明石・泉市長に脅迫メールである。
内容には触れないが、とっとと捕まえて欲しい。警察にやる気があれば、すぐだろう。
さて、泉市長は明石の行政を変化させてきた人物である。特に子供に力を入れ、今では市民が自ら自治の精神を発揮しているという話まである。
というのは市長は確か無所属で、その結果議会とは常に対立する。市長が市民の立場での政策を立案しても反対される。そこで、市民が市長に対して、議会を攻撃しないように依頼したという。なんと市民が自ら市議会議員と会って、説得までするのだという。その結果、市長の政策が実現。
これぞ住民自治だ。泉市長は市民に信頼され、市民と絆を作ることに成功している、ということだ。
僕は日本社会の根本的問題は、社会が分断していて、そのため市民同士のつながりが薄れ、同時に権力とのつながりも薄れていることだと考えている。そのため、行政や議員と”特別な関係”を持つ者にだけ、目が向けられるという実態がある。ただ、この実態は簡単に可視化されない。
泉市長は、かの石井紘基の政治活動に深く関わっていた人物だ。よく知られる通り、石井さんは2002年右翼の若者に殺害されている。なんときな臭い事件か。
石井さんはソ連研究の第一人者であった。あの時代、ソ連が優れた国家であると夢見て研究したのだろうが、その実態は一部の支配層にのみ富が集中し、国民は搾取されていた。その現実は、日本も同様であって、この差別的搾取的社会状況を変えようと政治活動に邁進していた。今現在も変わらない。
特に有名なのは、特別会計の問題である。国民の富であるにも関わらず、どのように使われているのかが不明であったのだ。そして一般関係よりも大きい金額が動かされている。その闇を付くため、殺害されたとまことしやかに噂される。
石井さんが強調し、泉さんが継承したのは、人と人のつながりである。その現れが明石での子供への眼差しの変化である。その反対が社会の分断。
子供を人々が大切にし始めることを行政が示したところ、人々は子供のために動くようになった。そして子供を間にして社会が住みやすくなっていく。
当たり前だけど、気づかない。電車に乳母車が入ってくれば、迷惑という社会では、その感覚に気づけない。絆が強調される社会は、絆が失われているからである。そして絆のPRに感動するのもまた、社会が分断されていることから、生み出される逆説的な感情が”感動”であることが多いことに気づく。