今年創立90年を迎えた藤原歌劇団が年頭に放つ舞台はヴェルディ晩年の傑作「ファルスタッフ」のニュープロダクションだ。2015年1月のアルベルト・ゼッダ+粟國淳による名舞台以来10年ぶりの登場となる。”ニュープロダクション”を謳いながらも、実は昨年暮れに神戸文化ホール開館50周年記念として上演された同じく岩田達宗のプロダクションの舞台装置を流用し、照明と衣装はオリジナルという中々工夫された公演である。更に言えばその衣装に関しては我が国舞台衣装のレジェンド緒方規矩子氏がかつて「ウインザーの陽気な女房達」(たぶん藤沢市民オペラ)のために作ったものの再利用だという。(私の初めてのオペラ体験であった1969年の藤原「カルメン」の衣装も思い返せば緒方さんだったのだ!)これはある意味「使い回し」ではあるが、今回に関して言えばそれらは優れた質感を感じさせるものでむしろ歓迎したいとさえ感じさせた。本日二日目の配役はファルスタッフ押川浩士、フォード森口賢二、フェントン清水徹太郎、アリーチェ石上朋美、ナンネッタ米田七海、メグ北薗彩佳、マダム・クイクリー佐藤みほ、カイウス及川尚志、バルドルフォ川崎慎一郎、ピストーラ小野寺光、ロビン田川ちか、ピットは時任康文+東京フィル、演出は岩田宗逹という顔ぶれ。全体的な印象としては、よく作り込まれた岩田演出の下で、イタリア物の「藤原」の歌役者達が実に闊達に歌い演じて大変に見応えのある舞台を見せてくれたと言って良いだろう。何より快活とノーブルを合わせ持った押川の存在感、そして森口は直情的な歌唱と演技でそれに十分に対峙した。石上の押しの強い歌と演技は全体の華となり、この歌手の芸達者振りを感じさせた。そよ風のような米田と清水の爽やか歌唱もおおきなアクセントとなった。黙役ロビンをファルスタッフの分身としてバレエ(パントマイム)で演じさせ、ファルスタッフの心象を都度可視化してゆくアイデアは絶妙なしかけで、田川の秀でた表現力が効果を発揮してファルスタッフの心内を何倍にも表現して一本の柱となった。一方時任が率いるピットは全体を歯切れよくテキパキと運んで好感は持てたのだが、いささかニュアンスが一面的なようにも聞こえ物足りなさもあった。ともあれ最初にも書いたように相対的には素晴らしい仕上がりだったことは確かだ。正直西洋の喜劇的作品を邦人キャストだけでここまで見事に違和感なく舞台に出来たということは、やはり90年の歴史が成せる技なのだなあと感慨深い想いで夕闇の東京文化会館を後にした。新しい監督の下この勢いで実り多い100年を目指していただきたい。
藤原歌劇団創立90周年記念公演の一環で、ドニゼッティ後期の珍しいオペラ「ピーア・デ・トロメイ」が日生劇場で上演された。マルコ・ガンディーニによるニュープロダクションという触れ込みではあるが、母体となるプロダクションは2007年と2010年に昭和音大がテアトロ・リージオの舞台にかけている。装置的にはいかにも省エネの舞台なので二幕などは空間を持て余す感があったが、衣装の色調が良く演奏も充実しているとそれなりの効果はあるものだ。演出自体は過不足のない分かりやすい穏当なものだ。作品的にはナンバーの接続に多少のギクシャク感はあるのだが、時として中期のヴェルディを先取りしたようなドラマティックな音楽があることに驚いた。そしてカンマラーノの脚本に起因するストーリー展開の早さもあるので最後まで決して退屈することはなく、何故この演目が現在ほとんど劇場にかからないのか不思議なくらいだ。初日の歌手陣はピーアに伊藤晴、その夫ネッロに井出壮志朗、ピーアに横恋慕するギーノに藤田卓也、ネッロを宿敵とするピーアの弟ロドリーゴに星由佳子が主なところ。ピットは藤原歌劇団初登場の飯森範親と新日本フィルが多少味気なさを感じさせるくらいにテキパキと端切れ良く務めた。 歌手陣はとにかく伊藤、井出、藤田の主役3人が皆絶好調で、最後までスタイルを崩さない美声を貫いた素晴らしい歌唱と説得力のある演技だった。出番こそ少なかったがギーノの家来役ウバルドを歌った琉子健太郎の美しいフォルムの美声も光った。そんなわけで声の美しさと技術によってドラマを感じるベルカントの真髄を心ゆくまで楽しむことができた。これは日本人だけの舞台では極めて稀なことではないか。中でもとりわけ伊藤の歌った二幕大詰めのカンタービレとカヴァレッタは、完璧な技術と美声に裏付けられた切々とした歌唱で、傍でなりゆきを見守るロドリーゴ役の星の秀でた演技共々とても涙なしには聞くことができなかった。演目が発表された時にはタイトルも知らないオペラだったのでほとんど期待もしていなかったのだが、こんな良い曲を発掘してくれた藤原歌劇団には敬意を評したい。そしてこの演目を是非とも今後のベルカント・オペラのレパートリーに加えてもらいたいものだと思う。
