Maxのページ

コンサートの感想などを書き連ねます。

びわ湖の春音楽祭2024(4月27日・28日)

2024年04月28日 | その他
コロナ禍で中止になったり、規模を縮小したりしていたこの音楽祭が久方ぶりに賑々しく本格開催された。今年のテーマは「〜夢と憧れ〜」だ。東京の「ラ・フォル・ジュルネ」とほぼ同形式の音楽祭だが、こちらは会期も二日、会場も「びわ湖ホール」一箇所(3つのホールとメイン・ロビー)とぐっと小規模ではあるが、内容はなかなか濃い。そして何よりびわ湖に面したホールの立地が素晴らしく、とりわけ天気に恵まれた時の爽快感は有楽町の比ではない。今年は一日目こそ曇天だったが二日目は晴天に恵まれて心地良い音楽祭になった。今回は大ホールと小ホールで開催された7つの公演に参加した。27日のオープニングコンサートは、このホールの音楽監督阪哲朗とカウンターテナー藤木大地そしてソプラノ小林沙羅+京都市交響楽団が集う華やかな舞台。ウイーンのフォルクスオパー仕込みの阪がレハール作曲「メリーウイドー」オーケストラ版メドレーで本場さながらの雰囲気を醸し出した他、藤木がオケ伴で歌ったR.シュトラウスの歌曲「万霊節」・「明日こそ」・「献呈」が心に響いた。続いてはダリボル・ガルヴァイのヴァイオリンのリサイタル。ベートーヴェンの「春」は腕鳴らし的であったが、続くサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」とラヴェルの「チガーヌ」では美音と超絶技巧を駆使した切れ味と、心を抉るようなの強靭な音を聞かせてくれた。ウイーン響のコンマスを務めるバイオリニストだがこれは隠れた逸材で鮮烈な印象を残した。ここで忘れてはならないのは山中惇史のピアノ伴奏である。澄ました顔で弾くのだが、ピタリとソリストに寄り添って互いに音楽を高め合っていたのがとても印象的だった。続いて園田隆一郎の指揮でびわ湖ホール声楽アンサンブルによるのプッチーニ、オッフェンバック、グノー、ヴェルディ、そしてロッシーニのオペラ合唱曲を集めたステージ。ソロの部分も取り混ぜて、単なる座付き合唱団ではないこのアンサンブルの強みを示したステージだった。そしてこの日の最後はバリトン黒田祐貴のブラームス、ヴォルフ、R・シュトラウス、シューマンというドイツ・リートを中心としたリサイタル。最後にはワーグナーとコルンゴルトのアリアもとり混ぜ、ドイツ留学帰りの若々しい美声を聞かせた。山中惇史はここでもピタリとソリストに寄り添った素晴らしい共演を果たした。最後にアンコールで歌われたのは作曲家でもある山中の自作リート「音楽」で、ここでは作曲家としても非凡な才能も聞かせてくれた。翌28日の最初はレオンコロ弦楽四重奏団によるハイドンの弦楽四重奏曲第39番ハ長調「鳥」とヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番「クロイツエル・ソナタ」である。チェロ以外全員立奏という珍しいスタイルからとてつもなく鮮烈な音楽が飛び出して来た。ハイドンの四重奏をこんなに面白く聞いたことはこれまで無かったし、ヤナーチェクはまるで心を抉る魂の叫びを聴くようで、これも1日目のガルヴァイ共々驚愕的な強烈な印象を残した。次に聞いたのは全く趣を変えて京都橘高等学校吹奏楽部のマーチングである。これは「お見事!」という言葉に尽きる最高に楽しいパーフォーマンスの45分だった。これほどの身体能力と楽器を操る技をどうやって若い彼らが両立させているのだろう。そして最後に聞いたのは、「石田組」で知られる石田泰尚のバイオリンと伴奏岡本知也のステージ。最初に珍しいテレマンの無伴奏ソナタが三曲弾かれたのが珍しかったが、その後のドビュッシー等も含めた全体からは、その硬派な出立たちや演奏後の外連味たっぷりの独特な見栄からは想像も出来ないような、ぬくもりを感じさせる温かく、そして純粋無垢な心地よい音楽が溢れ出てきたことがとても意外であった。このように二日に渡る音楽祭はとても楽しく充実した時間で、東京からはるばる馳せ参じた甲斐があったと思わせた。それは才能に溢れた若き逸材を見つけて招聘した企画者の酔眼に負うところが大きいと思う。そんなびわ湖ホールに心から敬意を表したい。

