なんといっても、民主主義は古代ギリシャ、アテネである。
元々は貴族が政治の実権を握っていたり、僭主と言われる独裁者の政治であったりした。僭主は貴族政治の混乱に乗じて、民衆を煽って、政治の実権を握るわけであるから、ここに民主主義へ繋がる匂いがする。
ペリクレスが現れ、貧富の差に関係なく、誰もが政治に参加できる、民主主義を断行する。もちろん奴隷はこの政治システムの外側にいるから、現代の基準からすれば、民主主義ではないが、アテネの繁栄は民主主義の力によるものと考えられたりした。
しかしながら、プラトンは民主主義を非難した。この先進国であるアテネが、後進国である王制スパルタに負けてしまったこと、そして民主主義が師のソクラテスを死刑に処してしまうという現実を目の当たりにしたからであった。
そこで民主主義など、貧乏人の政治にすぎないと切って捨てた。貧乏人は結局欲に囚われてしまうので、正義の、あるいは真実の政治から遠ざかったところにいる。そんな大衆による政治は現在でいうポピュリズムにおちいる。それが端的に現れたのが、真実にしか興味のない人間ソクラテスの死刑。
ソクラテスはアテネの民主主義に殺されたも同然。よって、後の国家論になり、哲人政治に。
アテナから飛んで、2000年後のフランスではロペスピエールが登場する。自身を民主主義を実践する者と見なしていた。フランス革命である。
フランス革命はブルジョア中心で行われていた。そこに現れたロベスピエール。彼は身分制自体をフランスから消し去ろうとする。そこで行ったのが粛清の嵐、恐怖政治であった。彼が独裁を行なった。
この時代は土地を持つものがすなわち財産を持つものであって、彼らが力を持つ限り、フランス革命が全うできない。この土地所有者、ブルジョアジーを擁護するものが革命を推進する側にも多く存在する。彼らこそフランス革命の敵、すなわち民主主義の敵である、として、粛清していった。その数は数万人と言われる。
土地所有者、金持ちから、財産を奪い取り、庶民に分け与えることが、民主主義、それが、当時の民主主義のイメージであった。短絡すれば、金持ちから財産を奪い、民衆にばらまくこと。これが民主主義である。
とすれば、現在資本家という金持ちから、生活の苦しい人々に金を回そうとするのは、アテネとフランス革命の時の民主主義的であるということができそうだ。とすれば、資本家からすれば、民衆の側につく者は過激派のように映るのかもしれない。