▽歌って脳に良いらしいんですよ。
左脳と右脳両方使うから。
論理的な事柄は左脳、感性的な力は右脳。
左脳で歌詞を理解し、右脳で音を受け取る。
脳こうそくで倒れて言葉がうまく出なくなってしまった人の枕元で、その人が発病前に暗記するくらい歌っていた歌を歌い続けたら
徐々に言葉の力が回復していった、という事例もあるらしいです。
これは右脳と左脳にほぼダメージがなく、二つの脳をつなぐ脳梁という組織が壊れてしまっていた場合限定かもしれませんが。
両脳に習慣になっていた刺激が行き、情報がつながりやすくなったと。
喧嘩していた二人が音楽で再び友情を取り戻し昔の夢を追い始めた、的な。
うーん。分かりづらい例え。
▽左脳が論理、右脳が感覚とはいえ、右脳と左脳で能力が完璧に分けられているかと言われれば
決してそんなことはないです。
得意分野が論理的なことか感覚的なものかというかというだけで。
芸術家が話下手かと言われたらそんなことはないし、音楽を理解できないプログラマーもいない。そんな感じ。
だから脳の一部の機能に支障が生じたら無事な部分がその機能を補おうとします。
組織の中の誰かが病気で倒れたら他のやつらがそいつの仕事を引き受けてなんとか体制を保とうとするイメージ。
で、実際に壊れた脳の機能を補えているらしいです。
見てきたわけではないので全然実感ないですが。
つまり音楽的センスを理解するのは右脳だけじゃないし、文章を読んで楽しめるのは左脳だけのおかげじゃない。
得られた情報は脳梁を通って常に右と左を行ったり来たりして、そこからいろいろなことを判断したり考えたりすると。
▽だから文章も上手く伝えるため、というか印象に残すためにはリズムが大切なんですよ。
それは韻を踏むとかそういうことではなく、
まぁそれも大切なんだけれども、
もっと文全体にわたるリズムが重要というか・・・。
内容的には同じことが書いてあってもすらすら読める文章とそうでもない文章があるじゃないですか。
あれってリズムが関係してると思うんですよね。
例えば、
今日は○○というイベントがありました。
このイベントは昨年に引き続き◆◆という想いから開催しました。
合計で■人の方々に参加してもらいました。
参加者みなさんそれぞれが楽しんでいらっしゃいました。
という文章と
今日は○○というイベントがありました。
このイベントは◆◆という想いをもって去年から開催しています。
合計で■人の方々にご参加いただきました。
参加者のみなさんそれぞれに楽しんでいただけたようです。
という文章。
書いてあることは同じなんですが、下の方がなんとなく読みやすくないですか?
上の方は文の最後が全部「ました」で終わっていて、単調というか、退屈な文章になってる。
僕はそう感じます。
あえてそうやって人目を引く技法もありますが。
まわりが六調子なのにそこだけ八調子だったら目立ちますもの。
各文の最後を変えるだけで文章って印象がガラッと変わります。
▽She.Sees.the Sea!では頻繁に冊子を作成していて、
そこに載せる記事のチェックなんかも会議なんかでしたりするんですが、
僕だけチェックする観点が、なんか違う。
他の人はレイアウト、誤字脱字、伝えようとしている内容に重点を置いてチェックしてる感じ。
けど僕は語尾にまず注目がいっちゃう。
リズムをとりたがる。
で、校正(というかコメント)を入れちゃう。
「ここは『~だと思いました。』よりも『~だと思います。』の方がいいかな くわ」
みたいな。
チェックされた側からしてみれば
「こまけぇなこいつ」と思っていたのかもしれません。
「内容に変化はないんだからいいだろうが」とか。
いやいや。読み手を意識していない文章ほど面白くないモノはないぜ?
内容も大事だが体裁も大事だ。
人は見た目が9割っていうでしょう。
それだよ。
面白い文章かどうかもリズムが7割だよ。
「伝わる文章」、「印象に残る文章」これノットイコールね。
どうせ記事にするなら両方目指しなよ。
▽とはいえ、音楽に好みがあるように
文章の体裁にもいろいろな形がある。
僕が求めているリズムと記事を書いた人が求めているリズムにはずれもあるでしょう。
音楽性の違いってやつですよ。
それはわかってるので、チェックで入れたコメントの語尾はだいたい「~かな」と書いて、
ちょっと謙虚さをアピールしています。
「僕はこっちの方がいいと思うんだけど、判断は任せますよ」
という想いをこめて。
いちいち「僕は~の方がいいと思うんだけど、判断は任せますよ」と書くより「~かな」の方が書くの簡単だし。
そこは伝わっていてほしい。
▽このブログの過剰な改行、
これも自分なりに読みやすい文章を目指してできた形です。
こうやって文章を書くとよりリズムを感じることができるのです。
え、読みづらいですか?