小澤征爾さんの訃報に接して

2024年02月10日 | その他
生の小澤征爾を初めて聞いたのは、今は「LINE CUBE SHIBUYA」と呼ばれる「旧渋谷公会堂」だった。たぶん1970年代前半のことで、当時の文化放送の「東急ゴールデンコンサート」というラジオ番組の公開録音だったのではないだろうか。応募ハガキを出して当選して嬉々として宇田川の坂を登って会場へ向かったのを覚えている。一時間枠で他に何を演ったかの記憶は全くないのだけれど、チャイコフスキーの交響曲第4番が入っていたように記憶している。流麗で、勢いがあり、輝かしい、それまでに聞いたこともないような「めちゃくちゃかっこいい」音楽だった。その時の音楽の印象は、かろうじてパリ管を指揮して録音された同曲の音盤(1970年録音)で振り返ることができる。しかし私にとっての小澤の価値はこの初期の段階で終わっていて、その後どんどん蒸留水のように”純化”されていく彼の音楽には、どうも面白さを感じることができないままになってしまったことは誠に残念だった。ただこれは私の極めて主観的な好みの問題であって、西洋音楽の本場で、アジア人が真の音楽家として認められる先鞭を切って走り続け、最後にはその頂点に立った小澤の才能と努力は、どんなに言葉を尽くしても言い尽くすことができないものだったのだと思う。市井のクラシック音楽愛好家の一人として、心から哀悼の意を表したい。ただ近年の録音のうちにも唯一私の心を強く打つものがある。それはサイトウ・キネン・オーケストラと演ったバッハの「ロ短調ミサ」(2000年録音)だ。これは純化された音楽とミサという形式の融合が生んだ稀代の名演だと思っている。これを聞きながらその60余年の足跡を偲んでみたいと思う。

飯守泰次郎さんのこと

2023年08月31日 | その他
東京シティ・フィルが来る9月1日に開催する第363回定期演奏会の冒頭に、去る8月15日に逝去された当団桂冠名誉指揮者飯守泰次郎さんを偲んでワーグナー作曲楽劇「ローエングリーン」第1幕への前奏曲を追悼演奏することが発表された。私は定期会員なので襟を正して聞かせていただく。きっと様々な想い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、涙なしには聞けないことになるだろう。1997年11月に東京に待望のオペラハウスが落成し、その柿落としの演目の一つに選ばれたのはこの楽劇「ローエングリーン」だった。その時の指揮は、後にこの劇場のオペラ芸術監督になる先輩格の若杉弘さんだった。もちろん私も客席の一人だったわけだが、終演後興奮さめやらず人の波に任せて初台の駅に向かっていると、第一幕への前奏曲を口ずさむ歌声が後ろから聞こえてくるではないか。振り返るとそこには上機嫌で駅に向かう飯守さんの姿があった。やっぱりワーグナーがお好きなんだなと心から思った。それを遡る25年前、そもそも飯守さんとの出会いもワーグナーだった。1972年11月、東京ニ期会によるワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の邦人舞台初演の指揮は、そのころ新鋭の飯守さんだった。きっとバイロイト音楽祭での経験と手腕をかわれての登用だったのだろうが、鈴木敬介(演出)と飯田善国(美術)による、当時のバイロイト流の抽象舞台を重厚ながら明快な音楽で立派に支え、それは真に「本格的」と感じさせる立派なピットであった。それ以来どれだけ飯守さんを聴いてきただろうか。ワーグナーは勿論のこと、ブルックナー、シューマン、そして意外なことにチャイコフスキーも得意とした。しかし決して忘れてはならないのはベートーヴェンだろう。重心が低く、しかし決して重すぎず明快さを失わない。学研的な姿勢も決して忘れず、東京シティフィルとは2000年から翌年にかけて、古楽奏法を視野に入れベーレンライター新版(1997-2000)を用いたチクルスを完遂した。しかしその10年後には、それまでの伝統的なベートーヴェン演奏を総決算して客観的に検証し編纂されたペータース出版のマルケヴィッチ版(1982)を採用した全曲チクルスを敢行する。私はその実演には接することはなかったのだが、最近この時のライブ音源によるCD全集を購入し聴くに及んで、その自然で過不足のない実に立派な響の中に、まさに理想のベートーヴェンを見つけて「これだ!」と膝を叩いた。そんな思いの矢先の逝去は誠に残念である。最後は今年4月7日に開催された東京シティ・フィルの特別公演だった。曲目はブルックナーの交響曲第8番ハ短調。その音楽に一切の作為は感じられず、実に若々しく、逞しい推進力を湛えた品格の漂う立派な演奏だった。そこに聞こえるのは唯ブルックナーだけ。それは再現芸術家の行きつく先はこれだなと感じさせるような純粋な音楽だった。そんな「飯守」をもう聞けないとは誠に寂しく口惜しいことだ。実は10月4日にはマエストロが桂冠名誉指揮者だった東京シティ・フィルとのシューベルトの二つのシンフォニーの演奏会が予定されていたのだが、それは幻となってしまった。その演奏会の指揮は常任指揮者の高関健が代演し、曲目はワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、そしてブルックナーの交響曲第9番ニ短調の三曲に変更されたと言う。誠に飯守さんの追悼に相応しい曲ではないか。マエストロを偲び心して聴くことにしよう。合掌。

