モータースポーツブーム元年の1987年。F1と同じく日本GPが開催され始めたMotoGP(旧WGP)⇒ wiki
これまでアイスランド火山や東日本大震災といった開催の危機を乗り越えて30年以上も続いてきた日本GPでしたが、今年は憎っくきコロナのせいでとうとう開催中止KSG
毎年いちばんの楽しみが今年はないという事で1987〜2019の33年、懐かしいOFFICIAL PROGRAMと共に日本GPを振り返ってみたいと思います。
■1987(鈴鹿/Round1/)
🏆 R.マモラ(ラッキーストライク・ヤマハ)
■1988(鈴鹿/Round1/)
🏆 K.シュワンツ(ペプシ・スズキ)
■1989(鈴鹿/Round1/)
🏆 K.シュワンツ(ペプシ・スズキ)
■1990(鈴鹿/Round1/)
🏆 W.レイニー(マルボロ・ヤマハ)
■1991(鈴鹿/Round1/)
🏆 K.シュワンツ(ラッキーストライク・スズキ)
◆1987
日本GP初年度の87年はあいにくのヘビーレイン。雨が得意なマモラがぶっちぎりました。
◆1988
大本命ガードナーをルーキーのシュワンツが接戦の末優勝。世界最高峰のバトルに日本中が痺れました。
◆1989
GP史上歴史に残る名勝負が鈴鹿で繰り広げられました。シケインで観戦していましたが鳥肌が立ちました。⇒ WICK
◆1990
この年から就職で名古屋→東京で会社の仲間と夜中に東名走って鈴鹿へ行くスタイルへ。レースはレイニーがぶっちぎり。
■1992(鈴鹿/Round1/)
🏆 M.ドゥーハン(ロスマンズ・ホンダ)
■1993(鈴鹿/Round3/)
🏆 W.レイニー(マルボロ・ヤマハ)
■1994(鈴鹿/Round3/)
🏆 K.シュワンツ(ラッキーストライク・スズキ)
■1995(鈴鹿/Round3/)
🏆 D.ビーティー(ラッキーストライク・スズキ)
■1996(鈴鹿/Round3/)
🏆 阿部典史(マルボロ・ヤマハ)
◆1992
雨の中、序盤転倒し最後尾から驚異の追い上げたガードナーが会場を盛り上げました。この年でガードナーは引退。⇒Youtube
◆1993
この年もラストラップまで激しいバトルでレイニーが優勝。この年3年連続王者のレイニーがレース中に大ケガをし引退。
◆1994
この年もGP史上歴史に残る名レースでした。若干17歳のノリックこと阿部が強烈デビュー。
またこの年でシュワンツも引退。ひとつの時代が終わりました。⇒ WICK
■1997(鈴鹿/Round 3/)
🏆 M.ドゥーハン(レプソル・ホンダ)
■1998(鈴鹿/Round 1/)
🏆 M.ビアッジ(マルボロ・ホンダ)R
■1999(茂木/Round 2/)
🏆 K.ロバーツJr(チーム・スズキ)R
■2000(鈴鹿/Round 3/)
🏆 阿部典史(ダンティーン・ヤマハ)R
■ 〃 (茂木/Round15/)
🏆 K.ロバーツJr(テレフォニカ・スズキ)R
◆1997
絶対王者ドゥーハンが貫録で優勝「STOP THE DOOHAN」なんて言葉がよく聞かれたくらいドゥーハンの時代でした。
◆1998
前年まで4年連続250ccクチャンピオンのビアッジが500cc参戦の初戦。いきなりブッチギリで優勝し、度肝を抜かされました。
◆1999
この年、開催が三重県鈴鹿→栃木県茂木に変更。茂木での初開催は雨。初めての茂木で新鮮でしたね。レースはロバーツが優勝。
■2001(鈴鹿/Round 1/)
🏆 V.ロッシ(ナストロアズーロ・ホンダ)R
■ 〃 (茂木/Round13/)
🏆 V.ロッシ(ナストロアズーロ・ホンダ)R
