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コンサートの感想などを書き連ねます。

東京シティ・フィル第359回定期(3月18日)

2023年03月19日 | コンサート
このところ年度最終の定期に大曲を並べているシティ・フィル、今年も昨年に続いってショスタコヴィッチで交響曲第7番である。その前に置かれたのは、新進気鋭の佐藤晴真をソリストに迎えて、とても珍しいカバレフスキーのチェロ協奏曲第一番ト長調。佐藤のチェロは惚れ惚れするような美音で、滑らかな弓捌きが実に鮮やか。ロシア民謡をフューチャーした曲の楽しさを十二分に引き出した佳演だったと思う。アンコールのバッハの無伴奏も実に素直な美しい演奏だった。これからの活躍を期待したい。メインの交響曲はナチス・ドイツのレニングラード侵攻中に作曲が開始され、国威発揚的な扱いを受けた曲であることが有名だが、今回の高関の演奏はそんなことを脇に置いた理性的なコントロール下の純音楽的な解釈だったと言ったら良いだろうか。そこには力づくの咆吼も涙の感傷もなく、スコアを考え抜いて音にしたという感じだった。しかし学者的な真向臭さは一切ないのが良かった。「戦争の主題」の高揚や最後の「人間の主題」の回帰の迫力は並大抵なものではなく、そこから聞かれたのはショスタコの筆致に導かれた凛とした音楽の立派さだった。このところ実力をつけてきたシティ・フィルも力の限りを尽くした演奏だったが、力づくでないので音楽が決して汚くならず、思わず襟を正したくなるような格調の高さを滲ませた。シティ・フィルはこれで充実の2023年シーズンを閉じるわけだが、プログラム上で公知された首席フルート奏者竹山愛の退団は実に残念である。これにより、このオケの数々の美演を支えた鉄壁の木管アンサンブルがどう変容するのだろうか。

東京シティ・フィル第358回定期(2月17日)

2023年02月18日 | コンサート
四年ぶりに川瀬賢太郎が登場して「怒りの日」で繋ぐプログラム。ソリストにN響のゲスト・コンマスも務める郷古廉を迎えた若き才能の眩しいコンサートだ。一曲目はイギリスの現代作曲家ジェームス・マクミランのバイオリン協奏曲だ。2009年に作られた所謂現代音楽にしては、自己満足的でなく聴衆を普通に楽しませてくれる音楽だ。ラベルのピアノ・コンチェルトを思わせる鞭の音ではじまったのにはいささか驚いたが、全体は決して聴きやすい音楽の垂れ流しではなく、「怒りの日」の引用があったり人の声が使われたりで創意に満ち、聞くものの感性を次から次へと刺激してくれる。華麗なテクニックとストラディバリの滑らかな音色に支えられたしなやかな郷古のソロはこの名曲を引き立てた。アンコールはイザイのバイオリン・ソナタ2番の2楽章。最後にしめやかに「怒りの日」が登場する。メインはベルリオーズの幻想交響曲だ。獅子奮迅の川瀬による爆炎系の演奏になるのではと予想していたのだが、この日の川瀬は実に細やかにオケをコントロールして予想を見事に「裏切」ってくれた。一楽章は少し停滞気味で流れや歌を欠いた所があったものの、2台のハープを舞台前面両側に配置した二楽章あたりから調子が出始めた。イングリッシュホルンやフルートやバスーンのソロも鮮やかだった。ダイナミックの変化や弦のアーティキュレーションへの十分な気遣いが音楽に立体感を与え、時として現れる爆発も決して汚くならずにシャープに決まる。シティ・フィルも絶好調で熱く内部で燃えながらも均整のとれたスタイリッシュな「幻想」だった。

紀尾井ホール室内管弦楽団(2月10日)