アッバード逝く(1月25日)

2014年01月25日 | その他
1月20日にクラウディオ・アッバードが天上の敬愛するヴェルディの元に旅立った。80才だと言う。指揮者としては若いと言えば若い。しかし2000年に癌を発病し胃を全摘する大手術の後痩せ細って復活し、心配されながらも、2003年から自らが中心となって組織するルツェルン音楽祭管弦楽団等の活動を始めてもう10年以上が経っていたので、逆に個人的には随分長く活躍できたなという感じさえある。しかしこの11年は、実に意味深い年月の積み重ねだったようだ。東京オリンピックが終わって幾年か経った、正に私がクラシック音楽を聴き始めた頃、アバードはメータと共に彗星の如くレコード界に登場した花形指揮者であった。青年の面影を残した若干30代半ばの若者が名門ウイーン・フィルを率い、名門DECCAから、大名曲のベートーベンの7番を引っ提げてのレコード・デビューである。当時そんな例はマゼール+ベルリン・フィルくらいしか無く、名門オケは大ベテランの年寄りが振って録音するのが常識だった。当時の私にはこれは極めて眩しい出来事ではあったが、貧乏中学生にはLP新譜など買えるお金は到底なく、「レコード芸術」の広告と新譜評の文面から演奏を想像するだけで、時折雑誌「FMファン」の番組欄でそれを見つけると貪り聴いた。とは言え、その後アッバードをきちんと聴いたかというとそんなことはなく、もちろん1981年のミラノ・スカラ座来日公演「シモン・ボッカネグラ」とか、1989年のウイーン国立歌劇場来日公演「ランスへの旅」では大きな感動を与えてもらったが、メディアで楽しむとなると、何となく傍らに置いたまま今日まで来てしまった音楽家であった。しかし訃報に接して急に最近のアバードが聴きたくなって、DVDの蓄積から撮りためたBS録画を探し出し、2013年のルツェルン音楽祭の「英雄」を初めて観た。結局アバードにとってはこれが最後のシーズンだった。足腰は確りしていて比較的元気そうだが、動きの節約された棒から、しかし何と伸びやかで、広々していて、自由な音楽が溢れ出てくる演奏なのだろう。そして演奏家たちは何と光輝いているのだろう。従来から求心的な、精神的な、厳格な方向に音楽を持ってゆく人ではなかったが、明らかに私の知っていた「従来」とも次元の違う境地に誘導された音楽がそこにあった。それは本当にいわく言い難く魅力的なものだ。あえて言うならば、「洗練の極み」とでも言おうか、「浄化された美」がそこにあった。しかしもはや実演でこれに接する機会は永遠に無いのだから、この素晴らしい音楽を発見するために、ちょっと晩年の演奏を振り返る作業をしなければならない。

代演続き、それもまた楽し(1月24日)