2023年藤原歌劇団新年幕開きは、久しぶりでプッチーニの「トスカ」である。今回は松本重孝による新プロダクションだ。簡素ながら効果的に装置を使いまわした美しい舞台で、一幕のアントニア・デラ・ヴァッレ教会の祭壇が客席側という設定が面白かった。二日目の歌手達は皆とても達者で、とりわけ東原貞彦のアンジェロッティと泉良平の堂守の大きな存在感がストーリーをより立体的にしていた。注目の佐田山千恵は表情豊かな美声で無事藤原デビューを飾ったと言っていいだろう。ただ声量がむらがありオケに負けがちなのが気になった。また肝心の「歌に生き恋に生き」の最後では息が続かずに、指揮の鈴木がうまく取りなす場面があったのは残念だった。一方カヴェラドッシの藤田拓也は絶好調で、ジャコミーニを思わせるロブストな美声で雄々しく歌い上げた。須藤慎吾のスカルピアはもう憎々しさ一杯な朗々たる歌唱でその迫力に圧倒された。一幕フィナーレのテ・デウムでは合唱が登場するが、これが全員マスク着用だったので声の迫力に欠けたのが残念だった。このように歌唱は全体として良い仕上がりだったが、問題は鈴木絵里奈の指揮にあったと思う。オペラの裏方でならした経歴を持つベテランなので、前記のような事故対応も即座にこなす手慣れた技はもつが、全体に進行が緩く一面的なのだ。メロディを美しく流しはするが、これではここぞという所のパッションに不足するのだ。ベッルリーニならばこれで良いだろうが、ベリスモ・オペラはこれでは困る。さらに弦のメロディ重視なので、プッチーニの厚いオーケストレーションを生かしきれず、そうした理由で劇性が著しく削がれてしまうのである。何年か前に「バタフライ」を聴いた時にも同様な印象を持ったのだが、今回の「トスカ」でもその傾向があるということは「確信犯」なのだろう。確かにプッチーニのメロディはとても美しく浮かび上がり、大層リリカルに仕上がってはいるが、どうもそれだけでは欲求不満に陥る。
我が国におけるイタリアオペラを牽引する藤原歌劇団にして、なんと26年振りとなる本作の上演である。それと言うのも、主役4役に名歌手が揃わないと盛り上がりに欠けるというこの作品の難しさによるところが大きいかもしれない。前回の1996年は、グレギーナ、クピート、ジョーヴィネ、ペンチェーヴァという豪華な顔ぶれだった。今回初日の配役は、レオノーラに小林厚子、マンリーコに笛田博昭、ルーナ伯に須藤慎吾、アズチェーナに松原広美という、藤原お抱えの絶頂期の歌手達を適材適所配置したものだったが、前回に決して引けをとらない、聞き応えある歌唱、そして見応えある演技だったと言えよう。小林は当初少し不安定だったが幕を追うごとに調子を上げた。その美しい声の伸びと気品に満ちた歌い振り、スタイリッシュな演技はいつまでも記憶に残るだろう。笛田は丁寧な歌い振りだったが、ここぞと思う時の力感が聞き応え十分だった。須藤の豊かな美声と細やかな演技による役作りは全体を引き締めた。松原は師のコソットを思わせる豊かで輝かしい美声を披露したが、いささか声に頼りすぎるところがあり、一面的な歌唱になってしまったように聞いた。合唱は少人数でマスク付きなので迫力に欠けてしまったが、まあこの時期なので致し方ないだろう。折角これだけ絶好調の歌手を集めたのだから、これでオケが全体をもっと盛り上げてドラマティックに仕上げてくれれば言うことはなかったが、山下一史の指揮は、言うならば安全運転の域を出ない平凡なものだったことが本当に残念だった。ヴェルディのオーケストレーションを効果的に採択したり、畳みかけを生かしたり、微妙に間合いを工夫したりすることで、今回の舞台から圧倒的な感動を導ける余地はいくらもあったと思う。