Drマサ非公認ブログ

システムとしての飲食

 今日食事をするために中華のチェーン店に入った。

 狭い店で、ホールに一人だけである。後配膳をロボットがやっている。厨房には何人いるのだろうか?などと考えながらタブレットで注文。それほど混んではいない。食事が配膳されるまで、なんとなく店内を見渡していた。

 ホールのスタッフは若い女性。料理が出てきて、ロボットにセットしている。少し時間がかかるように思われた。そしてロボットが店内を動く。最近良くある風景だ。

 でも変だなあ?と思ってしまう。彼女がロボットに料理をセットする時間があれば、十分にお客のところまで配膳できる。なんせ狭い店だ。そんなことも考えないのだろう。

 こういう飲食チェーン店など日常生活に組み込まれた徹底的な合理化をマクドナルド化という。チェーン店の世界的代表がマクドナルドってことなんだろう。コロナで尚更合理化は進む。タブレットで注文もそこに人の介在を少なくすることによる合理化。ロボット配膳も人の介在を少なくする合理化。

 そうやって社会の中に人間が必要なくなり、コンピュータやロボットが活用される。システム化である。便利に見えて、人間が不要になる、そういう社会。

 1人年配の方がいた。ロボットが配膳するも、微妙な距離で、取っていいのかどうか躊躇していた。そのままロボットは戻ってしまう。ホールのスタッフがレジをやって、5分近くして気づいて、何もなかったように彼女が配膳。その方も当たり前のように受け取っていた。

 なんだかなあ・・と思っていた。若い人たちは当然のように適応している。結局飲食店での行為は事前にコード化されていて、皆がそれに適応する。そういう社会になってきた。オーウェルのビッグブラザーは現実のものとなっている。コードを身につけていない場合、それはノイズであるから、システムからは嫌われる。

 このように社会の上に積んだシステムに訝しく思う僕自身がノイズだろうか?もう人間はコードに沿って行動するので、その意味ですでにロボット化されている。

 

 

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