2014年01月24日 | その他
この1月・2月は代演続きである。まず東京フィルの1月定期だが、予定されていた美形指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラが懐妊のためにイタリアの新星アンドレア・バッティストー二に替わるというアナウンスが随分前にあった。続いて共演者だったピアニストのホルヘ・ルイス・プラッツが清水和音に替わるというハガキが昨今舞い込んだ。これで南米はメキシコとキューバの二人組による興味津々の競演機会は泡と消えたが、その代わりに清水和音の「ラプソディ・イン・ブルー」という“際物”が聴けるし、東フィルと相性の良いアンドレアの溌剌とした音楽も楽しみだ。もう一つは、2月の藤原歌劇団の歌劇「オリィ伯爵」の指揮を予定していたお馴染みアントネッロ・アッレマンディがロシアの若手デニス・ヴラセンコに替わる。指揮が大切なロッシーニで無名新人は不安ではあるが、まあペーザロでの経験もあるようだし、何よりゼッダ翁の推薦と言う事だから期待することにしよう。そんなわけで、この2つに限れば損得勘定はイーブンといったところであろうか。長いコンサート・ゴアー生活のうちに、代演騒ぎには幾度も遭遇しているが、その中で幾つか印象に残っているものを書き出してみようと思う。まず1981年の東京二期会公演「ニュルンベルクの名歌手」である。日本でハンス・ザックス歌わせるならこの人しか居ないと言われた木村俊光が、直前になって無名新人の松本進に代わり心配させた。なにせこのオペラの要役なのでどうなることかと思ったが、無事堂々と見事に歌い切り喝采を浴びた。同じく日本のオペラ界では、1989年の藤原歌劇団公演「アイーダ」で、ラダメス役のフィリッペ・ジャコミー二が一幕で声を失い、二幕から伝令役だった田代誠が引き継ぎ、輝かしい歌唱を示したこともあった。この時は敵役を演じるアムネリスのフィオレンツア・コソットもそんな穴を繕おうと壮絶な歌唱でアイーダを圧倒し、震いが出るような感動的な舞台となった。これには後日談があり、ジャコミニは3年後に藤原の舞台に舞い戻り、メトの歌姫アプリッレ・ミッロと共に実に見事なロブストな歌唱でリベンジを果たしたのだった。1991年のBunkamuraモーストリー・モーツアルト・フェスティバルでは、エリカ・フォン・シュターデの代役として、当時日本ではほとんど無名だったチェチーリア・バルトリが突如登場した。当時は今ほど重くない声で、コロラトゥーラの技法を駆使して実に軽やかなモーツアルトやロッシーニを自在に唄って聴かせ、満場は割れんばかりの拍手と歓声で興奮のルツボとなった。この時は正に新星登場という感じだった!これが話題になって、1992年のフェスティバルへの再来日に繫がってゆくのである。そんな色々の中で私が体験した最大の交代劇は、1990年9月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での経験である。その年のシーズンは9月24日に「ラ・ボエーム」で幕を開けたが、当時中期出張中でこの町に居た私は、それに続いて27日から始まる7日間の「ばらの騎士」のうちの1日を押さえていた。Rott、Bonny、Von Otter、Haugland、Pavarotti(2日間のみ)と、女性陣はウイーンのクライバーの舞台と同一で指揮は音楽監督のジェームス・レヴァインとクレジットされていたのだから、まあ最上のキャストである。7月下旬にニューヨークに着くなり残っているかなと思って劇場のボックス・オフィスを訪ねたが、楽々買えたことが少々意外でさえあった。さて9月半ばのある日曜の朝にゆっくりと分厚い新聞日曜版に目を通していると、端に小さなメトの広告を発見。「あッ、これあのバラだよね。売れてないのか?」と思ってよくよく見ると“Carlos Kleiber”とあるではないか。これには全く目を疑って、即座にボックスオフィスに電話してミス・プリじゃないかと確かめた程だ。そしてその答えを聴いた瞬間に私のチケットはプレミアム・チケットになったのである。あとから8月24日付けのNew York Timesで知ったのだが、実はクライバーは1989/90のシーズンにメトで「椿姫」と「オテロ」を振っていて、その3月から次シーズンの出演交渉が始められていたそうである。それがついに結実して前日のプレス・リリースになったという次第なのだそうだ。演奏はもちろん悪いわけはない。Kleiberの躍動感と繊細さのバランスは唯一無二のものでメトの豪華な舞台はそれに華をそえ、全くすべてが夢のようだった。指揮者の譜面台に、スコアの代わりに何と真紅のバラ一本が置かれていたことを今でも鮮明に想い出す。何とも得難い幸運に恵まれたものだ。

ミュージカル「オペラ座の怪人(ケン・ヒル版)」(12月29日)

2014年01月04日 | その他
「オペラ座の怪人」と言えば、有名なアンドリュー・ロイド=ウエーバーによる1986年初演の作品があるが、これは全く別の作品である。劇作家にして演出家のケン・ヒルにる1976年に初演された作品であるが、1984年に基本構想を含めた大改訂を経て現在のものになっている。驚くべきことに、現代作品であるにもかかわらず、ギルバート&サリバンのサヴォイ・オペラ的な様式を踏襲していて、更に要所のアリアではモーツアルト、ドニゼッティ、ウェーバー、ビゼー、ドヴォルザーク、オッフェンバック、ヴェルディ、ボイート、そしてグノーの有名アリアの旋律が元のテクスト内容とはほぼ無関係に利用されている。まあ言うならばいかにもオペラ好きのイギリス人に愛されそうなパロディ作品に仕上がっている。ゆえに有名なロイド=ウエーバー版のような劇的なドラマを味わうというよりも、オペラの旋律とコミカルなタッチに心をくすぐられる快感を味わうことが主眼の作品なのである。だから前者を期待した観衆にはいささかの失望もあったろう。ただ作品自体は、この種の物としては、中々よく出来ていると思う。ピットも含めて外来ミュージシャンによるもので、もちろん台詞も歌詞も英語で、そのベタベタのキングズ・イングリッシュのリズムが何とも心地よかった。ただし字幕が小さすぎて見づらかったのは残念。暮れも押し詰まった29日に、予想もしなかったイギリス流のお楽しみをもらって、ちょっと嬉しくなった。

