Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

引き裂き措置でのメランコリア型うつ病〜わたしのケース〜

2024-11-05 16:18:04 | 病状要因と経過
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うつ病
には色んなタイプがあるそうです。わたしが患うメランコリア型うつ病は基本型だそうです。

メランコリアは朝が本当に辛いことを、身を持って体験したので、わたしのブログのサブタイトルは『メランコリアの朝』です。

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メランコリア型うつ病

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わたしの場合は『パニック障害』と『うつ病』が併発しているため、どれがどうと判断しづらいらしいです。

なので、『わたしのケース』ではという話で綴りたいと思います。まず下記のことから。

(下記は最も症状がひどかった時の状態の過去を綴ります)

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①朝が辛い、朝に希死念慮

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朝起きるときに、また今日が始まり、「わたしは一人ぼっち」と思い、

とも話しもさせてもらえず(引き裂き措置により)、愛猫も寿命で亡くなり、

本当の空虚、虚無、空っぽ

になった自分

がそこにいました。

自分が自分でないような感覚で目覚めて、普通なら目覚めたら次の行動が出来るだろうけど、

体が非常に重く金縛りの様

に動けず。

遠くから自分を見ている

という『解離感』もありました。

そして…

次に襲ってくるのは『冤罪』によっての『罪業妄想』、それに付け加え「お前なんか食べるな、飲むな、買うな、生きるな」の『強迫観念』がありました。

あのとき…

地域包括担当に言われた行き過ぎた言葉が、何度も何度も頭にこだまして、

グルグルのループになって、「お前なんか死ね」(自分自身へ)となっていきました。

そして…

地域包括担当らや、福祉事務所担当らや、母の施設担当ら、大勢に囲まれ、

何度も「やってもないこと」を、繰り返し、繰り返し、何時間も、幾日も、言われ続けて、

連れて帰ったら虐待」とか「『成年後見人』をつけるなら会わせてあげよう」という脅し、

この恐ろしい、無理矢理に無理強いされ続けた『ガスライティング』がフラッシュバックし、

『朝の酷い希死念慮』

となって

本当に辛かったです。

朝いつも目覚めるとこの繰り返しで、死にたくなる(でも死んではいけないのせめぎ合い)ので、何度も「いのちの電話」にかけたりもしました。

けれど、「いのちの電話」は繋がる事はとても稀なのと、「聞く」という動作だけで、何かの救いになるというわけでもありません。

わたしの『メランコリアの朝』は、長く長く続きました。毎日が「生きている方がつらい」状態で、『孤立化』させられ、切り捨てられて…。

自分を振り返れ!と

冤罪を繰り返しきつく問われ、

振り返るけれど、

自分を犠牲にしてでも両親のために働きづくめの、

『介護困窮』の日々…

それでも自分より母を一番大事にしてきた記憶しかなく…

なぜこんなに『冤罪』によって、苦しめられ、罪人扱いされ、家族を奪われないといけないか。

いっそ、死んで、

わたしの遺書をTVで公開して欲しい、母はわたしが見捨てたわけじゃないと知って欲しい…と、毎日、毎日、思い、

手首を切ったり、

首を吊ったり、

薬を多用服用したり、

身投げしたり、

どれもこれも上手くいかずで…また明日、朝が来るのかと思いながら、「生きている方がつらい」という日々を過ごしていました。

一部、記憶が無いほど死の間際だったと思います。自分自身が自分自身じゃなく、どこか遠くにいる感覚でした。

続く

続きは↓

引き裂き措置でのメランコリア型うつ病〜わたしのケース〜② - Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

ご訪問ありがとうございます。メランコリア型うつ病の特徴〜わたしのケース〜-MementoMoríメランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)うつ病には色んなタイプがあるそうです...

