スーパーに買い物に行った。調布駅までプラプラ歩いていたら、駅手前で小学生だと思われる少年と目が合った。
何気なく笑顔を返していたように思うのだが、何か言いたげのようだ。
そこで少年は「あそこで変なことを言っている人がいるんです」と。
やっぱり少年は何か思うところがあって、誰かに伝えたくなったんだろう。
「コロナは風邪と同じだって、おかしいので、やめさせてもらえませんか?」と僕に投げかけてきた。
なんとなく状況がつかめた。確かに調布駅前で、コロナ陰謀論を人々に伝えようとする人物がいたのを思い出したからだ。
僕は次のように言った。
「ああいうおかしなことを言う人って必ずいるんだよ。だから君が信じないことが大切だよ」
少年「ん〜〜、わかった。ありがとう」
僕「じゃあね」
少年は何か言いたいことを言えて、少しは抱えた心なかのモヤモヤを柔らげられただろうか。そうだといいのだが。
少年と別れて少し歩くと、確かに少年が指摘した人物が演説を行っていた。「マスクはいらない」「コロナはただの風邪」「騙されるな」といった張り紙もあった。誰も話を聞いていないのだが、一生懸命だ。
陰謀論は「自分は真実を知っている」との思いを抱える。よって真実を人々に伝えることは正義であると。陰謀論は今に始まった社会現象ではないが、社会不安が高じると広がるとは社会心理学の知見。
僕はそもそも「真実って何か」「正義って何か」という哲学的問いからはじめなければならいと考えるが、陰謀論者にはそのような哲学はない。
それにしても、このような陰謀論を信じる者たちが少なからずいる。またコロナを気にしていない人物もいるだろう。それは意識と行動どちらかであっても。例えば国民の1割が「コロナなんか気にしていない」と考えていれば、彼らはコロナを気にしないで行動するだろう。
そういう人間が1割いるということは、コロナリスクを高め、それだけで十分にコロナは拡大する。1割の人間が「コロナに注意している」9割の中にいることになるからだ。
1人の感染者が何人にうつすのか、実行再生産数というタームを覚えた人も多いだろうが、うつしてしまう人間の母数が増えれば、当たり前だが、コロナは拡大する。今日1日の死者が初めて100人を越えた。
少年は間違いを演説していることがおかしいとでも、思っただけであったかもしれない。その思ったことは誰かが受け止めなければ、その思いはどうなるのだろう。僕が偶然受け止める役を果たせたとしたら、仕合せなことである。