帝劇「ラ・マンチャの男」(8月11日)

2012年08月13日 | その他
1969年の日本初演以来、8月19日で1200回になろうとするその舞台は、この間すべて松本幸四郎によって演じられてきた。このことはミュージカル史上極めて希有な例であり、この歌舞伎の世界とミュージカルの世界の両方を制覇した松本幸四郎という偉大な役者の大いなる実力なくしては決して成し遂げられなかったであろう。それゆえに、他の人間がこのプロダクションを演じることはおそらくできない。それほどにカスタム・メード化された舞台であった。デール・ワッサーマンの脚本は、原作者セルバンテスと、登場人物アロンソ・キハ-ナと、彼の想像上の化身であるドン・キホ-テの三重構造を縦横に駆け巡り、夢を持ち続けて生きる男のロマンを歌いあげたものであるが、それは三次元であるだけにかなり複雑である。幸四郎の存在感はこれはもう天下一品であるのだが、その描写は幾分平面的で、その3人の描き分けに明解さを逸している部分が少なからずあり、解釈をいくぶん複雑にしたことは否めないと思う。また歌舞伎を折衷したような所作や振付は、やはり全体の様式の中では大きな異和感があり、同時に今の時代に照らした時には、古風さを払拭できなかった。いかに安定的なものであっても、やはり43年の年月のうちには風化してしまうものがあるのではないか。それに抗し得る程の立派な音楽が根幹にあれば話は別かも知れないが、2曲の名曲があるとは言え、他の部分がいかにも弱い。歌舞伎界の御曹司がミュージカルも演じ、本場ブロードウェーの舞台にも立ったという神話は神話とした上で、やはり本当の意味で「作品」が生き残ってゆくためには、「変化」というものも必要な気がした。

「小澤征爾さんと、音楽について話をする 小澤征爾×村上春樹」

2012年01月16日 | その他
小澤征爾と村上春樹の標記のような対談集が出版された。店頭でちょっとページをめくって見たらなかなか面白かったので早速読んでみた。対談集とは言いながら、実は村上の小澤へのインタビューを活字に起こしたもので、それは独特のリズムで書かれているので、引きこまれたと思ったらあっと言う間に読み終えた。さてクラシック音楽ファンとして知られる村上だが、読んでみてその造詣の深さが並大抵ではないことが改めて判った。クラシック音楽好きな物書きは少なくないと思うが、村上の博学というか知識は、単に「深い」と言った言葉では到底表わし切れないほどマニアックな領域にまで深く達している。だからここで披歴される音楽の、演奏の、録音の、音盤の知識は並大抵でなく、そんじょそこらのクラシック音楽オタクの及ぶところでは到底ない。それはきっと音盤に刻まれたマトリックス番号による音の違いにまで言及できるレベルであるに違いない。そしてそれは当たり前のことだが、音楽家の小澤が到底及ぶものではない。更にその本人がノーベル賞候補と目される世界的文学者なのだから、その知識と感性の出会いから生まれる言葉の一つ一つは珠玉のようなものである。一方その対談相手の小澤は、目の前にある記号の如き複雑なスコアから音楽的イメージを起こして、それをオーケストラという道具を使って最適に音化する巨匠で、音盤に記録された過去の演奏とか、過去の録音とかには一切興味がないばかりか、自分の残したレコードさえあまり覚えていないような極めて”純粋な”音楽家である。(誤解を恐れずに言えば、「音楽馬鹿」ということ)だからこそ、この二人の音楽感に関する同一性、あるいは非同一性の対照はとても興味深く、村上の冴えた切り込みが小澤の音楽家としての特質をみごと解き明かしてゆく対談前半は、とりわけ圧巻である。しかしそれはそれとして、対談中に村上が小澤の1960年代の録音を参照するところがあるのだが、そうした小澤デビュー時代の録音の印象を読むにつけ、私が青春時代に横に置いて通り過ごして来た数々の演奏記録を、新ためて探し求めて聴いてみないでは居られない欲求が心の中に頭をもたげてきた。というのも、当時貧乏学生の私はにとっては、レコード収集と言えば廉価盤の中古専門で、新進気鋭の小澤のピカピカ新譜なんて夢のまた夢だった。だから毎月目を凝らして読んだ「レコ芸」のレコード評の記憶以外、「音」については実は全く未知であったからに他ならない。程なく集めて聴いてみたCDに入った演奏の数々は、新鮮さで輝いていた。トロント響による廉価盤の「幻想」の録音(マスタリング)の悪さは例外としても、同じくトロント響によるメシアンの「トゥランガリラ」の目も眩むような鮮やかさは何たることだろう。シカゴ響の「運命」の蒸留水のような純粋さと流れの良さからは青春の無垢な清らかさが感じられる。同じくチャィコの5番の瑞々しい感性と清潔な佇まいはこれも若さの特権であろう。そこに共通するのは恐れを知らない純粋さ、キラキラするような眩さ、そして颯爽とした推進力。それらはこの時代の宝であり、思想性を排除した「純音楽性」のなかに時折「説き」の姿勢が感じられる昨今の小澤の演奏からは決して感じることができなくなった、かけがえのない魅力なのである。

