8月15日の靖国神社における参拝客はなんと20万5千人で、昨年同日の6万人を実に3倍以上も上回ったそうです。
近年、特に若年層を中心としたナショナリズムの高まりを危惧する声が左派系の知識人を中心にあがっておりますが、今回の数字はまさに彼らのそうした危惧を裏付けたものといえるでしょう。
国内におけるこのようなナショナリズムの興隆は、中国および韓国等における反日運動の激化や北朝鮮による拉致問題、そして、ここ数年爆発的に増加した“ネトウヨ系”ブログの影響なども相まって、今や一大ムーブメント(?)となった感があります。
ということで、今日は過去の自分への反省も含め、昨今のナショナリズム化傾向について素人ながら考察を加えてみようと思います。
日本国内において、現在少なからぬ国民の支持を得、ナショナリズム運動の中心的役割を果たしている存在に「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)があります。「つくる会」設立は1997年。そして、その前年には「つくる会」立ち上げの主要メンバーである藤岡信勝氏が産経新聞において「教科書が教えない歴史」の連載を開始しています。この連載は後に単行本化され、ほぼ時を同じくして登場した小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言」とともに大ベストセラーとなります。
とりわけ、彼らが展開した「南京大虐殺」および「従軍慰安婦」に関する主張は、日本国内外に大きな反響を巻き起こしました。当然のことながら当時の私にとっても彼らの主張は大きな驚きでした。特に、小林氏らが、それまで「日本兵による中国人虐殺の証拠」とされていた何枚かの写真を例にとり、その信憑性を詳細に検討し、最終的に「これらの写真はでっち上げである」と喝破してみせる姿には(表現は悪いですが)驚きを超えたある種の痛快ささえ覚えずにはいられませんでした。
そして、彼らのこのような細かな検証に基づく主張は、左右を問わず、また好むと好まざるとに関わらずあらゆる方面に影響を与え、やがて、彼らの唱える“一般庶民の常識的感覚”とか“日本人としての誇り”などというキーワードとともに一部の(?)国民の熱狂的支持を集めてゆくことになるのです。
社会学者の小熊英二氏はその著書「<癒し>のナショナリズム」のなかで、小林よしのり氏に代表される比較的若い世代のナショナリストと西尾幹二氏らに代表される従来からの保守系ナショナリストとを区別し、前者の特徴を「「左」を忌避するポピュリズム」であると形容しています。
小熊氏は「藤岡、小林らが従来の保守系ナショナリズムに接近していった要因の一つは、「進歩」的な論者達の批判であった」と分析します。
小熊氏は、藤岡、小林の両氏が当初、「東京裁判史観」「大東亜戦争肯定史観」のどちらに対しても違和感を表明し、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題には否定的見解を述べつつも、太平洋戦争の侵略性は認めていたことを指摘し、その例として、小林よしのり氏の96年の「新ゴーマニズム宣言」第27章における「アジアを侵略したのは間違いない」「日本はこのことを原罪として背負っていかねばならない」という二つの発言を挙げています。
ところが、彼らのこうした主張は、その後一部の左翼から激烈なバッシングを浴びることとなります。そして、このバッシングこそが、彼らの態度を硬化させ、彼らを従来型の保守系ナショナリズムへと接近させた原因ではないかと小熊氏は分析するのです。
一方、同様なことが、現在ナショナリズム運動を支持している若い人たちにも当てはまるように思えます。彼らは、決して理論に裏打ちされた保守論客のような思想的バックグラウンドや、保守思想を語るための“言葉”を持ち合わせているわけではないと思います。彼らが共通して持つ感覚、それは“左翼(もしくはサヨク)的”物言いに対しての猛烈な反発です。それはある意味、戦後日本を席巻したナイーブな平和主義に対するアンチテーゼであるとも言えるかもしれません。