2023年02月11日 | コンサート
注目の指揮者マクシム・パスカルが紀尾井に登場した。そしてソリストは鬼才ニコラ・アルシュテットだ。まず最初はフォーレの組曲「マスクとベルガマスク」+「パヴァーヌ」。初っ端からフランス的な音色に耳をそばだてた。何とも表現し難いが、透明で軽やかでいつもの重厚な紀尾井の音とは明らかに違う。木管が浮き出てそのニュアンス豊かな表現が心に染みる。2曲目はアルシュテットの独奏でショスタコヴィッチのチェロ協奏曲第1番変ホ長調。ソロは恐ろしく雄弁で技巧的にも完璧。そしてショスタコの機知に富みつつ深刻な内容をも含んだ音楽を実に見事に表現した。第二楽章と三楽章の祈りにも似た内相的な表現、そしてフィナーレの快速な超絶技巧。作曲家の持つ多面的でカメレオン的な要素を包み隠さず引き出した名演だった。それにピタリと追従したパスカルの指揮にも心が踊った。頻出して重要な役割を持つ日橋辰朗のホルンも秀逸な出来だった。アンコールはバッハの無伴奏組曲の中の一曲だったが、そこではしなやかであると同時に、静謐で思索的な深い音楽が溢れ出て、このチェリストの持つ音楽の多面的を知ることができた。休憩を挟んでは、ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調作品60だ。この交響曲は9つの中で比較的目立たない存在なので、一晩のプログラムのメインに据えられることはまずない。しかしこの演奏を聞いてメインに据えられた理由が分かった。とにかくこれまで聞いたことがないような4番だった。快速で進められる中で、作曲者がこの曲に盛った新奇性が次々に明らかになるのである。例えるならば、まるでベルリオーズの幻想交響曲を聞いているような感触だった。ドイツの伝統に則ったベートーヴェンでは決してないのだが、この曲が秘めた大胆な仕掛けを創意に富む表現でさらけ出し、この曲の価値を明らかにした滅多に出会えない演奏だったと思う。ファゴット、クラリネット、フルート等のソリスト達の鮮やかな名技も聴き映えした。

東京シティ・フィル定期(1月28日)

2023年01月29日 | コンサート
常任指揮者高関健指揮する東京シティ・フィル2023年の幕開きは、実演で聞くことがかなり珍しいベートーヴェンの「献堂式」序曲。この曲、最晩年の作品だがどうもインスピレーションに欠けていてる。大フーガを思わせる展開もどこか中途半端に終わっていて聞き映えがしない。続いて2021年国際ショパンコンクールで4位に入賞した小林愛美を迎えて、同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37。進化したエラール・ピアノの機能性に多くの影響を受けたと言われるダイナミックなソロ部分と、それを支える充実したオーケストレーションが特色とされる曲だ。しかしこの日の小林の方向性は、そうした力感よりもむしろ細部の沈鬱な表現に向いており、どこか釈然としないものが感じられた。一方オーケストラはスコアを反映して実に表情豊かに立派に鳴り渡ったので、高関にしては珍しくいささかバランスを欠いた仕上がりになった。シティ・フィル定期としては珍しい満場の聴衆(愛美効果か?)からの大きな拍手が続いたがアンコールは無し。一方休憩後R.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」作品40は、このところ好調のシティ・フィル面目躍如の充実した演奏だった。高関のプレ・トークによると、この曲は指揮者志望の音楽家の多くが「振りたい」と所望する曲だそうだが、高関は決して大振りすることなく、煽ることもなく実に丁寧に音を紡いでゆく。しかしそこからは外連味に満ちたシュトラウスの華麗な世界が溢れ出る。これはまさに演奏行為の理想型ではないか。このゴージャスな音響世界に浸ることで前半の欲求不満は解消されて帰途につくことができた。

KCO名曲スペシャル:ニューイヤー・コンサート2023(1月21日)