新国「くるみ割り人形」(12月18日)

2011年12月19日 | その他
クリスマスデコレーションに飾られた新国のロビーを、着飾った少女達がお母さんに手を引かれて上機嫌で歩き回る。ここのところ隔年で初台に繰り広げられる華やいだ風景である。劇場も「スタンプラリー」や「バレエ床体験コーナー」などを設け、フロアーの案内嬢は俄かサンタとなって子供たちを迎える。恒例となったこの劇場の「くるみ割り人形」は、数多ある第九公演とともに年末の風物詩となりつつある。今年も2009年以来のレフ・イワーノフ振付、牧阿佐美演出・改定振付版による上演であるが、この版は序曲からいきなり新宿副都心の聖夜の雑踏が現れ、ぐっと物語を近しいものにする。通行人達は何故か皆喧嘩別れしてゆくが、一人寂しいクララはドロッセルマイヤーによって美しい夢の世界に誘われてゆくという趣向。また大詰めでは、ドロッセルマイヤーが実はサンタクロースであり、すべてはサンタが運んだ一夜の夢という設定である。終幕、夢から覚めてサンタからのプレゼントの胡桃割人形を抱きしめたクララの後ろを、そりに乗って帰ってゆくサンタの遠景は、とてもロマンティックでありながら一抹の寂しさがつきまとう一夜の夢の幕切れである。バレエ素人の私にあまり語る資格はないのだが、雪の女王寺田亜紗子の可憐な存在感、王子厚地康雄の大きく豊かな踊り、そして湯川麻美子の指の先まで行き届いた動きが特に印象に残った。とにかく音楽が素晴らしいので、バレエを知らなくてもそれだけで十分楽しめるところはさすが天才チャイコフスキーであるが、今回は東京フィルの弦がいつになくくすんでいて、あの「花のワルツ」でさえ華やかさが溢れ出でこないのが気になった。指揮は「くるみ」再登場の大井剛史であるが、慎重さに加え音楽に更なる躍動感と流動感が加われば、もっとゴージャスな時間になったのではないかと残念に思った。

「シュターツカペレ・ドレスデン:奏でられる楽団史」より

2009年07月28日 | その他
"もう一人、ここで是非とも触れておきたい指揮者は日本人の若杉弘である。若杉のシュタ-ツ・カペレへのデビューは、1981年5月、ドレスデン音楽祭の期間中に行われたコンサートだった。ドビュッシー、シューマン、ベルリオーズの作品を指揮し成功をおさめ、すぐに次回の予定が立てられ、継続的な協力関係が始まった。数か月後には、ドレスデン国立歌劇場の日本公演で「魔弾の射手」の指揮をとった。1982年にはエディンバラ音楽祭に招かれた国立歌劇場とシュターツカペレを率い、モーツアルトの「後宮からの逃走」とモーツアルト・プログラムを担当した。それ以後定期的にドレスデンへ客演に訪れ、コンサートの指揮台に立った。「ドレスデン国立歌劇場ならびにシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者」に任命されたが、この肩書きは楽団の歴史では初めてのことで、若杉のために設けられたポストだった。こうしてドレスデンのオペラ・カペレ両方との若杉の密接な結びつきに、しかるべき形が整うことになった。繊細な感受性と劇的な音楽作りを特徴とし、シュターツカペレのもつ変化に富んだ響きのパレットで多彩な音の「絵を書く」指揮者だった。オペラやコンサートでのプログラム構成に独自の変化をつけた。シュターツカペレとの演奏で若杉がドレスデンの聴衆に提供したレパートリーは、ヴィヴァルディや元宮廷楽長のナウマンから、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンといった古典派、さらにはシューベルト、シューマン、ワーグナー、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、R.シュトラウス、ツェムリンスキーまで含み、ウェーベルンやベルク、ヴァイル、バルトーク、マルタン、ショスタコヴィッチ、ヒンデミット、ヘンツェ、ドビュッシー、ラベル、ミヨーらの作品も指揮した。愛情を注ぎ、入念な準備で臨んだのが「室内管弦楽演奏会」のプログラムで、シュターツカペレ室内委員会の信任厚い指揮者だった。若杉がことのほか名誉を感じていたのは、伝統的な枝の主日のコンサートでの第九と2月13日の追悼コンサート―モーツアルトの「レクイエム」とベルリオーズの「死者のための大ミサ」―の指揮を委ねられたことであった。オペラはすでに挙げた作品の他に、「コシ・ファン・トゥッテ」、「ローエングリン」、「ラ・ボエーム」、「ばらの騎士」、「ヴォツェック」の指揮台に立った。共同プロジェクトのハイライトになったのは、1989年4月の故郷日本公演ではないだろうか。12回の演奏会のうち4回を東京、残りを大阪・京都などで行った。"
『シュターツカペレ・ドレスデン:奏でられる楽団史』 Eberhard Steindorf著、識名章喜訳 慶應義塾大学出版会 2009 192p.-194p.