小熊氏の弟子(?)である上野陽子氏の「<普通>の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー」によれば、「つくる会」の一般会員が通常否定的意味で用いているキーワードとして「左翼」「サヨク」「市民運動家」「朝日(新聞)」「人権主義」「社民党」「共産党」」「中国」「韓国」「北朝鮮」などが挙げられるそうです。これらのキーワードから考えれば、彼らの存在が「反サヨク」という文脈上で存在していることは想像に難くありません。
言ってみれば、現在の若者を中心とするナショナリズムの興隆には、(もちろん国内外を取り巻く経済、外交上の様々な要因を無視しては考えられないことではありますが)、戦後の硬直した平和主義的サヨク(左翼)思想が生み出した、いわば“鬼っ子”という側面があるのではないでしょうか。
もちろん、そのような硬直した“平和主義的サヨク(左翼)思想”自体が、「戦争」という歴史に対する痛烈なアンチテーゼ(反作用)として生まれてきたものであるという経緯を考え合わせれば、現在のこの現象はいわば歴史の“より戻し”に過ぎないという考え方もあるかもしれません。
しかし、いずれにせよ「反対のための反対」「忌避のための忌避」という意識の中で生産的議論が生まれる余地はないと言っていいのではないでしょうか。
(とはいえ、所詮「右」と「左」は水と油ですから、歩み寄れというのも無理な気もしますが。。)
冒頭で私は「過去の自分への反省も含め、昨今のナショナリズム化傾向について考察する」と書きました。何を隠そう、私もかつては多くの若者同様、藤岡氏や小林氏の発言に影響を受けていた時期があるのです。そして、今から考えると当時の自分の姿勢はまさに小熊氏の指摘どおりだったように思われます。
その後、藤岡、小林両氏の発言が従来型の保守系ナショナリズムに傾斜してゆくにつれ、私は彼らに対する興味を急速に失い、現在では基本的にどちらの立場にも与してはいませんが、
ただ現在では、「右」「左」という単純な二項対立で物事が判断されるような状況からは早く脱却した方がいいのではないかと考えています。
歴史的事実をあくまでアカデミックな立場から検証すること、そしてその上で様々な意見に耳を傾け、多くの書物に目を通し、自分の頭で考え、そして何を発信すべきかを見つけることが大切だと考えます。「朝日反日」を叫ぶことで“世直し運動”的高揚感を味わっているのかもしれない多くの若者(そしてかつての自分)に、地に足のついた闊達で真摯な議論を期待したいと思います。
近年、特に若年層を中心としたナショナリズムの高まりを危惧する声が左派系の知識人を中心にあがっておりますが、今回の数字はまさに彼らのそうした危惧を裏付けたものといえるでしょう。
国内におけるこのようなナショナリズムの興隆は、中国および韓国等における反日運動の激化や北朝鮮による拉致問題、そして、ここ数年爆発的に増加した“ネトウヨ系”ブログの影響なども相まって、今や一大ムーブメント(?)となった感があります。
ということで、今日は過去の自分への反省も含め、昨今のナショナリズム化傾向について素人ながら考察を加えてみようと思います。
日本国内において、現在少なからぬ国民の支持を得、ナショナリズム運動の中心的役割を果たしている存在に「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)があります。「つくる会」設立は1997年。そして、その前年には「つくる会」立ち上げの主要メンバーである藤岡信勝氏が産経新聞において「教科書が教えない歴史」の連載を開始しています。この連載は後に単行本化され、ほぼ時を同じくして登場した小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言」とともに大ベストセラーとなります。