2023年01月24日 | コンサート
2021年の年頭に企画されていながら、新型コロナによってホーネックの来日が果たせずに開催できなかった紀尾井ホール室内管弦楽団ニューイヤー・コンサートのリヴェンジである。指揮とバイオリンはこの楽団の名誉指揮者ライナー・ホーネックである。前半はモーツアルトの二曲をヨハン・シュトラウスの先輩格ヨーゼフ・ライナーの作品がアーチで結ぶ組み立て。歌劇《魔笛》K.620より序曲、ワルツ《モーツァルト党》op.196、そしてヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調 K.207だ。幕開きに胸をときめかせる序曲と、聞き知ったメロディが散りばめられたワルツ、そして軽やかで気品に満ちたホーネックの独奏は後半への最良のアペリティフだった。そして後半はおなじみシュトラウス兄弟のワルツとポルカ。もうこれらは言うことなし。まるで元旦のムジークフェライン・ザールが紀尾井ホールに引っ越してきたような楽しさだった。とにかく軽やかでキレが良く、同時に華やかで、時には憂いが感じられる独特の歌い回し。ホーネックの薫陶を得て紀尾井のアンサンブルは実に見事にウインナ・ワルツをものにした。いつもは黒尽くめのメンバーだが、この日はカラフルなドレス姿の女性奏者が華を添えた。とにかく最高に楽しいい2時間。ニューイヤー・コンサートお約束のアンコールの「蒼きドナウ」や拍手を交えた「ラデツキー行進曲」が無かったのもむしろ潔く新鮮だった。欲をいえば、もう一曲くらいワルツが欲しかった気もしたが、それは贅沢というもので、土曜の午後の2時間余を堪能した。この日はかなり多くの児童親子が招待されていた。概ねは静かに、そして楽しげに耳を傾けて聞いたのでクラシック音楽普及の為に誠に良いことだと思った。しかし私の席の近くの親子は四六時中ヒソヒソと小声で話しているのにはいささか閉口した。こういう時にこそ、大人の世界のマナーを教える絶好のチャンスなのではないだろうか。備忘録として以下に当日後半の演奏曲目を記しておく。ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇《こうもり》より序曲、ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ《小さな水車》op.57、ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル《チクタク・ポルカ》op.365、ワルツ《レモンの花咲くところ》op.364、新ピチカート・ポルカ op.449、ポルカ・シュネル《観光列車》op.281、ワルツ《南国のバラ》op.388、ポルカ・シュネル《山賊のギャロップ》op.378、(アンコール)ポルカ「狩」、トリッチ・トラッチ・ポルカ、以上終演。

第17回ベートーヴェン弦楽四重奏【9曲】演奏会(12月31日)

2023年01月03日 | コンサート
コロナ禍で暫くの間ご無沙汰していた大晦日の定番演奏会に久しぶりで出かけた。まずは初回から出場しているベテランの「古典四重奏団」によるラズモフスキーの3曲である。この作品群は力に満ち溢れる中期の傑作だが、この団体の演奏で聞くと落ち着いた、ときには禁欲的な風情を漂わせ、後期に通じるものをも感じるから不思議だ。しかし同時にこのあたりの曲だと第一バイオリン主導のスタイルが際立ち、立体感が遠のいて一面的な印象を禁じ得なかった。続いては作品127, 130,そして作品133の大フーガだ。こちらは前回登場して話題をさらったし俊英、「クアルテット・インテグラ」が担当した。私は初めて接したのだが、そのしなやかな流動性の中に若々しい閃きを感じさせる演奏は秀逸だと感じた。換言すれば、ベートーヴェン後期の作品の中に潜んだ新たな魅力を発見したとも言えるだろう。第二バイオリンの菊野凛太郎が時に第一につき、時にビオラ&チェロにつき、ベートーヴェン後期のスタイルを見事に体現して秀でたリードを示していたのがとりわけ印象的だった。これからがとても楽しみな団体だ。最後は16回目の出場になる「クアルテット・エクセルシオ」による作品131, 132, 135だ。今回の「インテグラ」のように眩しく楽壇に登場したこの団体も、良くも悪くももうすっかり落ちつて貫禄がつき、チェロが少し前に出た最良のバランスの中で安心のアンサンブルが繰り広げられた。

第337回ICUクリスマス演奏会(12月10日)