若杉さん

2009年07月22日 | その他
日本芸術院会員であり新国立劇場オペラ部門芸術監督の若杉弘さんが亡くなった。74歳!まだ若かった。昨年春は、自身でレールを敷いた新国近現代路線である「黒船」・「軍人たち」を自ら指揮し、昨年夏に闘病生活に入ってからは、「ムチェンスクのマクベス夫人」、「修善寺物語」を無念にも代役の指揮者に任せながらも、新国立オペラ劇場の体裁を、「本物」に少しづつ近づける仕事に身を擦り減らされていたように見受ける。そうした意味で、任期を残して志を全うし得なかったことは、御本人もさぞや無念であったろうし、我々にとっても誠に残念なことである。我が記憶を遡れは、二期会での「パルシファル」や「ラインの黄金」の初演、読響での「グレの歌」の初演等、とにかく日本の音楽会をリードするところには、必ず「若杉」の名前があった。クラシック音楽の世界に入ったばかりの当時の私には、それらは等しく難し過ぎたて近寄れるものではなかったが、常に輝く存在であったことは確かである。一方で、「ジロー」のサロンオペラから始まり、東京室内歌劇場の中心メンバーとなって、地道に様々なオペラの実験的上演もリードした。そうしたオペラの若杉は、結局、ケルンやチューリッヒのオケを始め、ラインやドレスデンというドイツの一流歌劇場の責任ある地位を歴任しながらも、最終的にはびわ湖ホールや新国立劇場でのオペラの仕事に戻って来て立派な業績を残した。なかでも、「ドン・カルロ」を切っ掛けとしてシラー続きで始まった全8作のびわ湖の初期ヴェルディ・オペラシリーズは、ヨーロッパでもなかなか成し得ない画期的な大仕事であったし、それを全日本人ダブルキャストで見事に実現させた慧眼も、根っからの劇場人若杉こそのことであった。東京二期会の「エジプトのヘレナ」の説明会の折、ギリシャ神話をあたかも我が物の如くに語られる氏に驚嘆の念を禁じ得なかった思い出がある。「文庫に入っているので、是非皆さんにもお読みになることをお勧めします。」というようなことだったが、外交官を親に持つということは、誠にこのような西洋的な教養を自然に身に付けるものなのだと驚くと同時に、そうした「西洋的教養」の中でこそオペラは語られるべきだと心から思った。演奏会のプログラミングの妙も常に若杉を聴く楽しみの一つで、幅広い教養から引き出された隠されたストーリーは、常に通を唸らせたものであった。(それに引き代え、演奏はいつも安全運転で面白味には欠けたが、今考えてみれば、それこそが、たくさんの事故の可能性に囲まれた劇場で叩き上げたカぺルマイスターのスタンスだったのかも知れない)氏の遺志は来シーズンの新国プログラミングに確りと残されはするが、得難い音楽家=教養人を亡くしたことは誠に口惜しい限りである。御世話になりました。ご冥福を心よりお祈りします。

新国「白鳥の湖」(5月21日)

2009年05月23日 | その他
チャイコフスキーがどうしても聴きたくなって珍しくバレエに行った。オデット+オディールは当役デビューの厚木三杏、ジークフリートは夫君の逸見智彦で他は若手を集めた公演。厚木はデビューゆえか前半は多少緊張気味であったが、後半は丁寧で繊細が踊りが光った。逸見は安定的な好サポートだった。バレエ音楽は大体において華やかで流れは良いが、純音楽的には物足りないものが多い。しかしチャイコフスキーは別格で、所謂三大バレエは音楽だけをとっても超一級である。それゆえ、バレエの現場での、踊り優先の流れを重視した当たり障りない演奏でも、チャイコなら十分楽しめる。ところが当夜のアレクセイ・バクランの指揮は、そうした伴奏の域を明らかに超えており、序奏から一癖も二癖もある表情付けが頻出し、本編に入ってもそれは変わらない。テンポや強弱が独特で、聴く分にはこの曲の色々な魅力を再発見させてくれてとても興味深いのだが、舞台上の踊りにくさはあったように思う。それゆえか、前半の群舞は不揃いが目立った。しかし後半は音楽も大人しくなり、新国お家芸のコールドバレエも十分堪能でき、客席はいささか寂しかったが、華やかなデビュー公演となった。

