山かけうどんにしよう。

2024-08-17 19:03:53 | 料理

2,3日前から

夫が風邪気味。

コロナ?

最近また流行っているとか。

 

37度前後という微妙な体温で

医者へ行くほどでもない、と

ひたすら寝ている。

おなか周りにあれだけの肉を巻いていれば

少々食べなくても大丈夫。

 

なんだけど

食欲が全然ないというので、やはりこの酷暑にやられたのか。

 

なにか 

食べやすそうなメニューはないかな。

 

暑いけど 勇気を振り絞り

(家から出るのは これは ほぼ拷問・・)

近所の道の駅へ野菜を調達に。

暑すぎて、近場の野菜も出来ていないらしく

いつになく 品数はめちゃ少ない。

 

おお!!

長いも発見。

山かけ蕎麦が好物の夫。

いつもの、お蕎麦の乾麺が ないけど。

・・・・・・

冷凍うどんが冷凍室にあった。

丁度 今朝 自家製のだし醤油を作ったところ。

 

「山かけうどん」 にしよう。

長いもをおろして、

トッピングは たっぷり

オクラ、貝割れ大根、ネギ、梅干し、鰹節、もみ海苔。

卵黄を落としても いいかも。

 

美味しそうやし。

(結構優しい妻やで・・)

 

 

**************

**************

 

 

昔 職場の先輩に教わった 『自家製だし醤油』

超簡単 すごくアバウトな作り方ですが、

そばつゆにも、煮物の味付けにも重宝しています。

 

 

<簡単 だし醤油>

鍋に以下の材料を入れて、7~10分煮出すだけ。

(途中、アクを取ればなお良し。)

*水:150~200ml

*醤油:50ml

*本みりん:50ml

*砂糖:小さじ1~2

*酒:大さじ1~2

*業務用だし専用のかつおぶしさばぶし:お茶パックに詰めて1袋

 

(出来上がって取り出した後の、だしパックは煮物にまた使います。)

 

 

 

 

 


夏の終わりに、柚子酒を味見。

2024-08-14 21:20:33 | 料理

昨晩は、この地域のふるさと祭り。

そして 今夜も、

隣の地区の昔からのお祭りで、夜店が並びました。

にぎやかな夜店なのに

もう夏の終わりを感じます。

少し 寂しい・・・

 

 

8月に入ってから

昼間の猛暑は相変わらずでも、

朝夕の風が変わりましたね。

秋風になりました。

田んぼには、沢山のトンボ。

蝉の声は、つくつく法師に。

庭では バッタやコオロギの姿。

夜 秋の虫の声。

 

 

 

この1ヶ月ほどは

あまりの暑さに 『やる気』を

すっかり奪われてしまって

ぐーたらぐーたら生活でした。

さあ!

今年も残り少なくなってきた。

少しエンジンをかけて、アクセルも踏みましょう。

 

 

*****************

 

 

昨年12月に

向かいのお宅の「ゆず」を沢山頂いて、

焼酎に漬けて『ゆず酒』を作っていました。

  

12月27日に

1キロを柚子ジャムに、

1キロを柚子酒にしました。

瓶のふたに忘れないようにメモを貼って。

3月に実を取り出して、今まで寝かせていたのです。

角が取れて、美味しくなっています。

 

少し早めの秋風を感じながら、

『ゆず酒』の味見をしましょう。

ロックがいいかな。

 

 

**********************

 

 

<簡単 柚子酒>

柚子:1㎏ 氷砂糖:300g ホワイトリカー:1.8L

①柚子を洗い、水分を取り、皮をむく。

②皮についている白いワタをスプーンで取る。むいた皮はお茶パックに入れておく。

③実についている白いワタも取る。

④実(半分に切る)、皮(お茶パックに入れたもの)、氷砂糖、ホワイトリカーを瓶に入れ、1ヶ月後に皮だけを取り除く。

⑤2~3ヶ月後、実を取り出す。

⑥しばらく ねかせる。

 

 

 

 

 

 

 


備蓄を増やそう

2024-08-10 09:33:59 | 日記

昨日 

ドラッグストアへ日用品のまとめ買いに行きました。

日用品は大体3~4ヶ月に一度

台所用、お掃除用、洗濯用など、使うものも 使用頻度もほとんど決まっているので

まとめてストックしています。

このタイミングで、備蓄用の水やお茶、ペーパー類も確認して買うようにしています。

 

 

ドラッグストアで、

いつもは沢山積んでいる水のコーナー

空っぽ!! 

