何だか考えていたのだった。安倍晋三って何だったのかと。
僕なりの手短な結論。安倍晋三には何もなかった。空であった。中身がなかった。そんなところではないかと落ち着いた。
彼は極右の政治家であると思われている。中国や韓国を敵視しているように思われている。よって、ネトウヨは彼に親密性を感じ、先日の暗殺で神格化されるような気配さえ生じる。
コロナ前中国と仲良く振る舞い、日中平和条約を確認までしていたと思う。これは中国の主権を確認するものだから、台湾は中国の一部と認めたことになる。コロナになっていなければ、習近平は来日していたはずだ。
ただ今年に入ってから、中国の台湾侵攻の危機を煽っていた。やってる事がちぐはぐである。
韓国との関係は、まさに今現在問題となっている統一教会との関係をみれば、選民であると主張する韓国に奉仕し続け、日本国民を棄民のように省みることもない。
ロシアとのというか、プーチンを友人として振る舞って喜色満面だったのを思い出す。で、北方領土問題は何も起こらずというか後退。ウクライナ侵攻すると、何も発言しない、何もしない(発言していた記憶がない)。
まあ米国の言うことは聞いていたようだが、おじいちゃん(岸信介)から受け継いでいたことを守っているだけだろうか。多分おじいちゃんに気に入ってもらう事が、彼の内面を支配していたのではないかと、疑ってしまう。ただこれはわからない。精神分析できるわけでもないから。でも、そんな気がする。
彼はそのようなコンプレックスの塊だったのだろうか。最初に総理大臣になっても、お腹が痛くて、辞めてしまう。
しかしながら、その後大阪のたかじんなどのテレビが彼の右翼的に見える振る舞いに期待をかける。そうすると、何だか立派になってしまったような気がしたのではないか。祖父や父親のような東大出のエリートのような賢さもなかった彼にかかる期待が、あたかも彼自身になったように。
そして2回目の総理大臣。世界的に右翼的な力が台頭する中で、時代にマッチし、彼を応援するどころか、信奉するものたちも数しれず。ネトウヨはその最たる現象。
ただ彼は思想など持ち合わせてはいなかったと思うのだ。彼はノンポリ。たまたま祖父と父が政治家であったので、その流れに乗っただけで、何だか血統に期待が寄せられてしまった。あれよあれよという間に出世、そんな感じではないのか。
彼に思想がないのは先にあげた中韓露米などへの姿勢に現れている。明確な思想があれば、多少政治家としての風見鶏的な気風があったにしても、安倍晋三ほどのブレは生じない。
だから憲法改正に突き進むように見えながら、その意味自体を問われてもまともに答えられない。挙句は、9条に自衛隊明記の理由が、自衛隊の子供が可哀想という程度のことしか出てこない。そういう程度の気持ちが政治家にとって、重要なことかどうかなどと、振り返ることもない。憲法の近代的・存在論的意味など蚊帳の外。
しかし、そのような発言を大衆の一部が支持する。そうすると、おそらく自分が大切なことを言ったような気になってくる。自惚れる。
全ての政策がそんな調子である。消費税を上げる意味もわからず、経団連や官僚から言われたことを受け入れる。あるいはアベノミクスもよくわかっていないが、周りから煽てられて、評判いいと思う。で、意味もわからず、日銀は政府の子会社と宣う。日銀と政府がどうして別になっているのか、考えないのではなく、そんな制度の意味、権力の分散の意味など頭が及ばない。だから、だれかに入れ知恵されて、ただ言っただけ。
空である。安倍晋三は空であった。何か思想があれば、その都度、政策を彼自身の思想から整合性を問うことになるが、そもそも思想がないのだから、整合性など頭が及ばない。だから、「私が立法府の長」と三権分立の、近代の制度の根幹もどうでもいい。何だかかっこいいとでも思って言っただけだろう。
で、祖父や父親、そして周りが右翼的な人物が多いから、彼の空の頭には、それらが組み込まれている。空だからこそ、実は何でも組み込まれたのだ。それらが彼の人間関係や社会情勢によって、たまたま決められていたのである。とすれば、彼は現代日本の象徴である。
日本人に思想も整合性を問う態度もなく、ただ流されるだけという大衆的な存在非拘束性の代表的人物であった。
よく彼が嘘を付いたのは、言ったことを嘘と言われたくないだけ。つまり子供が嘘を付くのと同じこと。
彼にあるのは好き嫌いとか、その程度だろう。だから好きな人、彼に忖度する人に行為を示す。彼を批判する人は、その批判の内容ではなく、批判されること自体がイヤなので、嫌いである。そういう人物であった。
このぐらいにしておきたいが、結局安倍晋三は空であるから、何でも取り込めたのである。ブラックホールだよ。