土地を寝かせておくだけでは税金を払うだけでも大変なのでしょう。
現に相続税対策で葡萄園の一部を手放さなければならなかった経緯が有ります。
第一種低層住宅地ではなく、工場を建てる事が出来る土地ですから法律上問題は無いのだけれど、それなら公園や敷地の周囲に植える植物の1部に
「葡萄園に植えられていた葡萄」
を使って欲しですね。
葡萄は老齢化が進み、其れが廃業の要因の1つにもなりましたが、それでも毎年花を咲かせ、実を付けていました。
葡萄の老木の移殖が難しいのであれば、同種の苗木とか・・・どうでしょう?
近年引っ越して来られた方々は御存じ無い事と思いますが、ゲイマー葡萄園は昔は今よりも遥かに広い葡萄園で、隣接して広い養鶏場も有り、辺りは宅地が少なかったですね。
そう言えば、その隣には牛を飼っている御宅も有り、野原と森が広がっていました。
現在は周囲には宅地とマンションが建ち並び、以前の面影は全く有りません。
ゲイマー葡萄園と言う存在も、小さい子供は知らないのではないかな?
現在20代、30代の方々の大半は、毎年秋のワインが出来上がったお祭りに周囲の住民やフランス大使館の方々を招待し、催しをしていた何て事は知らないか忘れてしまっているのでは?
「歴史と積み重ねが有ってこその現在と未来」
と言う事を大事にし、過去の出来事や功績を忘れない為にも新施設には
「葡萄園の痕跡」
を少なからず残していただきたい訳で・・・。
道路の拡幅工事がされるとは言え、其れでも周囲は非常に細い道路でして・・・。
今でも交通量が多くて徒歩や自転車で通るのが怖く感じる事もしばしば。
新施設は20社程度の企業が入るので、通行量が格段に増えるでしょうね。
北側は道も広く取って有りますが、東側はそうではないですし、其処には児童館や新しく出来る公園が有ります。
東側に位置する道路の通行量が此れ以上増えるのは勘弁して欲しいなぁ・・・。
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もともとゲイマー葡萄園に近い所に住んでいて
ここはなじみ深い場所です。
相模原を離れた今でもよく思い出し、
よく話題に出てくることがあります。
なくなってしまったなんて、とってもさみしい気持ちです。
行くたびに形を変えていくその周辺が、
どんどん自分の生まれ育った場所という
愛着が薄くなっていき、複雑な気分です。
ゲイマーさんの近くに御住まいだったそうですね。
私は5丁目在住なので、同じ学区だったのかな?
私は小6で一度座間に転居し、4年前の結婚を機に再び戻って来ましたが、その時点で既にゲイマーさんは廃業されていました。
義父母は、お中元・お歳暮で贈った事が有るそうですが、私は1度もゲイマーさんのワインを見る事も飲む事も無いままでした。
何処かのお店に在庫が残っていると嬉しいのですが…。
大野台ストアや共和ストアは既に無くなっていましたが、スーパーよしやも昨年閉店し、商店街も寂れています。
とは言え児童館や市場、雑木林等、昔と変わらない場所も有り、そういった光景を見付けると嬉しく感じます。
駅の新設・大型店の出店・道路の拡張と新設は生活する上で便利になって助かりますが、地域の姿を大きく変わてしまう負の一面も有りますね。
故郷の姿を忘れない為にも、出来るだけ多くこの場にその姿を遺して置こうかと思う昨今です。
写真の片隅に大野台の光景が多々写っていると思うので、話のネタや気晴らしにまたお越し下さい。
でも沢木さんの文章で残ってるのは事実なので、ご参考までに投稿しました。
久しく更新していませんでしたし、チェックもして居らず、先程書き込みに気付いた次第で申し訳ありません。
沢木耕太郎さん著述にゲイマーさん(この辺りでは、ゲイマー葡萄園の事を「ゲイマーさん」と言い、其れで通じます)の事が記されているのですね。
残念ながら無くなってしまい、現在は複数の企業が進出した工業団地になっています。
工場群は協同組合の会員になっていて「葡萄の絵のロゴ」が建物に記され、其れが葡萄園だった事の唯一の名残になっています。
葡萄園閉園後も毎年葡萄はなっていましたし、この時期であれば、新芽が出てくる時期だったと思います。
地域の人が犬の散歩をしていたり、ビニールシートを広げて談笑している光景も懐かしいですね。
何処かに売れ残りのワインが残っていないかな?
うちの茶箪笥や押入れの隅から未開封のまま忘れていたワインが出てこないかな?
何て思っています。
でも、文章の中に残っていると言う事を知り、嬉しかったです。
是非とも読んでみたいですね。
貴重で、とても嬉しい情報を有難うございました。