棚は すっからかん!!

「あーーっ、そうか・・」

南海トラフ地震の『巨大地震注意』情報が発表されたから・・。

他に缶詰やペーパー類の棚もずいぶん商品が減っていました。

近所のホームセンターでも水を買い求める人でごった返していたとか。

 

 

*********************

 

 

1995年1月17日午前5時46分

ドーン!!と

布団の中で身体の下から突き上げてくる衝撃に驚き目を覚ましました。

生まれて初めての恐怖に身体が動きませんでした。

それでも

うちの方は震度4。

この地域での被害はありませんでしたが、

段々と被害が明らかになって、

・・・愕然としました。

 

それ以来

パジャマを着て寝ることはなくなりました。

起きてそのまま外に出られるように

Tシャツやジャージで寝ています。

 

 

私が長年パート勤めしていた医院の 院長先生の奥様が

毎年『救急の日(9月9日)』に

家庭用、医院用、の災害・防災グッズを点検していました。

 

医院は3階建てだったのですが、

他に近所に高い建物はなく、

近所の方は台風や非常時には

医院を頼りにしているような空気感がありました。

奥様は、いざという時のために、

炊き出し用の大きな鍋ややかんなどの準備もされていました。

 

奥様の影響で、私も普段から少しずつ

完璧とまでは言えないながら、

防災グッズは整えてきました。

今では

だいたい4,5日は困らないくらいには備蓄できています。(たぶん・・)

 

2018年に関西国際空港の連絡橋にタンカーが衝突した台風、

この地域でも10日ほど停電しました。

幸い断水はすぐに解消したので助かりました。

 

カセットコンロと交換用ガス、電池、

ローソク、ライター、LEDライト、

キャンプ用のクーラーボックス、

大きめの発泡スチロールの箱、は大活躍しました。

 

冷蔵庫、冷凍庫に食料が割合と残っていたのも助かりました。

数日は、それで凌げました。

普段 冷蔵庫を空っぽにしてから買い物に行く、

という人もいらっしゃいますが、

少しは残していた方が良いようにも思います。

(別に災害用の食品ストックがあれば大丈夫ですが。)

冷凍室の空きがあれば、

常にペットボトルに水を入れて凍らせておくのがおすすめ。

停電時、しばらく氷の代わりにもなるし、氷が溶ければ水として使用。

熱中症や発熱時にも身体を冷やすのに使えます。

 

そうそう、

思わぬ役に立ったのが、

クリスマスツリーの飾りに使ったLEDのイルミネーション。

電池式で、意外と明るくて、心も明るくほっこりしたのです。

 

あまりあわてることなく、対処でき、

『備えておいて、良かった』と、奥様に感謝しました。

 

 

 

もし南海トラフ地震が起こったら、

あまりに広範囲になれば

当然 国や自治体の援助をあてには出来ない。

 

自分たちで自分の身を守る。

もう少し 備蓄を増やす必要あり、

ですね。

 

 

 


お墓が盗まれた?

