MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

2004年06月17日 22時20分28秒 | 雑感
僕のアパートの周辺にはたくさんの蛍が生息していて、夜になると池の周りをふわふわと飛び回りなんだかとっても風流である。
しかし、この間立ち止まって蛍を見ていたら、近寄ってきたへんなおっさんに
「珍しいのか?」といわれた。
「そうだ」と答えると、
「これは単なる虫だ。夏になると出て来るんだ、別に珍しいものじゃない」とそっけなく言われた。

何故だか分からないが、蛍が飛び回っていてもこっちの人はほとんど見向きもしない。
“所変われば”などとよくというが、日本人の感覚とは随分違うな-とあらためて感じた。

さらに先日、あるヨーロッパ人に
「子供の頃はよくセミをとって遊んだもんだよ」と言ったら
「セミをとってどうするんだ?」と真顔で不思議がっていた。

こっちの人はセミ採りをしたことがないのだろうか?

「お前の子供はセミ採りしないのか?」と聞いたら
「ときどき落ちてるセミを踏んづけて遊んではいるけど、わざわざセミを採りにいくことはない」とのこと。

やはり習慣が違うようだ。

よく言われることだが、日本に一神教的信仰が深く根付かなかった理由のひとつに、日本の自然崇拝があるという。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など、いわゆる“砂漠の宗教”が生まれた国々においては、人々が現世に救いを求めることは困難であった。
一滴の水を争って人々が殺しあう弱肉強食の時代においては、従って現世を超越した強大な神の存在を創造せずして人々は救われなかったのだという。

一方、古来日本においては救いは現世にあったのだそうな。
自然に恵まれ、一滴の水を争う必要がなかった日本においては、救いは豊かに流れる川の水や、青々と茂る木々の中に存在したのだという。
つまり強大な神を押戴く一神教とは“神聖なるもの”の次元が違うというのだ。
そうであるならば、日本に、目に見える自然を崇拝する習慣が根付いたのはいわば必然であったのかもしれない。

蛍を愛でる習慣はひょっとしたら僕達日本人の専売特許なのかもしれないなーなどとなんとなく思った。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (ダイアン)
2004-06-18 02:58:25
を愛でる習慣って豊かですよね。

自慢できる専売特許だ!

DCは蛍が居るんですね・・・素敵だな。

自然を見てすごいなって思えるってとっても大事な心なんだと思うんですよね。
返信する
蛍・・・ (Pow on !)
2004-06-18 12:22:25
 幼稚園の時には実家の付近でも見かけましたが。

夏になると、山ほどいろいろな虫がとんできて・・・

虫の声もうるさいほどでした。今ではすっかり

宅地化が進み、あまり東京と変わらなくなって

しまいました・・・

 虫の鳴き声、日本人は脳の音楽を処理する領域で

聴き、欧米人は通常の雑音として脳で認識する、

なんて話を聞いたことがあります。

(懐かしの右脳・左脳ですね)

セミの話とか、やはり、自然についての感性が

大きく違うようですね。
返信する
アメリカ人とfirefly (kazu-n)
2004-06-18 12:25:53
僕のこの文章を読んだある方から、

アメリカ人でも蛍が好きな人はたくさんいるのよーと教えてもらいました。

従って、蛍を愛でる行為は日本人の専売特許ではどうもないらしいということが判明しました。

ちなみに、蛍は英語でfireflyというのだそうです。

また一つ勉強になりました。



それと英語で思い出しましたが、英語での苦労話なんかも近々書いてみようかなーなどと思っております。



それから今回のお話に関連して、自然に接してすごく感動した時の話もそのうち何か書いてみるかもしれません。
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そうなんだ (ダイアン)
2004-06-18 12:51:04
じゃあ、同じ様な感性を持っている人も

居るんだってことですね。



この先のkazu-nさんの記事も楽しみにしてますよ。
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