これは、ジャーナリスト魚住昭氏の記事。
直言「法律家としての矜持」
この直言というHPは、宮崎学氏が責任編集をしている。
はるか昔、この宮崎学氏にちょっとだけ傾倒した時期がある。おそらく、数年前までの彼の著作はほとんど読んでいるのではなかろうか(逆にいうと最近のものはほとんど読んでいないのだが・・)。僕がアメリカに来るときに日本から持ってきた本のなかにも、彼の名著「近代の奈落」があった。
彼は、京都のやくざの息子として生まれ、早稲田大学時代はご他聞に漏れず学生運動に参加し、共産党のゲバルト部隊員としてさんざん暴れまわったそうだ。あの鈴木邦男氏率いる右翼学生たちと早稲田大学構内で死闘を繰り広げたこともあるという。
そんな彼の関わったHPだというので、どんなものが出来上がるのか多少興味はあったのだが、蓋を開けてみたら想像以上に面白いので驚いてしまった。
さて、話は突然変わるが、日本では近々エルサレム生まれのパレスチナ知識人E・サイードを描いたドキュメンタリー映画「エドワード・サイード」が公開になるようだ。
残念ながら彼は数年前に亡くなってしまったが、彼の語った“知識人の表象”についての言葉は、今でも僕のものの考え方の根底にあるような気がする。
「知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく、批判的センスに全てを賭ける人間である。(中略)なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である」
僕は何か事が起こるたびに、サイードのこの言葉を思い出す。
決してこの意見が真理だとは思わない。しかし、何故だろう。こういう物言いについつい共感してしまうのである。
(お前のどこが知識人だよ、という突っ込みはご勘弁ください(笑))
直言「法律家としての矜持」
この直言というHPは、宮崎学氏が責任編集をしている。
はるか昔、この宮崎学氏にちょっとだけ傾倒した時期がある。おそらく、数年前までの彼の著作はほとんど読んでいるのではなかろうか(逆にいうと最近のものはほとんど読んでいないのだが・・)。僕がアメリカに来るときに日本から持ってきた本のなかにも、彼の名著「近代の奈落」があった。
彼は、京都のやくざの息子として生まれ、早稲田大学時代はご他聞に漏れず学生運動に参加し、共産党のゲバルト部隊員としてさんざん暴れまわったそうだ。あの鈴木邦男氏率いる右翼学生たちと早稲田大学構内で死闘を繰り広げたこともあるという。
そんな彼の関わったHPだというので、どんなものが出来上がるのか多少興味はあったのだが、蓋を開けてみたら想像以上に面白いので驚いてしまった。
さて、話は突然変わるが、日本では近々エルサレム生まれのパレスチナ知識人E・サイードを描いたドキュメンタリー映画「エドワード・サイード」が公開になるようだ。
残念ながら彼は数年前に亡くなってしまったが、彼の語った“知識人の表象”についての言葉は、今でも僕のものの考え方の根底にあるような気がする。
「知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく、批判的センスに全てを賭ける人間である。(中略)なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である」
僕は何か事が起こるたびに、サイードのこの言葉を思い出す。
決してこの意見が真理だとは思わない。しかし、何故だろう。こういう物言いについつい共感してしまうのである。
(お前のどこが知識人だよ、という突っ込みはご勘弁ください(笑))
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