このブログで、たびたび書いているのが、「12月は嫌いだ!」である。それは、弥生という女性と、4年前に別れ、
師走、クリスマス、大晦日の喧騒がマイナスイメージになっているからに他ならない。
特にその年の大晦日の寂しさは、今も涙なくしては語れない(笑)。当時のブログを見ると、『夜の10時ごろ
、桜ノ宮の駅を降りると同じ方向に歩いている人は4、5人だったが、川べりの道で一人になり、近くの高層
マンションから家族、グループの歓声が聞こえた。大晦日だから、酒席が盛り上がっているに違いなかった。
都島大橋を渡るときに強烈な寒風が吹き、思わず両手で耳を押さえた。その時の俺は、まるでムンクの「叫び」
そのものだった』と、書いてあった。
彼女とは20歳も年が離れていた。8年の同棲生活の中で、俺は父親的な感情に陥っていた。問題は子供を産んで
いいかどうかだった。彼女は、「子供は要らない」と言ったが、それが本音でないことは分かっていた。
俺と同棲していることを知らない両親が、「早く結婚して、可愛い孫を見せて!」と望んでいたからである。
運命の12月2日、初めて朝帰りした彼女は、「好きな人ができました!」と、俺に告げた。その男性と肉体関係
があったわけではなく、夜通し俺の存在について語りあったらしい。いかにして、俺に二人の未来を説明するか…。
二人は仕事の関係、ひとつ彼が年上で半年ぐらい前から知り合いだったが、恋愛感情はふとしたきっかけから生まれたと言う。
俺はその話を聞いて、彼女の前から姿を消すべきだと思った。彼女は俺のことが嫌いになったわけではない。
「まだ、私を好きになってくれる男性がいたことにびっくりした」と言ったが、弥生は当時35歳である。容姿は水準以上、
なにより性格が良かった。優しく素直。他人の悪口を言ったことがなく、決して出しゃばらない日本女性の鏡のような人だった。
その男はビビっていた。20歳もちがう女をものにした?ギャンブル新聞の壮年の男ということで、やくざやさんのようのもの…と、
イメージ(笑)。時々、「やっぱりこの関係は無理だ!」なんて弱音を吐いていたらしい。だから、弥生には言っていた、
「彼氏に会うつもりはないから心配するな」と。
結局別れた。それから4年である。彼女は今、ある月刊誌の副編集長になっている。彼女が記者見習いとしてその会社に入った時に、
他社の編集長(専門的な新聞)だった俺は、彼女の文章力、構成力のなさに毎晩指導、添削していた。しかし、素直な彼女は、
見る見るうちに実力をつけていった。
今、迷っているのは、彼女に、「うまい酒を飲んでいるか?」と、メールを送ろうかどうかである。別れてから一度も連絡した
ことがないのはポリシーだったが、男運が悪い女性だっだたけに、その後が気になるのだ。その男性と結婚して子供も生まれ、
幸せになっていることを祈るのだが、その雑誌での名前が旧姓なのである。雑誌だから、旧姓はあるのだが、実際はどうなのか?
こう書くと、『あなたはまだ彼女に未練たっぷりですね』と言われるだろな。でも、俺は99%吹っ切れている!本当に彼女の
幸せを祈っているのだが、それなら今までどおり、連絡しないのが一番なのだろう。
本当に心配しているのだが…。