最近はめったに聞かないラジオを、友人宅で何となく聞いていたら、視聴者から、カーペン
ターズの「トップオブ・ザ・ワールド」がリクエストされた。トップオブ・ザ・ワールド…な
んて懐かしい曲なんだと、しばし瞑想した。俺は、山口県から家出同然で大阪に出てきて、
ボーリング場で働いたのだが、そこで友人ができた。その友人は、千葉県の銚子市から全国
を放浪したのち、大阪に来て、あまり審査の厳しくないボーリング場に就職した。まったく、
自分と同じ過程である。
ほぼ同じ時期に入社したので、会社の寮で同じ部屋になった。彼は無口な男だったが、それ
でもいろいろ話をした。彼との共通項は音楽だった。彼はロックが好きで、毎日黒人のロック
を聴いていた。特にチャック・ベリーが好きだった。チャック・ベリーはビートルズや、ロ
ーリングストーンズに影響を与えた名シンガーである。
そんな時、俺は一枚のレコードを買った。それが「トップオブ・ザ・ワールド」である。彼は
軽蔑した目で俺を見た。「カーペンターズ?」と…。「俺は、心にビビッときた歌がええ曲だ
と思っている。ジャンルは問わん、ええもんはええんや!」と、言った。いろいろな力関係は
断然俺のほうが上で、彼はそれ以上は何も言わなかった。
「トップオブ・ザ・ワールド」はたいしてヒットしなかった。でも俺は毎日その曲を聴き、ハ
ミィングしていた。確かにカーペンターズの中では特別ヒットした曲ではなかったけど、俺に
とっては、カーペンターズの魅力が一番出ている曲と信じて疑わなかった。と言うより、自分
の耳に一番合っていたのだ。
それから一年後、彼は肺結核で銚子に帰った。毎日夜中に咳をしていたので医者に連れていくと
、レントゲン検査でそれが判明した。彼はやむなく帰郷し、地元のサナトリウム(長期療養の施
設)に入った。そして、一年後に見舞いに行くと、彼は外出許可をもらい、実家に案内してくれ
た。実家は決して裕福ではなく、彼と両親、弟、妹含めて7人で晩飯を食べたが、誰もモノを言
わず、ひたすら飯を食った。それがおかしくて笑ったら、皆からヒンシュクの目で見られた(笑)。
一年後に彼は亡くなった。その三か月前に彼から手紙をもらったのだが、「カーペンターズはいいな。
特に、君が好きだったトップオブ・ザ・ワールドはいいいよ」と書いていた。ちょうどその時期に、何
かのコマーシャルでこの曲が使われ、リバイバルで大ヒットしていた。音楽、小説、絵画などの芸術は、
その時代に合うかどうかでずいぶん価値が変わってくる。
彼のことは忘れていたが、また思い出した。部屋の天井を見て、「おお、久しぶり!」と、声を掛けた。
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