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お読み頂きありがとうございます。

ChiA


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成年後見をつけるなら会わせるという「脅し」

2024-11-05 15:14:00 | 母とのこと
2022年に母と

冤罪によって引き離され、

成年後見人がついたら会わせてあげよう」と脅されて、無理につけられた成年後見人(弁護士)。

後見の森の宮内さんがYouTubeチャンネルで仰っているように、

これは完全なるノルマと担当各位の自己利益の為だけの事でした。

何故なら母や家族の気持ちなど何ひとつも尊重されません。

着任した後見人は話も聞かない、母にも殆ど会いに来ない

事実と違うことを押し通す

これが《隠蔽》と思います。

お金のことだけで言い訳しては
行きたい病院すら行かせない、

勝手に病院に
怒鳴り込んで予約をキャンセル
する、

母が「解任」を希望するくらいの人です。今も母は嫌がっていますし母子とも後見人と関係破綻です。

なんら本人のためでない。

わたしもこの母の後見人は大きな声を出し威嚇してくるので

本当に無理で、わたし側の弁護士に「」に入ってもらっています。

この状況の中、

母が介護士に虐待されたり、

それすら隠蔽されたり、

母が救急で病院に運ばれたり、

がありました。

その上で、

希望しても施設移動も
させてくれず

これはもう悪魔にでも
取り憑かれたような心境状態で、

本当に母子とも助けてほしい
状況です、母もやせ細って悪化。

このままじゃ殺される

と、

その時の病院でいいました。

でも、

この病院では頼りなかったので、もう一度、SOSを別の病院でもしよう

と思っています。

母とは2024年5月にやっと再会ができたことだけは本当に良かったです。

しかし、

母はもうわたしの元に帰りたいと言っています。母は、わたしに『見捨てられた』と思わされていました。酷いしかいいようがない

成年後見をつけられ人としての尊厳は何ら尊重もされていません。

国、自治体、行政、

福祉事務所、社会福祉協議会、

特養老人施設などは、

このように"組織"立って

家族を引き裂いて不幸せにして

それを福祉や正義と言っています。

しかし、

『成年後見制度』は、

国連が人権侵害を指摘し、

廃止勧告している制度なので、

"あなた方"が胸張って無理強い

することじゃないです。

続く
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母に会えるまでのモノクロだった「わたし」②

2024-11-03 03:17:30 | 母とのこと
↓前回です。
母に会えるまでのモノクロだった「わたし」 - Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

母に会えるまでのモノクロだった「わたし」 - Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

2024年5月に母に会えるまでの長い間、たくさんがありました。わたしは「引き離し措置」を「冤罪」によってなされ、さらに、地域包括担...

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こちらの続きです。

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現在、

過去のことを思い起こしながら綴っていますので、ご心配ご無用ですが、

当時のことを書き綴っていきたいと思います。

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母は2020年に脳梗塞発作で入退院を繰り返しました。前年に父が他界したばかりなのに母まで…。

母が緊急搬送される都度、わたしは寿命が縮まるほど心配して、泣いて、心休まることはありませんでした。

わたしは一人娘で、両親を支えるために働くことも止められず、父のそばにも十分いれなかった後悔も少しありました。

この母の具合のとても悪い状態から実家へ引き戻るしかないと思いました。

このとき、飲食店のサイドジョブを一つ止め、メインジョブも転職し、実家に戻る事になりました。

2021年、実家で在宅仕事しつつ介護し、夜は運送会社でアルバイトにいきました。あいた日は日払いバイト。

でも、わたしはおそらく『過剰適用』というか、ボロボロになるまで自らわかっていませんでした。

手根管症候群と思われる激痛と、肩が上がらない痛み、腰のヘルニアの様な起き上がれない激痛襲い、

恥ずかしながら腰の感覚もなく、麻痺していて(痛すぎて)失禁してしまうほどにボロボロでした。

もうこのように体がボロボロになっていました。これは、父の死からも引き続き、3つ仕事と介護を『ひとり』でやってきての疲弊でした。

この時に母がちょうど膝関節の問題で入院していましたが、いったんわたしがボロボロだった為、地域包括にヘルパーさんなどの相談しました。

しかし、この地域包括担当に前回書いたように『裏切り』にあうことになりました

前回書いたことですが、

謝ったでしょう?で済ますだけのいい加減な地域包括らでした。謝ったですまないのに。

わたしの母は地域包括が連れてきた福祉事務所担当に施設に入ることを『強制』され、

わたしは母の年金で賄えない施設に母を入れることを「強要」され、「連れて帰れば虐待」と脅されました。

年金で賄えないといっているのに無理に指定された施設に入るようにと脅されました。

大人数で何時間も言いくるめられて。翌日倒れました。この事はトラウマになっています。

そして、わたしは『冤罪』をかけられ1年半くらい母と引き裂かれ、会わせてもらえませんでした。

家族のわたしは冤罪をかけられ。

母は施設に入らされ、無理に『成年後見人』をつけられ、出してもらえない、移動させてもらえない状態となっています。

日常品の買い物(ボディクリームや軟膏や衣服など)すらの少額ももらえません、母の年金なのに。

この続きには、

『施設介護士の虐待』

や、

『(娘のわたしは)冤罪で地域包括担当に自殺未遂に追い込まれる』

ということや、

先述したように、後見人弁護士に、聞かねばいけない検査、行きたい病院も行かされず、

日常品(ボディクリームや軟膏や衣服など)の少額な費用すら出してもらえない、

施設介護士の乱暴さに虐待を訴えても施設謝罪もなく隠蔽され、施設移動させてもらえないなど、

が起こっていきます。

この状況の中でのわたしの状態は凄まじく悪化し、腰と手の激しい痛みでサイドジョブは(運送会社)出来なくなり、

さらには『失声症』がはじまり、声が仕事だったメインジョブも出来なくなりました。

残る日払いの仕事で、出来そうなことだけ選んで仕事を続けていきました。(軽作業など)

