入院してた病院は今の町名だと
朝日町だけど60年前だと
どこになるんだろう。
水門町になるのかなあ?
水門町には生後半年から2歳くらいまで
借家に住んでたらしい。
覚えはまるでない。
その後 二十人町にできたばかりの
社宅に移った。
当時は風呂は無く近所にあった銭湯に
通った。今ではマンションになってしまったけどね。
照明は裸電球だけだった。
冷蔵庫も洗濯機も扇風機もない。
米は何で炊いたんだろう?
もちろんテレビなんてなくラジオもなかっただろう。
娯楽なんてこどもには何もなかった。
長い夜 暑い夏
何して過ごしたんだろう。
なので当時の思い出には色がない。
思い出に色が付き始めたのは
我が家にテレビが来てからのように思う。
サイモンとガーファンクルとしては
最後のヒット曲
二人ももしかしたら
色のない幼年時代を過ごしたのかもしれない。
寂れゆく街 希望のない閉塞感
たまらない悲哀です。