今朝も やって来たヒヨドリたち
もう残り少なくなってきたので
「ゴメンね・・」
「少しだけ お父さんにもあげてね~」
・・・夫に。
今日は 実家の父の月命日。
お彼岸参りに 実家へ行きます。
*******
Yさんの歌集より
『父の逝く 最後の瞬間(とき)もこの町は
いつもと同じ 顔をしている』
『一日も 欠かさず被りし農協の
帽子を父の 柩に入れる』
『われを娘(こ)と わからぬ父に 会いに行く
わが初孫の 写真を持ちて』
*******
今朝も やって来たヒヨドリたち
もう残り少なくなってきたので
「ゴメンね・・」
「少しだけ お父さんにもあげてね~」
・・・夫に。
今日は 実家の父の月命日。
お彼岸参りに 実家へ行きます。
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Yさんの歌集より
『父の逝く 最後の瞬間(とき)もこの町は
いつもと同じ 顔をしている』
『一日も 欠かさず被りし農協の
帽子を父の 柩に入れる』
『われを娘(こ)と わからぬ父に 会いに行く
わが初孫の 写真を持ちて』
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我が家の狭い玄関
いつも 絵手紙を飾っています。
昔 私が勤務していた医院の婦長さんが
退職されてから 趣味に絵手紙を始めて、
折々に 送って下さったものをずっと
一年中 その時期のものを
飾らせてもらっています。
ほっこり・・します
今朝は その隣の壁に
ちょっと早いかな と思いつつ
桜と 里山の
とても優しい色合いの風景画を掛けました。
この絵は
義父の (今なら『元カノ』というのでしょうか)
若かりし頃にお付き合いされていた女性Sさんが描いた絵。
義父は 戦時中は海軍にいて、
終戦直前 広島の呉で 出陣を待っていたとか。
そのまま戦場に出ることなく終戦。
呉での生活の中で
結婚まで考えたお付き合いだったのか、
ラブストーリーを
詳しく義父に聞くことは出来なかった。
終戦後、
義父は 故郷に帰ってきて 義母と結婚し、
呉の彼女Sさんも又 別の男性と結婚。
そして、
私がこの家に嫁いできて 5,6年の頃。
「呉の元カノ」Sさんが、我が家を訪れたのです。
当時 義父は60代 義母は50代。
義母は 最初は 結構パニクっていました。
当然と言えば当然か・・
昔のこととはいえ気持ち的には複雑かも。
義父の友人夫婦も交えて 温泉旅行に出かけたり、
その後 もう一度は 我が家へ泊まりにも来られた。
絵、七宝焼きも趣味で
私にもブローチとネックレスを作って下さった。
ほどなくして
Sさんの娘さんから
「母が 亡くなりました」との電話。
きっと
先が長くないということがわかっていて、
義父に会いに来たのですね。
4年前
うちの古い母屋を解体する際
義両親の残した荷物を片付けていました。
Sさんが描いた絵、何枚もの色紙が出てきました。
そういえば 今まで
この色紙や 絵が飾られたこと
一度もなかった事に気がつきました。
義父は
義母に遠慮して飾れなかったのかな?
義母は
義母なりにジェラシーがあったのか?
う~~ん
Sさんの絵
狭い玄関を明るく彩っています。
ラブストーリーがあったことを
知っているのは
もう
私だけになりました。
今朝は 2羽のヒヨドリ
もう かれこれ30分
1羽は まだ黙々と実を突いている
美味しいのかなと 昨日1個食べてみた
あれっ!?
結構 甘くて美味しい!