2024-08-08 12:16:55 | 介護

 

十数年前のある日

 

義父:「K子さん、ちょっと」(手招きしながら、小さな声で)

   「お隣のTさんが、

    うちのブロック(塀)を壊して、花壇にしてるんや。

    うちのブロックが盗まれてる・・・」

 

驚いて お隣を見に出てみると、

Tさんがブロックを台にして プランターに可愛い花を植えて並べています。

もちろん我が家のブロック塀は健在です。

 

・・・始まったな 、と思いました。

それまでも ちょっと「??」と思うときはあったものの、

まあまあ (もう85歳)歳は歳だし、

認知症の症状がでても不思議じゃない。

 

ここは、否定せず 

女優になったつもりで

 

私:(ささやくように) 

  「おじいちゃん、ここは事を荒立てずにおきましょう。

   お隣と もう長いお付き合いやし、

   まだこれからもお付き合いをせんといかんから、

   ブロックの一つや二つ、安い物やし、

   私 ホームセンターで買って修理しておきますね。

   これは、私たちだけの胸に納めておきましょう。

   ・・ね。内緒ですよ。」

義父:「そうやな 頼むで」

 

とりあえず 一件落着!

 

その後も、ガレージの作業用のジャンパーが盗まれたり、

うちの墓が盗まれたり。

ちょっと笑うような事件はありましたが、

徘徊をするわけではなく、

おとなしい

私たちにとっては認知症といっても

穏やかで 有難かった。

 

亡くなる前2ヶ月間は市内の病院で入院。

食事の介助に毎日通いましたが、

長男の嫁が来ているとは思っていなくて、

家政婦さんかヘルパーさんだと思っているようでした。

「いつも ありがとうございます。ご迷惑をおかけします。」

と、丁寧に挨拶をしてくれます。

病院の献立によく出ていた佃煮。

私は、義父の好物だと思っていたので、せっせと義父の口に運んでいました。

「もう充分に頂きました。満腹です。ありがとうございます。」

 

義父の死後、

夫からその佃煮は義父は嫌いだった、と聞いて。

えっ 何だって!!!

「きらい」とは言えず、気を遣ってくれたんやなあ。

 

几帳面で、真面目で、人に迷惑を掛けたくない、

という気性は認知症でも変わりませんでした。

 

義父と、

良い思い出ばかりではないけど

認知症の症状が出てきてからの方が 好きだったな。

 

もうすぐお盆

お墓、盗まれてないかしら~??

 

 

 

 

 

 


意外と知らない・・親のこと

2024-08-06 14:32:14 | 家族

実家の父が亡くなる前 2年間は、

車で5分ほどの施設でお世話になった。

 

一週間に2回、

14時頃がおやつの時間だったので

その時間に合わせて 母を連れて洗濯物を交換に行った。

 

おやつを食べながら

日の当たる廊下のベンチに並んで腰掛けて、

母と父と 他の利用者さんやスタッフの方々と

とりとめのないお喋り。

施設の中にいて、おやつの時間は大きな楽しみ。

いつも同じような 意味のない会話だったけれど

悪意のない 損得もない アホなことを言って・・・

 

「父を施設に預けている」という後ろめたさのようなものは

正直ずっとあったので、

面会に行くのが楽しみというわけではなかった。

でも、帰り際に廊下の曲がり角で

『気をつけて帰れよ~』と 

手を振ってくれる父

やっぱり嬉しかった。

 

 

母と施設までの行き帰り、

車の中で 色々話した。

父とのお見合いの話から 

若い頃のこと。

両親は小さな店を営んでいて、

父はスーパーカブで配達に行った。

そのスーパーカブの後ろに乗って

二人で桜を見に行ったとか。

あちこち『スーパーカブ ドライブ』を楽しんだらしい。

!!! 

全く 知らなかった。

父と母にそんな時間があったこと。

 

なんか 嬉しかった

良かった・・・

 

ホントに子煩悩の父だったので、

私たちこどもだけが楽しみだったように、

勝手に思っていた。

 

意外と知らない両親のこと

いや

知らないことの方が多いよね。

 

自分のことばかりで

父母のことなんか ほとんど考えなかった。

 

 

うちの子供達だって

私たち夫婦のこと たぶんほとんど知らないだろうなあ。

まあ 知らなくてもいいし

自分たちの生活を楽しんでくれるのが 一番!!

 

私が死んで

このブログに気がつくことがあれば

「へぇ~~お母さん、ブログ書いてたんや~」

なんて、

不思議な顔をするだろうか・・・

ちょっと見てみたい