近況はこんな感情

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蛸壺やはかなき夢を夏の月

2017年11月15日 09時20分15秒 | 枕電子計算機
▽昨日は一般受けの良くない日本語について考えたので

今日はもうちょっとちゃんとします。

すみませんでした。


▽去年も履修した日本語学演習という講義を今年も履修しています。

過去にこの講義関係で調べたことを書いていたところ、「水を得た魚のよう」という評価をいただいたように

非常に楽しい。


▽幕末に佐賀で書かれた戯作を読んでいます。

原本ではなくてたぶんそれなりに権威のある人が活字に直してくれたやつ。

言葉遣いは古いけど家庭用の学習用古語辞典に載っている用例では古すぎる。

高校までは主に平安時代の作品を読むから、語彙は中世での意味が中心。

近代、明治直前の時代にはすでに変化しているものも多い。

かといって家庭用の国語辞典では用例が新しすぎる。

明治・昭和と大きく日本が変わり、日本語もそれに合わせて大きく変化した時代。

語ができた当初の意味がこれで現代はこう。文脈から判断するに現代よりの意味だな、とか、

以前書いた日本国語大辞典で同時代の用例を探して検討をつける。

面白いんだこれが。

この演習で身に着く日本語を調べる方法・・・。

先生がこの題材を毎年やり続ける意味はここにあったのか。



▽作品は『東海道中膝栗毛』のような戯作で『伊勢道中不案内記』という、熊本の武士がお供と一緒にお伊勢参りをしようと日本を旅する話。

今やっているところは一行が兵庫あたりに着いて、源平合戦ゆかりの地をめぐったりするという観光シーン。


▽一行は松尾芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」という碑を見つけ、

それを見た兵庫の案内人の文吉が「時に芭蕉と言へは、方々で死た人でこさり升ねへ」と言う場面が。

現代語に訳すと「ところで芭蕉といえば、色んなところで死んだ人でございますねぇ。」というところかなと思われます。

が、松尾芭蕉について調べると、死に場所ははっきりしている。

お墓も遺言通りに木曽義仲の隣に建ててある。

???「例えば、キリストの十字架のかけら。それって世界中の博物館や教会に寄贈されているものを全て寄せ集めると十字架40個分にもなると云われているんだ。歴史的遺産とは、偶然や嘘が重なって増えるんだよ。」

とは言うけれども、芭蕉も一行も同じ江戸時代の人。わけが違いそう。


▽文吉はなぜ「色んなところで死んだ」と言ったのだろう。

佐賀や伊勢神宮に比べれば岡山から明石は近いっちゃ近いけどわざわざそれを調べるために行くほど暇でもないので、

この石碑がどういうものかを画像で探してみました。

科学の力ってスゲー。


(牛久市森田武さん撮影)

ただこれが文吉たちの見たものなのだろうか。いつできたもんかがわかんねぇ。下舗装されているし。

で、「蛸壺や...」の句で方々探してみるといいサイトが出ましたよ。

「柿本神社~碑巡り~」『私の旅日記』http://book.geocities.jp/urawa0328/hyougo/hitomaru.html

ここには「明和5年(1768年)、加古川の山李(青蘿)は人丸山下に芭蕉の句碑を建立。10月18日、蝶夢を招いて句碑供養をした。」とある。

幕末の頃にはすでにあったようですな。街の近代化に伴い移動はさせられているようですが。

句碑供養っていうものがあるんですね。

縁の地に、その地で詠んだ句の碑を立てる。

確かに見た目も墓っぽい。

文吉はきっとそういう風習をよく知らないで、この句碑そのものが芭蕉のお墓なのだと勘違いし、

色々なところに芭蕉の句碑があるものだから色んなところで死んだと思い込んでいるんだ。

なるほどねー。


▽ただここで頭をかすめる「ほうほう(這う這う)の体で逃げ出した」という言葉。

ちなみに辞書引くまで「ほうぼうのてい」だと思ってました。

この言葉に対する個人的なイメージが「ひどい目にあって服とかボロボロでなんとか逃げ出す」というものだったので、

「ほうほう」には「ボロボロ」につながる意味があるのではないかと考え始める。

芭蕉の晩年について、弟子の仲違いを仲裁する心労が病状を悪化させたと言われてる(wiki情報)ことも考えるに、

文吉は教養人で、俳句についても明るく、「芭蕉はひどい死に方でしたねぇ」と言ったのではないか!?


▽「ほうほうのてい」を調べてみる。

手元の辞書にはどれも「這うような格好でその場から去る、逃げる様子」とある。

別に「見てくれが酷い様子」とは書いていない。

頑固者なので仮説の通りになんとかごり押しできないか日本国語大辞典に当たってみる。

基本的には他の辞書と同じような意味。ただ、方言として

「ほうほ」長崎 散々な様子 とある。

長崎の方言で「ほうほ」は散々な様子を表すんだ。

この戯作の作者は佐賀出身、長崎も遠くない。

他の漢字を充てただけ!(他の場所で「掛値」を「懸直」とか書いてる)

これ文吉教養人説あるで!


▽と思ったけど、ま、句碑を墓と勘違いしたんだろうなぁ。

そのあと句について「私の様なものには意味がさっぱりわかりません」とか言うし。

とはいえ、「ほうぼう」じゃなくて「ほうほう」だったという間違いに気づけたし、

可能性ゼロではないじゃない?くらい言える根拠も見つけたので僕満足。

楽しいんですよ!こういうのが!(3回目)

▽ちなみに「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の句の意味は学研全訳古語辞典によると

夏の月が淡く照らすこの海の底、夜が明ければとらえられる身の上とも知らない蛸が、蛸壺の中で短夜(みじかよ)のむなしい夢を結んでいることだろう。

ということらしい。

この学研辞書の面白いところは有名な和歌や俳句そのものが見出し語になっていることに加え、「鑑賞」というロゴタイプの下にその作品の評価、他への影響などに触れた鑑賞文を載せていること。

「蛸壺や...」の鑑賞は・・・

蛸のこっけい味と、明日の命も知らぬその身の悲哀とが、一句のうちに一つになっている。季語は「夏の月」で、季は夏。

ふーん。たこのこっけいみ・・・。こっけいみ?


電子辞書を開いて「滑稽」を確認。派生-滑稽さ。「み」は一般に着かない!

Twitter以外で見られる「-み」の新しい用例やんけ!

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