2022年12月11日 | コンサート
リーガーオルガンを備えた国際基督教大学礼拝堂で開催されたバッハ・コレギウム・ニッポンとIUC有志による演奏会。曲目はJ.S.Bach作曲の「ミサ曲ロ短調」。指揮の佐藤望以下、声楽陣は清水梢、小林恵、杉田由紀、河野大樹、中川郁太郎。30人に満たないオケとほぼ40人の合唱という編成ながらその響きは十分にチャペルに響き渡った。プログラムを読んで、モダーン楽器を使いつつ古楽的なアプローチを目指す演奏かなと思ったのだが、独唱陣はオペラティックな歌唱が目立ったし、一方でホルンはナチュラルだったしと、ちょっとポリシーが不明なところもあった。また合唱については男声が弱く(人数が少ない)ポリフォニックな響きが十分に味わえなかったのが残念だった。とは言えこのバッハの傑作の偉大さにあらためて感動し心が震えた。とりわけ今の時期、フィナーレの”我らに平和を与え給え”は心に沁み、思わず手を合わせずにはいられなかった。

東響第89回川崎定期(11月27日)

2022年11月28日 | コンサート
2015年以来一曲づつ続けてきたベートーヴェン交響曲全曲演奏を完結する記念すべき演奏会だ。本来2020年4月完結の予定だったが、それがコロナ禍で今回に延期されたものである。ただし、今回はリゲティ等の斬新な現代曲との組み合わせはなく、シューマンの比較的演奏会で聴かれることが珍しい「マンフレッド」序曲、それとバイオリン協奏曲ニ短調との組み合わせとなった。その意図は私などにはどうも判らず仕舞いだ。ともあれまずは序曲だが、同じ音型の繰り返しと、どこか不自然なオーケストレーション。もちろん細部に注力した表現をしまくるノットには敬意を表するが、さすがのノットでも如何ともし難いという感じ。続いてのアンティエ・ヴァイトハースを迎えたバイオリン協奏曲も、やはり曲としての纏まりや冗長さには疑問があるものの、ここではソリストが曲を曲以上に聴かせた感がある。2001年のペーター・グライナー製のバイオリンがよく鳴り、そのまるで話しかけられているような弾きぶりに思わず耳を傾けずにはいられないのだ。細やかに、じっくりと弾き進むその音楽は、心の襞にまとわりつき、聞く者の心を別世界に運んでくれた。細やかさを尽くしたアンコールのBach無伴奏パルティータでは、そんなヴァイトハースの世界が全開した。最後はヴィブラートを抑えてすきりとスタイリッシュに響くベートーヴェンの交響曲第2番。とはいえストレートの快速調ではなく、ちょっとスピードを落として続くメロディをフワッと浮き上がらせるような所もあり、時代に挑戦するような過激なスタイルで登場した「古楽スタイル」の一つの落ち着き先を聞かせてもらったような爽やかな演奏だった。とは言えそこに先鋭的なこの作曲家の音楽を十分に聞き取ることは出来た。

新日フィル定期すみだクラシックへの扉第11回(11月18日)

2022年11月19日 | コンサート
来年4月から京都市響の常任指揮者に就任予定の沖澤のどかを客演に迎えてたウイーン音楽で構成された落ち着いたマチネ。スターターはモーツアルトのフリーメーションのための葬送音楽K.477。コンサートでは滅多にプログラムに載らない曲で、私も生では初めて聴いた。まあレクイエムが始まるような雰囲気の佳作だ。演奏のほうは、先ずは腕鳴らしといったところ。続いてバリトンの大西宇宙を迎えて、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」。注目の大西の歌唱は多少一本調子の感じで、もう少し細やかな感情が欲しいと感じた。一方オケの方は単なる伴奏の枠を大きく超え、仔細な表現が光る極めて雄弁なもので、沖澤の実力をおおいに感じた。休憩後のブラームスの交響曲第4番はスッキリした流れで良く歌うとても居心地の良い演奏。そしてバランス良くフォームに乱れがないので品格が漂う。快速のスケルツオあたりからエンジンがかかり始め、最終楽章のフィナーレに向かってジワジワと白熱へ向かっていった。ただオケの反応は全体としては少し硬めで、アンサンブルにも多少の乱れが聞こえたりで、そのあたりは慣れの問題もあると思うので、回を重ねるうちに(全3回公演なので)改善され、より白熱した演奏が聴かれるような気がした。