「マリア・カラスの真実」(4月23日)

2009年04月24日 | その他
フィルップ・コーリー監督作品「マリア・カラスの真実」(2007)という映画を渋谷のユーロスペースで見た。これは不世出のディーヴァの一生をドキュメンタリー・タッチで描いた作品である。手法としては、過去の劇的エポック映像や音声を、一定の解釈の流れのなかに埋め込んで作られていて、ナレーションが全ての基調となっている。映像的に足りない部分は、舞台衣装の実写やイメージ画像を埋め草にしてる。そんな方法で作品としてどうにか形になっているものの、ドキュメンタリー映像と後追い映像の相違に違和感がないわけではない。50年前の現役歌手なので、映像による舞台記録が豊富にあるわけではなく、ほとんどの歌唱音源は膨大な録音音源から取られたもの。それゆえ、舞台での歌唱とのシンクロではなく、主に他の映像のバックとして使用されているに過ぎない。ナレーション台詞の構成からは、家庭に恵まれず、人生の伴侶にも恵まれず、その結果、本当の「愛」を知らずに育った女が、その天賦の才能と人並でない努力で手に入れた栄光、しかしそれは、決して幸せなものではなかったという筋書きをが現れてくる。しかし、その悲劇的なストーリーに衝撃性はあるものの、それはある意味類型的と言えば類型的である。では作品として一流かというと、どうもそのあたりはテーマの重さに頼りすぎている感があって、手法や映像表現のセンスも月並みで、どうも完成度はいまいちと言わざるを得ない。ただ、テーマがテーマだけに、心の重苦しさだけは十分に残ったが、それは「感動」とはいささか違うものだ。カラスに感動したければ、CDの中に封じ込められた仮想のドラマの数々に勝るものはないようだ。

今年は何の年

2009年01月04日 | その他
ダニエル・バレンボイム指揮のウイーン・フィル・ニューイヤーコンサートで幕が開いた2009年。今年の演奏は、昨年のプレトールの自然体とはうって変って、これでもかと振っていて、ウイーンフィルなのだからもっと肩の力を抜いてやれば五線の間から薫り高い音楽が湧き出てくるのにと思った次第。最後のラデツキー・マーチでも聴衆の拍子を完全にねじ伏せてのお開き!私の趣味ではなかった。
ところで2009年は、ハイドン没後200年、メンデルスゾーン生誕200年、アルベニス没後100年、ショパン没後160年、ベルリオーズ没後140年、リヒャルト・シュトラウス没後60年、ヴィラ=ロボス没後50年、芥川也寸志没後20年の記念の年にあたる。さてこの一年、どんな素敵な音楽にめぐり逢えるか。

「ミス・サイゴン」(8月5日)

2008年08月07日 | その他
帝劇で行われている「ミス・サイゴン」を観た。もう何度目かになるが、幾度見ても良く出来た作品である。戦争の生み出した悲劇、同時にその主体の一方であるアメリカ文化の華やかさ。その二つの対比が悲劇性を余計に煽る。オペラと比較すると、フィジカルに見栄えのする役者さんが多いので、ドラマは現実味を帯び、胸が締め付けられる瞬間も多い。それにしても、ストーリの流れが何と「蝶々夫人」に似ていることか。それぞれの登場人物の演劇上のキャラクターまでとても類似している。さしずめ、キム=バタフライ、クリス=ピンカートン、ジョン=シャープレス、エレン=ケイト、エンジニア=ゴロー/スズキというように対応出来るように思う。しかし、ここまで音楽が違えば、それはそれで立派な再創造である。あまりこの世界に詳しくないのだが、今回の若手役者さん達(笹本怜奈、原田優一、坂本健児、RIRIKA等)は、皆興ざめの絶叫がなく、良く整った声でスタイリッシュに歌っていたので、声楽的にとても満足!ミュージカルでこんなことは初めてである。エンジニアを演じた市村正親は、オペラで言えば性格バリトンの役柄であるが、良い意味で力の抜けた踊りと歌はさすがベテランの味。”アメリカンドリーム”でのたった一人でアンサンブルを従えた舞台は、「華」があって、なんともカッコ良い千両役者振りであった。