とりわけ、彼らが展開した「南京大虐殺」および「従軍慰安婦」に関する主張は、日本国内外に大きな反響を巻き起こしました。当然のことながら当時の私にとっても彼らの主張は大きな驚きでした。特に、小林氏らが、それまで「日本兵による中国人虐殺の証拠」とされていた何枚かの写真を例にとり、その信憑性を詳細に検討し、最終的に「これらの写真はでっち上げである」と喝破してみせる姿には(表現は悪いですが)驚きを超えたある種の痛快ささえ覚えずにはいられませんでした。
そして、彼らのこのような細かな検証に基づく主張は、左右を問わず、また好むと好まざるとに関わらずあらゆる方面に影響を与え、やがて、彼らの唱える“一般庶民の常識的感覚”とか“日本人としての誇り”などというキーワードとともに一部の(?)国民の熱狂的支持を集めてゆくことになるのです。
社会学者の小熊英二氏はその著書「<癒し>のナショナリズム」のなかで、小林よしのり氏に代表される比較的若い世代のナショナリストと西尾幹二氏らに代表される従来からの保守系ナショナリストとを区別し、前者の特徴を「「左」を忌避するポピュリズム」であると形容しています。
小熊氏は「藤岡、小林らが従来の保守系ナショナリズムに接近していった要因の一つは、「進歩」的な論者達の批判であった」と分析します。
小熊氏は、藤岡、小林の両氏が当初、「東京裁判史観」「大東亜戦争肯定史観」のどちらに対しても違和感を表明し、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題には否定的見解を述べつつも、太平洋戦争の侵略性は認めていたことを指摘し、その例として、小林よしのり氏の96年の「新ゴーマニズム宣言」第27章における「アジアを侵略したのは間違いない」「日本はこのことを原罪として背負っていかねばならない」という二つの発言を挙げています。
ところが、彼らのこうした主張は、その後一部の左翼から激烈なバッシングを浴びることとなります。そして、このバッシングこそが、彼らの態度を硬化させ、彼らを従来型の保守系ナショナリズムへと接近させた原因ではないかと小熊氏は分析するのです。
一方、同様なことが、現在ナショナリズム運動を支持している若い人たちにも当てはまるように思えます。彼らは、決して理論に裏打ちされた保守論客のような思想的バックグラウンドや、保守思想を語るための“言葉”を持ち合わせているわけではないと思います。彼らが共通して持つ感覚、それは“左翼(もしくはサヨク)的”物言いに対しての猛烈な反発です。それはある意味、戦後日本を席巻したナイーブな平和主義に対するアンチテーゼであるとも言えるかもしれません。
小熊氏の弟子(?)である上野陽子氏の「<普通>の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー」によれば、「つくる会」の一般会員が通常否定的意味で用いているキーワードとして「左翼」「サヨク」「市民運動家」「朝日(新聞)」「人権主義」「社民党」「共産党」」「中国」「韓国」「北朝鮮」などが挙げられるそうです。これらのキーワードから考えれば、彼らの存在が「反サヨク」という文脈上で存在していることは想像に難くありません。
言ってみれば、現在の若者を中心とするナショナリズムの興隆には、(もちろん国内外を取り巻く経済、外交上の様々な要因を無視しては考えられないことではありますが)、戦後の硬直した平和主義的サヨク(左翼)思想が生み出した、いわば“鬼っ子”という側面があるのではないでしょうか。
もちろん、そのような硬直した“平和主義的サヨク(左翼)思想”自体が、「戦争」という歴史に対する痛烈なアンチテーゼ(反作用)として生まれてきたものであるという経緯を考え合わせれば、現在のこの現象はいわば歴史の“より戻し”に過ぎないという考え方もあるかもしれません。
しかし、いずれにせよ「反対のための反対」「忌避のための忌避」という意識の中で生産的議論が生まれる余地はないと言っていいのではないでしょうか。
(とはいえ、所詮「右」と「左」は水と油ですから、歩み寄れというのも無理な気もしますが。。)