あなたとは音楽性が合いそうにないなぁ。
左脳と右脳両方使うから。
論理的な事柄は左脳、感性的な力は右脳。
左脳で歌詞を理解し、右脳で音を受け取る。
脳こうそくで倒れて言葉がうまく出なくなってしまった人の枕元で、その人が発病前に暗記するくらい歌っていた歌を歌い続けたら
徐々に言葉の力が回復していった、という事例もあるらしいです。
これは右脳と左脳にほぼダメージがなく、二つの脳をつなぐ脳梁という組織が壊れてしまっていた場合限定かもしれませんが。
両脳に習慣になっていた刺激が行き、情報がつながりやすくなったと。
喧嘩していた二人が音楽で再び友情を取り戻し昔の夢を追い始めた、的な。
うーん。分かりづらい例え。
▽左脳が論理、右脳が感覚とはいえ、右脳と左脳で能力が完璧に分けられているかと言われれば
決してそんなことはないです。
得意分野が論理的なことか感覚的なものかというかというだけで。
芸術家が話下手かと言われたらそんなことはないし、音楽を理解できないプログラマーもいない。そんな感じ。
だから脳の一部の機能に支障が生じたら無事な部分がその機能を補おうとします。
組織の中の誰かが病気で倒れたら他のやつらがそいつの仕事を引き受けてなんとか体制を保とうとするイメージ。
で、実際に壊れた脳の機能を補えているらしいです。
見てきたわけではないので全然実感ないですが。
つまり音楽的センスを理解するのは右脳だけじゃないし、文章を読んで楽しめるのは左脳だけのおかげじゃない。
得られた情報は脳梁を通って常に右と左を行ったり来たりして、そこからいろいろなことを判断したり考えたりすると。
▽だから文章も上手く伝えるため、というか印象に残すためにはリズムが大切なんですよ。
それは韻を踏むとかそういうことではなく、
まぁそれも大切なんだけれども、
もっと文全体にわたるリズムが重要というか・・・。
内容的には同じことが書いてあってもすらすら読める文章とそうでもない文章があるじゃないですか。
あれってリズムが関係してると思うんですよね。
例えば、
今日は○○というイベントがありました。
このイベントは昨年に引き続き◆◆という想いから開催しました。
合計で■人の方々に参加してもらいました。
参加者みなさんそれぞれが楽しんでいらっしゃいました。
という文章と
今日は○○というイベントがありました。
このイベントは◆◆という想いをもって去年から開催しています。
合計で■人の方々にご参加いただきました。
参加者のみなさんそれぞれに楽しんでいただけたようです。
という文章。
書いてあることは同じなんですが、下の方がなんとなく読みやすくないですか?
上の方は文の最後が全部「ました」で終わっていて、単調というか、退屈な文章になってる。
僕はそう感じます。
あえてそうやって人目を引く技法もありますが。
まわりが六調子なのにそこだけ八調子だったら目立ちますもの。
各文の最後を変えるだけで文章って印象がガラッと変わります。
▽She.Sees.the Sea!では頻繁に冊子を作成していて、
そこに載せる記事のチェックなんかも会議なんかでしたりするんですが、
僕だけチェックする観点が、なんか違う。
他の人はレイアウト、誤字脱字、伝えようとしている内容に重点を置いてチェックしてる感じ。
けど僕は語尾にまず注目がいっちゃう。
リズムをとりたがる。
で、校正(というかコメント)を入れちゃう。
「ここは『~だと思いました。』よりも『~だと思います。』の方がいいかな くわ」
みたいな。
チェックされた側からしてみれば
「こまけぇなこいつ」と思っていたのかもしれません。
「内容に変化はないんだからいいだろうが」とか。
いやいや。読み手を意識していない文章ほど面白くないモノはないぜ?
内容も大事だが体裁も大事だ。
人は見た目が9割っていうでしょう。
それだよ。
面白い文章かどうかもリズムが7割だよ。
「伝わる文章」、「印象に残る文章」これノットイコールね。
どうせ記事にするなら両方目指しなよ。
▽とはいえ、音楽に好みがあるように
文章の体裁にもいろいろな形がある。
僕が求めているリズムと記事を書いた人が求めているリズムにはずれもあるでしょう。
音楽性の違いってやつですよ。
それはわかってるので、チェックで入れたコメントの語尾はだいたい「~かな」と書いて、
ちょっと謙虚さをアピールしています。
「僕はこっちの方がいいと思うんだけど、判断は任せますよ」
という想いをこめて。
いちいち「僕は~の方がいいと思うんだけど、判断は任せますよ」と書くより「~かな」の方が書くの簡単だし。
そこは伝わっていてほしい。
▽このブログの過剰な改行、
これも自分なりに読みやすい文章を目指してできた形です。
こうやって文章を書くとよりリズムを感じることができるのです。
え、読みづらいですか?
あなたとは音楽性が合いそうにないなぁ。
どうやったらみんなが楽しく読んでくれる文章を書くことができるのかは永遠のテーマやと思うわ('ω')
音楽には好みがあるから、最後は
「あなたとは音楽性が合いそうにないかな。」
ってくるかと思った