藤原歌劇団創立90周年記念公演の一環で、ドニゼッティ後期の珍しいオペラ「ピーア・デ・トロメイ」が日生劇場で上演された。マルコ・ガンディーニによるニュープロダクションという触れ込みではあるが、母体となるプロダクションは2007年と2010年に昭和音大がテアトロ・リージオの舞台にかけている。装置的にはいかにも省エネの舞台なので二幕などは空間を持て余す感があったが、衣装の色調が良く演奏も充実しているとそれなりの効果はあるものだ。演出自体は過不足のない分かりやすい穏当なものだ。作品的にはナンバーの接続に多少のギクシャク感はあるのだが、時として中期のヴェルディを先取りしたようなドラマティックな音楽があることに驚いた。そしてカンマラーノの脚本に起因するストーリー展開の早さもあるので最後まで決して退屈することはなく、何故この演目が現在ほとんど劇場にかからないのか不思議なくらいだ。初日の歌手陣はピーアに伊藤晴、その夫ネッロに井出壮志朗、ピーアに横恋慕するギーノに藤田卓也、ネッロを宿敵とするピーアの弟ロドリーゴに星由佳子が主なところ。ピットは藤原歌劇団初登場の飯森範親と新日本フィルが多少味気なさを感じさせるくらいにテキパキと端切れ良く務めた。 歌手陣はとにかく伊藤、井出、藤田の主役3人が皆絶好調で、最後までスタイルを崩さない美声を貫いた素晴らしい歌唱と説得力のある演技だった。出番こそ少なかったがギーノの家来役ウバルドを歌った琉子健太郎の美しいフォルムの美声も光った。そんなわけで声の美しさと技術によってドラマを感じるベルカントの真髄を心ゆくまで楽しむことができた。これは日本人だけの舞台では極めて稀なことではないか。中でもとりわけ伊藤の歌った二幕大詰めのカンタービレとカヴァレッタは、完璧な技術と美声に裏付けられた切々とした歌唱で、傍でなりゆきを見守るロドリーゴ役の星の秀でた演技共々とても涙なしには聞くことができなかった。演目が発表された時にはタイトルも知らないオペラだったのでほとんど期待もしていなかったのだが、こんな良い曲を発掘してくれた藤原歌劇団には敬意を評したい。そしてこの演目を是非とも今後のベルカント・オペラのレパートリーに加えてもらいたいものだと思う。
2023年藤原歌劇団新年幕開きは、久しぶりでプッチーニの「トスカ」である。今回は松本重孝による新プロダクションだ。簡素ながら効果的に装置を使いまわした美しい舞台で、一幕のアントニア・デラ・ヴァッレ教会の祭壇が客席側という設定が面白かった。二日目の歌手達は皆とても達者で、とりわけ東原貞彦のアンジェロッティと泉良平の堂守の大きな存在感がストーリーをより立体的にしていた。注目の佐田山千恵は表情豊かな美声で無事藤原デビューを飾ったと言っていいだろう。ただ声量がむらがありオケに負けがちなのが気になった。また肝心の「歌に生き恋に生き」の最後では息が続かずに、指揮の鈴木がうまく取りなす場面があったのは残念だった。一方カヴェラドッシの藤田拓也は絶好調で、ジャコミーニを思わせるロブストな美声で雄々しく歌い上げた。須藤慎吾のスカルピアはもう憎々しさ一杯な朗々たる歌唱でその迫力に圧倒された。一幕フィナーレのテ・デウムでは合唱が登場するが、これが全員マスク着用だったので声の迫力に欠けたのが残念だった。このように歌唱は全体として良い仕上がりだったが、問題は鈴木絵里奈の指揮にあったと思う。オペラの裏方でならした経歴を持つベテランなので、前記のような事故対応も即座にこなす手慣れた技はもつが、全体に進行が緩く一面的なのだ。メロディを美しく流しはするが、これではここぞという所のパッションに不足するのだ。ベッルリーニならばこれで良いだろうが、ベリスモ・オペラはこれでは困る。さらに弦のメロディ重視なので、プッチーニの厚いオーケストレーションを生かしきれず、そうした理由で劇性が著しく削がれてしまうのである。何年か前に「バタフライ」を聴いた時にも同様な印象を持ったのだが、今回の「トスカ」でもその傾向があるということは「確信犯」なのだろう。確かにプッチーニのメロディはとても美しく浮かび上がり、大層リリカルに仕上がってはいるが、どうもそれだけでは欲求不満に陥る。
我が国におけるイタリアオペラを牽引する藤原歌劇団にして、なんと26年振りとなる本作の上演である。それと言うのも、主役4役に名歌手が揃わないと盛り上がりに欠けるというこの作品の難しさによるところが大きいかもしれない。前回の1996年は、グレギーナ、クピート、ジョーヴィネ、ペンチェーヴァという豪華な顔ぶれだった。今回初日の配役は、レオノーラに小林厚子、マンリーコに笛田博昭、ルーナ伯に須藤慎吾、アズチェーナに松原広美という、藤原お抱えの絶頂期の歌手達を適材適所配置したものだったが、前回に決して引けをとらない、聞き応えある歌唱、そして見応えある演技だったと言えよう。小林は当初少し不安定だったが幕を追うごとに調子を上げた。その美しい声の伸びと気品に満ちた歌い振り、スタイリッシュな演技はいつまでも記憶に残るだろう。笛田は丁寧な歌い振りだったが、ここぞと思う時の力感が聞き応え十分だった。須藤の豊かな美声と細やかな演技による役作りは全体を引き締めた。松原は師のコソットを思わせる豊かで輝かしい美声を披露したが、いささか声に頼りすぎるところがあり、一面的な歌唱になってしまったように聞いた。合唱は少人数でマスク付きなので迫力に欠けてしまったが、まあこの時期なので致し方ないだろう。折角これだけ絶好調の歌手を集めたのだから、これでオケが全体をもっと盛り上げてドラマティックに仕上げてくれれば言うことはなかったが、山下一史の指揮は、言うならば安全運転の域を出ない平凡なものだったことが本当に残念だった。ヴェルディのオーケストレーションを効果的に採択したり、畳みかけを生かしたり、微妙に間合いを工夫したりすることで、今回の舞台から圧倒的な感動を導ける余地はいくらもあったと思う。