冒頭で私は「過去の自分への反省も含め、昨今のナショナリズム化傾向について考察する」と書きました。何を隠そう、私もかつては多くの若者同様、藤岡氏や小林氏の発言に影響を受けていた時期があるのです。そして、今から考えると当時の自分の姿勢はまさに小熊氏の指摘どおりだったように思われます。
その後、藤岡、小林両氏の発言が従来型の保守系ナショナリズムに傾斜してゆくにつれ、私は彼らに対する興味を急速に失い、現在では基本的にどちらの立場にも与してはいませんが、
ただ現在では、「右」「左」という単純な二項対立で物事が判断されるような状況からは早く脱却した方がいいのではないかと考えています。
歴史的事実をあくまでアカデミックな立場から検証すること、そしてその上で様々な意見に耳を傾け、多くの書物に目を通し、自分の頭で考え、そして何を発信すべきかを見つけることが大切だと考えます。「朝日反日」を叫ぶことで“世直し運動”的高揚感を味わっているのかもしれない多くの若者(そしてかつての自分)に、地に足のついた闊達で真摯な議論を期待したいと思います。
戦後今年8月15日の靖国神社の参拝者数は、これまでになく多く、特に若い人たちの参拝が目立ったと言われています。一方で靖国神社に対して批判的な立場の東京大学の高橋哲哉教授の著書である「靖国問題」は新書本としては異例のベストセラーとなりました。私の手許にもありますが、靖国神社の本質である「戦死者の顕彰」は、戦前も戦後も変わっておらず、戦死者の顕彰が、現代において当時の国策を肯定する危険性をはらんでいるのではないかと思います。
また、NHKで靖国問題に関するディベートが行われていたのを見たのですが、批判側の代表である姜尚中東大教授の質問(かなりロジカルだと思いました)を賛成する側がまともな回答を避けていたという印象でした。「論理的に言われても戦争責任を追及するのはラッキョウの皮をむくのと同じだ。」という上坂冬子氏の発言には、難しいことは理解できますが、端から逃げるというのは違うのではないかと思います。
「つくる会」の作成した扶桑社教科書は一般にも販売されており、先日暇つぶしに立ち読みしましたが、左派のいう「子供達を戦場に送り込む」ようなものでも右派のいう「日本人の誇りを取り戻す」ことのできるようなものでもなく、ただの教科書の域は越えないものだと思います。ただし今年はつくる会の戦略として採択率を上げるため表現を穏やかにしたとも言われていますし、何よりもつくる会の「最大の成果」は他の歴史教科書において従軍慰安婦等に関する記述が後退したことだと思います。従ってこの分野でも「右傾化」は着実に進んでいるようです。
丁寧なコメントありがとうございます。
上坂冬子氏については、それほど知っているわけではありませんが、ネット等で見る限り、この人はときどきとんちんかんなことを言う人のようですね。こういう人を姜尚中にわざわざぶつけたというのはNHKに何らかの意図があったのかも知れませんね(笑)。
ところで戦争責任の話が出たついでに、これについての私の考えをちょっとだけ・・。
若者の多くがおそらく感じているのであろう感覚、すなわち「自分は戦争なんて知らないし、考えたこともない。自分は誰も傷つけてないし、戦争がいいことだなんてこれっぽっちも思ってない。だから戦後生まれの自分達には何の罪もないはずだ。なのに、何故、何度も何度も謝る必要があるのか??」
という感覚は、当事者意識のない若者には半ば普通の感情なのかもしれません。(自分も以前はそう考えていましたから・・・)
我々を含めた若い世代には確かに「罪」はないと思います。ただし、「罪」と「責任」という概念をごっちゃにすると話はわけのわからない方向に行ってしまいます。
確かに我々には「罪」はない。しかし、日本人としての過去に対する「責任」からは決して逃れられるものではないというのが今の僕の考えです。
ですから本来、日本が行うべくは「謝罪」ではなく「補償」ではないかというのが私の意見です。
ちなみに私も日本にいるときに「つくる会」の教科書立ち読みしましたことがあります。その印象はo_sole_mioさんと同様「目くじらたてるような内容じゃないな」というものでした