■2002(鈴鹿/Round 1/)
🏆 V.ロッシ(レプソル・ホンダ)R
■ 〃 (茂木/Round13/)
🏆 A.バロス(ポンス・ホンダ)R
■2003(鈴鹿/Round 1/)
🏆 V.ロッシ(レプソル・ホンダ)R
■ 〃 (茂木/Round13/)
🏆 M.ビアッジ(ポンス・ホンダ)R
◆2001
ロッシの時代が始まりました。前年参戦からその勢いのまま鈴鹿、茂木とも優勝。
◆2002
この年から最高峰クラスのエンジンが2スト500㏄/2st→1,000㏄/4stに変更。名称もMotoGPクラスへ。
過渡期という事で500㏄も混走でしたが、初めて見るMotoGPマシンのF1並み爆音にとにかく驚きましたね。
MotoGP開幕の鈴鹿を制したのはやはりロッシ。また秋の茂木では500㏄のバロスが優勝。この年だけの面白いGPでした。
◆2003
2003年開幕はとんでもない悲劇から始まりました。決勝で加藤大治郎がシケインで転倒。そのまま帰らぬ人に。
シケイン入口で観戦していたので今でも鮮明に記憶しています。
これを期に鈴鹿の安全性が問題視され、翌年から茂木のみでの開催となりました。
■2004(茂木/Round12/)
🏆 玉田誠(ポンス・ホンダ)R
■2005(茂木/Round12/)
🏆 L.カピロッシ(マルボロ・ドカッティ)R
■2006(茂木/Round15/)
🏆 L.カピロッシ(マルボロ・ドカッティ)R
■2007(茂木/Round15/)
🏆 L.カピロッシ(マルボロ・ドカッティ)R
■2008(茂木/Round15/)
🏆 V.ロッシ(フィアット・ヤマハ)R
◆2004
前年の大治郎の事故で沈みがちでしたが玉田がロッシを抑え母国GPで優勝の快挙!
3位にはカワサキの中野が入り表彰台に2つの日の丸が掲げられました。 ⇒ WICK
この年、ロッシがホンダ→ヤマハに電撃遺跡。ヤマハでチャンピオン獲得の偉業を成し遂げました。
◆2005、2006、2007
ドカッティ+カピロッシが茂木に強いという印象が付き始めたのがこの年でしたね。
2005~2007の3年連続このパッケージで優勝。ドカッティの直線番長ぶりが凄かった。
2007年はチームメイトの天才C.ストーナーがこの茂木で初チャンピオンを決定しました。
ドカッティ初の年間チャンピオン決定の瞬間を生で見れて幸せでした。
◆2008
久しぶりにロッシの優勝。またロレンソが最高峰クラスで走り始め、ヤマハのダブルエースのタイトル争い時代に突入。
■2011(茂木/Round15/)
🏆 D.ペドロサ(レプソル・ホンダ)R
◆2009
日本GPが久しぶりに秋→春で第2戦。ロッシとロレンソのチームメイト同士のバトルはGP史上歴史に残る名バトルでした。⇒Youtube
◆2010
アイスランド火山の噴火で飛行機が飛べず、春予定が秋開催へと変更されました。この年からまた秋開催に。
◆2011⇒Blog
ご存じのとおり東日本大震災です。放射能の話題で選手達が日本へ来ないんじゃないか?と心配されましたが無事開催されました。
この年ロッシがヤマハ→ドカッティへ電撃遺跡。またケーシーがドカッティ→ホンダへ。ロッシがドカッティに苦労していたのが印象的でしたね。
◆2012⇒Blog
この年はなんといってもMoto2のマルケスでしたね。最下位から全員ゴボウ抜きの優勝!⇒Youtube
◆2013⇒Blog
最高峰クラスにステップアップしたマルケスの初年度でチャンピオン決定の可能性があったレース。
それを阻止したいヤマハのロレンソとサポートにまわるチームメイトのペドロサによる三つ巴バトル。見ごたえ満点でしたね。