循環器内科の通院も4度目。2月初めの頃。
X線と血液検査でこれまでのデータと比較し、診断を受ける。総じて、良い方向とのこと。薬はまだまだ続けなければならないという。自分としては、できるだけ薬に頼りたくはないのだが、適当に薬の使用を減らしつつ、自分なりに様子をみようと思う。すでに実行済みで、薬を3日飲まないという実験を数度試みているが、血圧を例に取れば、変化はない。だいたい140台である。それ以外にも減薬実験は試みている。
薬を止めることができないのは、正直に言うと、妻の目があるからだ。なんせ心配するので、薬を飲まないと怒られる。私ごときのような人間に愛情を注いでくれる妻に感謝感謝でしかないので、「しょうがない」という気持ちは生じない。
ただ妻に「ありがとう」と言うと、「そんな言葉入らない」と返ってくるので、言わないようにしているのだが、思わず出てしまう。その繰り返しだ。どうして「ありがとう」がいらないのかというと、他人のように感じるからということだ。感謝の言葉を言われたいという女性の意見を散見することができるが、そうじゃないこともあるわけだ。
話が脱線してしまった。この時、医者から次のような話があった。
「実はこの病院を辞めるので、ほかの医者に引き継ぐことになります」と。
どうも怪しいと思っていたのだ。前回、前々回と他の病院、つまりとある大学病院に変えることができると示唆してきたのだ。確かにその大学病院は私にとって好都合に思えるところではある。
なぜかというと、勤務先の眼と鼻の先にあるからだ。仕事の話をしたことがあるので、そこからの提案でもあったように思われる。ただ私としては現在通っている病院は自宅から通いやすいので、こちらがいいと断ってきたという経緯があった。ちなみにこの時点で私の主治医であるこの医者は以前その大学病院で勤務していたそうで、私の病状に十分対処できる病院だと強調してきたものだ。
そこで相談してみると、紹介状を書いてもらい、腎臓内科で通っている病院に変えることになった。この時点で、入院していた時に、この病院から紹介された病院である。ということで、すでに通院している病院である。
その理由は、まず自宅から近いこと。なんせ徒歩10分である。次にこの病院から医者が派遣され勤務しているので、何か問題が生じたとしても、高度先進医療を施せるこの循環器専門のこの病院とつながることが容易であるということだ。
ところで、この医者がどこに転勤になるのか知らないが、入院時の主治医では担当できないとのことで、通院の担当医に彼がなったはずである。まあ、医者が誰でなければならないとか、医者の好き嫌いなどをいう気もないのであるが、まあこんなものなのだろう。ちなみに無責任という思いなど毛頭ない。
これからは1つの病院で、循環器内科医と腎臓内科の2つの科を別の医者に診てもらうことになるわけだ。なんか少し面倒臭い。
これで入院までしたこの病院とはさよならということになる。また心不全で酷いことにさえならなければ。
通っているときの思い出は、待合室でニュース番組をなんとなく見ていたという光景である。音声がなかったのと、心臓が悪い人ばかりで、心配げな年寄りの表情が多かったのが印象に残っているせいかもしれない