民主主義が肯定的意味になった大きなきっかけは第一世界大戦の頃ではなかったかと思う。
というのは、当時の米国はモンロー主義で、大西洋をこえたヨーロッパの戦争には介入しないとしていた。特に国民が。ドイツは米国船も攻撃対象にするようになっていたが、米国の軍需産業などは戦争に加われば儲かるとして、戦争に加わりたい意向であった。
時の大統領ウィルソンは、産業界の意向を無視できずにいたが、国民感情を考えると、踏み切れない。そこで政府に広報のためクリール委員会を設置し、プロパガンダを行う。これはメディア論などでよく取り上げられる大衆操作の具体的事例の1つになる。
色々なプロパガンダの方法を考えだす大きなきっかけになったのであるが、そこで使われたPR言語が民主主義であった。すなわち「世界を民主主義のために安全にする」「民主主義を守る」。
現在も米国が戦争をする時、「世界に民主主義を広げるため」などとのスローガンを立ち上げるのだが、100年経った現在も利用される手法である。そして、このプロパガンダは浸透し、人々の信憑になってしまう。
これによって、民主主義は正しい政治であると信じられるようになったといって良い。それまで民主主義は決して正しいとは考えられておらず、悪政に陥る可能性が強いとされていたのだが、多くの人々にとって、その意味が転換されたといっていいのではないか。
現在プロパガンダとしてメディア論などでは、ヒトラーの手法を槍玉にあげるのだが、その前提として、米国のクリール委員会が作り出した手法が控えていた。米国こそ、プロパガンダで作られている国家である。
これについては著名な言語学者チョムスキーのメディア批判に詳しい。当時の知識人、プラグマティズムのデューイやステレオタイプの考えを作ったジャーナリストで政治学者のリップマンなどがプロパガンダに協力している。
学者や著名人はいつでも政府に利用されるというか、自身の思想を実現する場所として、政府があるのかもしれない。
また20世紀になる頃というのは、現代の広報というかPRの方法論が確立したころである。有名なのは「PRの父」と言われるEバーネーズであるが、彼もまたクリール委員会に参加している。
こう見ると、限定をつけておく必要はあるが、民主主義は一面ではプロパンダで利用され、大衆操作の道具であることを忘れてはいけない。
ゆえに優曇華の花なのである。
(つづく)