東京シティ・フィル第356回定期(11月10日)

2022年11月11日 | コンサート
今年生誕150年と160年を迎える英仏二人の作曲家を集めた興味深い一夜である。指揮は当団首席客演指揮者で英国音楽を得意とする藤岡幸夫だ。まずはひそやかにラルフ・ヴォーン=ウイリアムズの「トマス・タリスの主題による幻想曲」から始まったが、シティ・フィルの弦の音の美しさに度肝を抜かれた。この曲は弦楽四重奏と二つの弦楽合奏グループの三群から成る特殊な編成なのだが、舞台正面に高く設えられた9名の弦楽合奏群からはあたかもパイプオルガンのような響きが広がり、それが弦楽合奏の裏で静かに響くという何とも神秘的な時間は至福の時であった。続いてはピアノ・ソロに寺田悦子と渡邉規久雄を迎えて、同じVWの「2台のピアノのための協奏曲」という珍しい選曲だ。前曲とはうって変わった力感溢れるソリッドな音色の作品で、この作曲家としては異色の音楽だ。そもそも私はこの作曲家が苦手なのだが、音楽の色合いが非常にはっきりしているので、これは大層面白く聞いた。決して固くならずにしなやかに運んだ出色の指揮だった。休憩後はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と交響詩「海」の名曲揃い踏みだ。「牧神」ではソロ・フルート奏者の竹山愛の柔らかな音色とそれに呼応するホルンが印象的だった。他の木管アンサンブルの妙義もこの楽団の強みだ。スッキリとした仕上がりの「海」もよかったが、トランペットにはいつものキレと輝きが欲しかった。

ベル・エポックの煌めき豊穣の旋律~(11月9日)

2022年11月10日 | コンサート
今年の2月に続くバイオリン鈴木舞とピアノ福原彰美のデュオ・コンサートである。今回はCAP代表取締役の坂田廉太郎がプロデュースしているようで、標題のようなタイトルが与えられ、開演前に三人によるプレ・トークがあった。一曲目はストラヴィンスキーの「イタリア組曲」。この曲はバレエ「プルチネルラ」から7曲をピアノとヴァイオンのために作曲者自身が編曲した曲集で、軽やかで多彩なリズムに満ち溢れた曲達を二人は最初からハイテンションで弾ききった。続いては夭折の女性作曲家ブーランジェの「二つの小品」。豊かな叙情が漂った。前半の締めくくりはラヴェル最後の室内楽曲である「バイオリンとピアノのためのソナタ第二番」。鈴木の自在な表現にピタリと寄り添った福原のピアノ。この二人のアンサンブルは全く隙がなく実に見事だ。とりわけ遊び心満載の終楽章「無窮動」は圧巻で、弾き終わるや大きな掛け声がかかって前半を終えた。今回は二人の音楽が前回以上に濃密で、ここまででもう十分満たされた気分だった。そして後半は今回二人目の女性作曲家シャミナードの「カプリッチョ」で開始された。ここでは繊細な佳作ながら鈴木の音楽作りがいささか豊麗すぎて少し重たく感じる時もあった。そして締めくくりはフランクの「バイオリンとピアノのためのソナタ」。今度は鈴木の大きな音楽作りがピタリとハマリ、夫婦の一生を表すかのようなストーリーを見事に歌い上げた。福原のピアノも決して伴奏の枠に止まらず、バイオリンと同じ方向を見据えつつも随所に自身の煌めきを見せつ、見事な共演だった。まろやかに豊かに歌い上げられたアンコールのタイスの瞑想曲も心に染みた。

東京シティ・フィル第355定期(10月28日)

