…
「下品な島の猿の話を知ってますか?」と僕は綿谷ノボルに向かって言った。
綿谷ノボルは興味なさそうに首を振った。「知らないね」
「どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。名前はありません。名前をつけるほどの島でもないからです。とても下品なかたちをした下品な島です。そこには下品なかたちをした椰子の木がはえています。そしてその椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。でもそこには下品な猿が住んでいて、その下品な匂いのする椰子の実を好んでたべます。そして下品な糞をするんです。その糞は地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。そういう循環なんですね」
僕はコーヒーの残りを飲んだ。
「僕はあなたを見ていて、その下品な島の話をふと思いだしたんです」と僕は綿谷ノボルに言った。「僕の言いたいのは、こういうことなんです。ある種の下品さは、ある種の淀みは、ある種の暗部は、それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。そしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。たとえ当事者が止めたいと思ってもです」
綿谷ノボルの顔にはどのような表情も浮かんではいなかった。微笑みも消えていたし、苛立ちの影もなかった。眉のあいだに小さな皺のようなものが一本見えるだけだった。そんな皺が前からそこにあったのかどうか、僕には思いだせなかった。
僕は話をつづけた。「いいですか、僕はあなたが本当はどういう人間かよく知っています。あなたは僕のことをゴミや石ころのようなものだと言う。そしてその気になれば僕のことを叩きつぶすくらい朝飯前だと思っている。でも物事はそれほど簡単ではない。僕はあなたにとっては、あなたの価値観から見れば、たしかにゴミや石ころのようなものかもしれない。でも僕はあなたが思っているほど愚かじゃない。僕はあなたのそのつるつるしたテレビ向き、世間向きの仮面の下にあるもののことを、よく知っている。そこにある秘密を知っている。クミコもそれを知っているし、僕もそれを知っている。その気になれば、僕はそれを暴くことができる。白日のもとに晒すこともできます。そうするには時間はかかるかもしれないけれど、僕にはそれができる。僕は詰まらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩きかえします。そのことはちゃんと覚えておいた方がいいですよ」
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村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』、新潮社《新潮文庫》、1997年、62-64頁
「下品な島の猿の話を知ってますか?」と僕は綿谷ノボルに向かって言った。
綿谷ノボルは興味なさそうに首を振った。「知らないね」
「どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。名前はありません。名前をつけるほどの島でもないからです。とても下品なかたちをした下品な島です。そこには下品なかたちをした椰子の木がはえています。そしてその椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。でもそこには下品な猿が住んでいて、その下品な匂いのする椰子の実を好んでたべます。そして下品な糞をするんです。その糞は地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。そういう循環なんですね」
僕はコーヒーの残りを飲んだ。
「僕はあなたを見ていて、その下品な島の話をふと思いだしたんです」と僕は綿谷ノボルに言った。「僕の言いたいのは、こういうことなんです。ある種の下品さは、ある種の淀みは、ある種の暗部は、それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。そしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。たとえ当事者が止めたいと思ってもです」
綿谷ノボルの顔にはどのような表情も浮かんではいなかった。微笑みも消えていたし、苛立ちの影もなかった。眉のあいだに小さな皺のようなものが一本見えるだけだった。そんな皺が前からそこにあったのかどうか、僕には思いだせなかった。
僕は話をつづけた。「いいですか、僕はあなたが本当はどういう人間かよく知っています。あなたは僕のことをゴミや石ころのようなものだと言う。そしてその気になれば僕のことを叩きつぶすくらい朝飯前だと思っている。でも物事はそれほど簡単ではない。僕はあなたにとっては、あなたの価値観から見れば、たしかにゴミや石ころのようなものかもしれない。でも僕はあなたが思っているほど愚かじゃない。僕はあなたのそのつるつるしたテレビ向き、世間向きの仮面の下にあるもののことを、よく知っている。そこにある秘密を知っている。クミコもそれを知っているし、僕もそれを知っている。その気になれば、僕はそれを暴くことができる。白日のもとに晒すこともできます。そうするには時間はかかるかもしれないけれど、僕にはそれができる。僕は詰まらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩きかえします。そのことはちゃんと覚えておいた方がいいですよ」
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村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』、新潮社《新潮文庫》、1997年、62-64頁
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