流れに逆らわず…

気まぐれな…メモ帳 【非結核性抗酸菌症】

花粉症で絶不調…

2020-03-13 20:40:00 | agréable.。.:*

例年通り
花粉症真っ只中

それでも
会社に行く訳ではないので
強い薬は飲まず
お化粧もせず
鼻栓しながら
やり過ごせるので…
まぁいいんですけど



今年はそんな事よりも
世間はコロナコロナ…で
病院に薬を貰いに行くのも
躊躇ってしまいます


近所の公園には
野放しの子供たちが
溢れ返り…

罹患者がいない県は
休校にしなくても
良かったんじゃないかと…
部外者の私は思ったり

学校に行っている子のいない
我が家は
どこか人ごとなんですが…

ふと
自分の子供の頃の事を
思い出すのです


私は
両親が3歳の頃に離婚したので
姉は父と
私は母と暮らしていました。


ところが
ある日の夜
父が来て
母と3人でドライブをしました

幼かった私は
車の中で寝たらしく
目が覚めると母はいなくて
そこは父の家でした。


父の家には
姉と祖母(父の母)がいて
もう一人
知らない女性がいました。


姉に会えたのは嬉しかったけど
嬉しかったのはほんの一瞬で…
なんだか
居心地の悪い場所だったのを
覚えています

いつになったら
母のところに
連れて帰ってくれるのだろぅと

そればかり
考えていました。


何日経っても
何ヶ月経っても
母のところには帰れませんでした。


ある日
祖母と近所の人が
話をしているのが聞こえました。

『あの子がきたせいで……』

『あの子がおるから……』


私が望んできた訳じゃないのに
大人たちは
私がココにいる事を
良く思っていないと知りました。


お母さんに
会いたくて
会いたくて…

でも
帰り方も分からず
どうする事もできませんでした。


姉は
家にいる女の人と
仲良くしていて
甘えたりしていました。


仕事であまり家にいない父にかわり
祖母が私の面倒のほとんどを
見てくれていました。

学校から帰ってくる私を
いつもおやつを作って
待ってくれていた祖母でした。



何年経った頃かな…

もう
お母さんのところへは
帰れないんだろぅなと
気づきました

私はお母さんに
捨てられたんだなぁ〜って


そして
家にいる女の人が
新しいお母さんなんだと。



それでも
私のお母さんは
生きているわけだし
一緒に暮らしていたお母さんが
私のお母さんだから

その人を
お母さんとは
どうしても呼べなかった私

姉は
可愛がられて
私は邪険にされる日々が
何年も続きました


そりゃ
懐かないから
可愛くなかったでしょうね



勉強も良く出来た姉は
お手伝いなども
全くしているのを見た事なかったけど
私は
使用人のようにこき使われ
三年生くらいからは

トイレ掃除
階段と廊下の雑巾掛け
玄関の掃き掃除

学校から帰ったら
ご飯を炊いておく事
夕飯の手伝い…

そして
何故か外出禁止?

アレはなんだったんだろぅね〜(笑)


父はその事を
知ってか知らずか…
たまに
行きつけの喫茶店に連れて行き
プリンアラモードを
食べさせてくれるのです。

それは
私の唯一の楽しみになっていましたが
月に数回
中学生になるまで続きました。


祖母は
継母のいない時には
優しかったけど
私が継母に怒られていても
決して
助けてはくれなかった

毎日のように
私は怒られていたので
祖母も
継母のヒステリックな声に
閉口していたのかもしれません


言われた事をしていても
とにかく
私のする事為す事全てが
気に入らなかったのでしょう

ギャンギャンガミガミ…
生理前は特に激しく
すごく
怖かったです



とにかく
早く大きくなって
家を出ることだけを
指折り数える日々でした


それでも
私が高校受験の時
私は公立一本でいいと言ったのに
私立の滑り止めを勧めてきたのは
継母でした

結果
私は公立の高校に行ったのですが
後日…
継母が私立の入学金を
納めてくれていた事を知りました。

高校卒業前
自動車教習所のお金も
知らぬ間に継母が
払ってくれていました。


就職と同時に
家を出た私。

家を出る前日…
ケーキを買ってきてくれて
2人で食べました。
何を話したのか覚えてないけど
継母がほんの少し笑ったような
気がしました

就職して一年目
会社の代表で表彰される事がありました。
父と祖母と継母が
会場に来てくれていました。
継母が泣いているのを見て…

初めて
感謝の意味を知りました。


それからも
休みの日には好物を作って
帰りを待ってくれていたのも継母でした。


嫌いで嫌いで
大嫌いだった人の事を

母と思えるようになったのは
10年以上もの歳月が経ってからでした





今の私なら
当時の継母の気持ちが
分かるのです。。。

27歳で
9歳の子の母親になり
すると
もう一人5歳の子がやってきて
自営で忙しく家に居ない夫
気の強い姑

継母自身
フルタイムで事務の仕事をしていたし
そりゃ
ストレス満載の日々だったのでしょう



私が父の元に戻ったのは
身内から
姉妹を離してはいけないと
言われたらしく
それで小学校入学を機に
私を引き取ったらしい


母は何度も
返してほしいと手紙を送ってきたり
家にも来ていたらしく
時には
私の下校時に
見ていた事もあったと
親戚からも聞いた

だから
祖母がしょっちゅう
学校の近くまで
迎えに来てくれていたんだなぁと


大きくなって
色々な大人の事情が分かり
今までの辻褄が合い…


誰が悪い訳でもなく
みんなみんな
苦しかったんだろぅなぁと…。




恨みも辛みもなくなり


産みの母にも
育ての母にも
今は感謝してますけど

幼少期に作られた
歪んだ性格で
今だに苦労する事はあるけど〜(笑)



話が脱線したけど
何が言いたかったかと言うと

学校が休校になる事で
辛い思いをしている子が
いるんじゃないのかなぁと

自分の子供の頃と
重ねて思ったりした訳です

幸い
ご飯もちゃんと食べさせてくれたし
学校も行かせてくれてたし
もちろん
暴力も受けてないのですけど



あの頃の私は
家が一番苦痛だったので
ふと…
そんなことを
考えたりした今日この頃






上に向かって葉が伸びてると
なんだか
嬉しくなります



そうそう♪
嬉しい事がありました

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2020




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花粉症で鼻水が出まくって
思考能力が低下中だけども

来週は息子宅の引越しなので
元気でいなければね。。