2022年10月31日 | コンサート
2018年6月以来およそ6年ぶりに指揮台に鈴木秀美を迎え、さながらウイーン古典派からロマン派への発展過程を示すような教科書的な選曲だ。とは言え演奏の方は「教科書的」という言葉から想像されるような味気ないものではなく、古典派ならではの音楽の喜びに満ち溢れた大層魅力的なものだった。冒頭に置かれたハイドンの交響曲第12番ホ長調は、作曲当時のエステルハージー家の楽団の規模に相当する20名にも満たない小編成で奏でられた。ビブラートを極力排した弦楽器の瑞々しい音色に、ニュアンス豊かな木管群が綺麗に調和し、ハイドンの魅力を十二分に感じさせる秀演だった。続く92番ト長調「オックスフォード」は、12番から26年の歳月を経て作曲された傑作だが、弦が増員されると同時にトランペットやティンパニも加わって、ぐっと厚く華やかな音色になった。しかし演奏に作為的なところが一切ない演奏なので、熟達した作曲家の筆致の変化が見事に浮き彫りにされ、ここでは比較の妙を楽しむことが出来た。休憩を挟んで、ロマン派への橋渡しと言えるようなベートーヴェンの交響曲第7番イ長調作品92が演奏された。これもこの大作曲家の姿を忠実に伝えるような良心的で爽やかな演奏だった。ピリオド・スタイルの演奏とは言いながら、余計な誇張や風変わりなイントネーションは一切ないので、曲自体の良さを安心して感じることができるのが何よりも嬉しいことだ。こうしたスタイルを聞くと、当初は物珍しさが目立っていた「古楽奏法」もずいぶんに熟してきたものだと感じさせる。演奏は楽章を追うごとに熱くなっていったが、決して一線を踏みはずすことなく「典雅な」美しさを維持して終わったのは流石である。ただおもしろかったのは、一楽章とニ楽章をアタッカでつなげたことだが、どうせそれをやるなら3楽章と4楽章もつなげて欲しかった。いつまでも続く大きな拍手に指揮台に飛び乗って、何とアンコールはAlleglo con brioの最初の1小節だけ!何ともハイドンばりのウイットに会場は沸いた。

東響第705回定期(10月23日)

2022年10月24日 | コンサート
音楽監督ジョナサン・ノットの指揮で、まずはシェーンベルクの「5つの管弦楽曲作品16」。無調の作品で、それぞれ数分の5つのピースには〈予感〉/〈過ぎ去りしこと〉/〈色彩〉/〈急転回〉/〈オブリガード・レチタティーヴォ〉という表題が与えられているのだが、どれも私のような凡人にはイメージさえ湧かずに決して聞きやすい曲ではない。ゆえに正直のところ微睡を誘う15分だった。続く弟子筋にあたるウエーベルンの「パッサカリア作品1」は調性を感じることのできる小品で、師匠の前曲よりも相当に聞きやすい佳作だ。ここではノットの作り出すメリハリある美しい流れが作品を引き立てた。休憩を挟んでブルックナーの交響曲第2番ハ短調。今回はノヴァーク版第2稿(1877)使用とアナウンスされていたが、ノットの強い意向で初稿(1872)に準じた楽章順で演奏されるというビラがプログラムに挿入されていた。つまりは一楽章(モデラート)、ニ楽章(スケルッツオ)、三楽章(アンダンテ)、四楽章(フィナーレ)と、ベートーヴェンの第九のような速度感というわけだ。その他基本的に第2稿を採用しつつも、主観的に良いと判断される部分は初稿を参照したということだ。演奏の方は、伝統的な堅固に聳り立つブルックナーとは異なり、スピード感ある流れが際立つ緩急自在の快演と表現したら良いだろう。楽章を追うごとにノットは熱を帯び、終楽章に至ってその気迫は最高潮に達した。そのノットに冷静に追従しつつ、決して爆炎にならず、しかし熱量の極めて多い感動的な演奏を繰り広げたこの日の東響は素晴らしいの一語に尽きる。まさに21年間に渡る深い信頼に基づく「絆」のなせる技であろう。

紀尾井ホール室内管弦楽団第132回定期(9月24日)