今年は この子達に心ゆくまで食べてもらいましょう
今日は彼岸の入り
餅米が残っているので
夫が好きな あんこたっぷりの
おはぎを作ります
小豆から炊いてあんこを作るのは
ちょっと面倒なので
市販のあんこで
手抜きさせてもらいます
今朝も
我が家の貧弱なヒョロヒョロの金柑の木に
ヒヨドリ(だと思う)が やって来ました。
今年は 実の成りが少なくて
小さいのが わずかに30個ほど。
ここ数日 小さい実だけど、
「黄色くなって そろそろ 甘くなってきたかも・・」
と思っていると、
「ああ~~~! やられた!!」
かじられている。
わかっているのか、
美味しそうなものから 突っついている。
・・・
美味しそうに食べてるから
まあいいか・・・
****
夫は 金柑が好きで、
道の駅でよく買いました。
10年ほど前に 苗木を植えたものの、
なかなか実をつけず 成っても数個。
3年前やっと 50個以上の収穫になって 喜んでいました。
今年は 少なくて寂しいなと思っていましたが
夫の納棺前に 庭の金柑が2個 色付いているのを見つけ、
夫の棺の片隅に入れました。
****
昨年は 金柑ジャムを作れたけど
今年は無理そう。
来年の『大量収穫』を目指して
ネットで剪定の仕方や
肥料 手入れ方法を検索。
ひとりの日常へと 一つ目標ができた。
夫が亡くなって2ヶ月。
四十九日の法要もすませ なんとなく一段落。
まだ、
それでも
「ただいま~」とバイトから帰って来そうな気がする。
****
12年前 義父の葬儀後に
市役所や銀行などの手続きを
義母に代わって
私達長男夫婦が代行した。
市役所の中を あっち行きこっち行き
2階へ3階へ~またまた1階へ。
国保や年金や、公共料金などなど。
名義変更だけでも大変だった記憶がある。
夫が仕事を休める間に済ませようとしたので、
くたくたになった。
夫の葬儀後の手続き
大変なんだろうと 覚悟していた。
幸か不幸か
私はまだ 子供達に手続きを頼むほどには衰えていない。
頑張らなければ!
****
葬儀社が
「葬儀後にしなければならない手続き」、
優先するべき手続きから 順を追って書いたファイルをくれていた。
そのファイルに沿って、期限の早いものから始めた。
まずは市役所の手続きーー
ネットで、市役所の『お悔やみ窓口』へ アクセス。
死後の手続きを予約。
予約時に 当日持参の必要があるものは確認できる。
予約した日時に『お悔やみ窓口』へ行くと、
なんと
一連の手続きの流れはすでに出来ていて、
書類はスタンバイされている。
私は窓口の椅子に座っているだけ。
各課の担当者が窓口まで来てくれて、
私は 必要な箇所に記入したり、
印鑑を押したりすれば良い。
ーー国保の手続き。
次は 介護保険担当者。
次は 年金。
次は 水道。
次は ・・・・はい、終了。ーー
30分あまりで終わった。
あらまあ、
今の市役所は こんなにサービス良くなってるんだと 感謝。
年金事務所も 同様。
予約をして行くので、
予想していたよりもずっと早く簡単にすんだ。
マイナンバーカードの是非が
色々問題にもなっているけれど、
病院入院中だけでなく、
市役所、年金事務所、銀行、保険・・・。
諸々の手続きが簡単にすんだと実感した。
それと
インターネットでの手続きで済ませられることが多くて、
ありがたかった。
ネット銀行の解約も、カードの解約も、パソコンで。
カード会社によっては、電話で、オペレーターに代わる必要もなく解約出来た。
完治不可能な病気がわかり
余命を限られてしまったので、
夫は
自分名義の不要なカードや、サブスクの契約なども解約してくれていた。
銀行、カードのパスワードや、
契約している色々なネットのサイトの 一覧表とパスワードの類。
ファイルにしてくれていたので、
随分 楽だった。
それでも、『こんなに~~!!』
と驚くほどの数で、すべてを解約はできていない。
残りは、もういいかな、と思っている。
夫の場合は、自分で整理してファイルにする時間があったから
私は、自力でなんとか夫のパソコン終いが可能だけれど、
もし
突然に亡くなっていたら
本当に困っていたと思う。
私も
夫の片付けをしつつ、
自分の
カード類、通帳の整理。
パスワードなどを書いたノートを作った。
とってもアナログやなあ~と思いつつ、手書きで。
明日 倒れても
子供達に出来るだけわかりやすいように、台所の食器棚に置いた。