Drマサ非公認ブログ

民主主義ではないということの自覚

 8月から9月と日本社会、特に政治システムのインチキさがあらわになった。もちろん旧統一教会や国葬の問題がその象徴だ。

 さて国葬についてだが、法律がないとか、安倍元総理の業績評価が定まっているわけではないとか、なんだか色々。僕はもちろん反対の立場である。

 とはいえ、岸田自民党が「国葬をやるぞ〜」と言い出した。その理由は色々ありそうで、なんだか政治的というか、国民を誘導しようというか、なんだか邪な思惑があるようだ。そもそも思惑の内容は色々言われるけれど、思惑があることはバレバレである。さすがに国民もわかっている。

 しかしながら、例えば法律が不十分と言われ、そのことを受け入れたとしよう。簡単だ。法律を作ればいいだけだ。そして自民党にそれだけ議席を与えてきた。誰の責任だろう。我々国民である。

 自民党が行う行為(安倍がその中心だったのだろう)を、形式的にではあるが、国民が選挙で勝利を与えてきたのだから、結果認めてきたということになる。確かに自民党支持は30%にも満たないが、選挙というシステム、つまりは民主主義を採用している限り、自民党が政権をとる。繰り返すが、国民がそうしてきたわけだ。

 だから国葬をやろうがやらまいが、自民党次第。どうにか世論なるものが気にかかるのだろうが、これまでも大した気にしちゃいない。

 統一教会の問題も、赤旗や週刊誌が安倍や自民党とのつながりを記事にしてきたが、大して問題にしてこなかった。そもそも安倍と統一教会のつながりは、twitter程度で指摘されてきた。しかしながら、動かなかった。

 だから国民の責任である。その事実を自覚したらいい。そういう政治的社会的問題があるなら、多くの人々と共有して解決を計るための一歩を具体化していくことが、市民に求められることだし、民主主義の鉄則である。形式は民主主義だが、民主主義の精神は持っていない、そういうことだろうと思う。

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