2022年09月25日 | コンサート
ウイーン・フィルのコンマスでもあるライナー・ホーネックに続いて、2022年4月から第3代首席指揮者に就任したトレヴァー・ピノックの就任記念コンサートである。今回のコンマスはおなじみのアントン・バラホスキーだ。本来4月に予定されていたが、ピノックの急病で来日できず延期されて今回となった。ピノックと言えばピリオド系バロック音楽の旗手というイメージだが、紀尾井には2004年の初共演以来度々登場し、決してそれに止まらない広いレパートリと柔軟の演奏スタイルを披露してくれている。そうした中でも意表をついたワーグナーのジークフリート牧歌でコンサートは開始された。スケール大きく、際立って瑞々しく響く弦、そしてそれにニュアンスに満ちた名手揃いの管楽器群がニュアンスを添える名演だ。バラホスキーの積極的なリードがいっそうの活力の源であったようにも聞こえた。続いてはアレクサンドラ・ドヴガンを迎えたショパンのピアノ協奏曲第2番へ短調。ここではまずドヴガンのピアニズムに驚かされた。洗練された美しい音色と端正なフィンガリング。いかような表現さえ紡ぎ出せるであろうと思われるような楽器を自在に操れる技術をすでに十分持っているのだ。そこから紡ぎだされる弱冠15歳の無垢で純粋な音楽に強く打たれた。そしてピノックはこれまでショパンのオーケストレーションからは聞いたこともないような深い音楽でそれを支えているのだ。鳴り止まぬ拍手にアンコールはバッハ作曲ピロティ編曲の前奏曲ロ短調が静かに悲しげに流れた。考えすぎかも知れないが、凶暴な侵略行為を続ける祖国ロシアを悲しむドヴガンの心が映し出されているようにも聞こえた。休憩を挟んで最後は、明るく活力に満ち高らかに雄弁なシューベルトの交響曲第5番変ロ長調だった。大きな拍手にアンコールは「ロザムンデ」から間奏曲第3番がしっとりと奏でられた。バロックの狭い枠に止まらない音楽家ピノックのこの精力的な音楽作りはとても魅力的で今後がとても楽しみである。実は数日前に定期会員特典でシューベルトとワーグナーの公開リハーサルを見学させてもらったのだが、そこで見たのはコンマスや首席奏者の意見を聞きながら合意形成してゆくピノックの姿だったので、この雄々しい音楽がどうして作られたかは実に不思議である。

東京シティ・フィル第70回ティアラこうとう定期(9月23日)

2022年09月25日 | コンサート
ソプラノの高野百合絵をソリストに迎え、首席客演指揮者藤岡幸夫が振るスペイン・プログラムだ。スターターは開幕に相応しいビゼーの歌劇「カルメン」から第一幕への前奏曲とスペイン色濃厚な”ハバネラ”。続いて煌びやかなシャブリエの狂詩曲「スペイン」。藤岡の作り出す音色は華やかながら、いささかの重さがつきまとった。続いて珍しいドリーブの歌曲「カディスの娘たち」。スラリとした肢体を真紅のロングドレスに包んだ高野の歌唱は、誠に美しく伸びがあり、そのしなやかな振りともども仲々魅力的ではあったが、声質自体はけこう生硬なところもり、あの往年の名歌手ベルガンサの醸し出す「甘美さ」のようなものが加われば更に良かっただろう。そしてファリャのバレエ音楽「恋は魔術師」から”火祭りの踊り”とチャピのサルスエラ「セベデオの娘たち」より”とらわれ人の歌”と続いて前半を締めくくった。後半はファリャのバレエ音楽「三角帽子」全曲だったが、演奏に入る前に情景描写の説明がオーケストラを使ってあり、これがなかなか効果的で本演奏が楽しめた。藤岡のサービス精神に感謝である。後半は前半の重さは払拭され演奏は白熱した。とは言え決して乱れがないのが昨今のシティ・フィルだ。つまりは昨今のこのオケが備えた機能性が十全に発揮されたということだ。とりわけ木管と金管の名手たちのソロは惚れ惚れするほど見事で、ワクワクしながら聞き進むことが出来た。全体に解放的なスペインの音楽ということもあっただろうが、藤岡の個性が十二分に発揮された実に楽しい2時間だった。