これだけ働いて贅沢などいちどもせず、母の年金で足りないものまでわたしが補ってきたのに、

わたしは地域包括と施設と福祉事務所の「でっちあげ」の『冤罪』で母と引き離されました。

わたしはこれにより『自殺』に追い込まれ、6回失敗しました。複数回、首を吊るも落ち、薬を服用するも吐き、手を切るも失敗。

いったんもう病院に行く事にしました。この苦しさからどうか解放されたくて、薬が必要と思い。

わたしは「お前なんか死ね」という強迫観念がやみませんでした。

何もしてないのに激しく叱責され、母まで取り上げられ、

地域包括に「やってきたこと振り返れ」など暴言され、

その残像が脳裏をいつも過ぎり「お前なんか死ね」と繰り返してきました

実際に振り返ってみても、わたしには『母を支えてきた記憶』しかありません。

なぜそんなでっちあげの冤罪を一方的に作って『人を死ぬまで追い詰めたい』のか。

人は怖い、本当に。

そして、貴方がたは間違ってる

本当に間違ってる。

母を

『囲い込み』し、

お金と利益のためだけに、利用しないで。母を返してください。

嘘つき。

施設が無理矢理に提出した〈冤罪による〉「引き離し措置」の書類は、福祉事務所へいき、自治体市長にいきます。

何ら事実調査や状況確認も聞き取りすらしないまま『直行』で、そっこう『引き離し』されます。

そのうえ、

勝手に他人の後見人が入ってきて財産や権利を奪う、勝手に管理するのです。

本人の意見も、家族の意見も無視する…これほどの悪徳な人権侵害は無いです。

〈続く〉







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母に会えるまでのモノクロだった「わたし」

2024-11-02 08:12:54 | 病状要因と経過

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現在、

過去のことを思い起こしながら綴っていますので、ご心配ご無用ですが、

当時のことを書き綴っていきたいと思います。

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2024年5月に母に会えるまでの長い間、たくさんがありました。

わたしは「引き離し措置」を「冤罪」によってなされ、

さらに、地域包括担当に浴びせられたひどい言葉で、

うつ病』と『パニック障害』を患い、その担当の言葉直後から、酷い症状により耐えきれず病院に通うこととなっていました。

その時は毎日がモノクロでした。

喜びも何もなく、ただ『孤独』で、いじめのあった職場の退職後も電車に乗るのも不自由でした。

電車では人と密着する際などが辛い状況で混む時間を避けて通えるクリニックにいきました。

とにかく、

人混みが無理でした。

冤罪と、地域包括担当の言葉職場いじめでも、もう『人が怖い』としか思えなかったです。

急ぎ足ですれ違って向かってくる人や、少し意地悪な、イライラしたような、言葉の悪い人たちなども、特に…

皆怖い

と思う状況でした。

意地悪というのは例えば、舌打ちしてたり、イライラして人にわぁとぶつかって我道いく人の事です。

なるだけ、

1人で行動して、

なるだけ人を避けるようになっていて、理解のない友人も縁を切りました。

一人で少しずつファミリーレストランなどに行けるようになり、ちょっとずつ、

病院へいく為にも電車にも慣れて行けるように頑張っていました。でも、電車はまだ好きじゃありませんが。

なぜかというと、

人間性がよくみえるから。

優先座席に、我こそはと座る大学生やサラリーマン。目の前に妊婦や白杖の盲目の方がいても席も譲らないでゲームする人々。

自分が障がいをもつと、こういった光景が目につくようになり、

人間のいやな側面も『不自由』になってからこそ見えるようになりました…

その代わりに、

自分がヘルプマークの人間でも、

その

白杖の女性を優先座席まで付き添って座らせてあげたり、助けるということ

もできました。

人生は皮肉ですが、色々な『気づき』がありました。

わたしショックやストレスで『失声症』にもなって、

だからセッカチでイライラした人が、わたしの声を

「聞こえないんですけど?」てイラッと言うとき、

すごく傷つき、嫌だとも思うんですが、逆にそういう、

心の荒い人は可哀想な人だな、と思えるようになりました。

母に会えるまで本当の『孤独』で、一人で住む部屋では、残された猫たちがいてくれるだけ。

猫たちだけがわたしを守ってくれていて、この子達を残して逝けないという強さを与えてくれました。

新しく借りた部屋で、

まだ誰も招待できてませんが、

新しく入社した職場や、どこかのお友達か、誰か、を、

いつかホームパーティー(猫カフェみたいな)誘いたいな、と、

かすかな夢を思ったりはして、

100均でできるインテリアをみたり出来るようになりました。

そんな「普通じゃん」と言うことまで、

わたしにはできなくなっていて

例えば、一時、食べることさえもできずの状態でした。

が、

猫たちのご飯とご先祖様へのお供え物だけはしてたので…

だんだん、ご先祖様のお下がりを食べられるようになってきて、

だんだん、その「普通じゃん」に戻れてきた気がしました。

しかしながら、

まだ人が怖い(理解してもらえない)という気持ちは簡単には拭えないので、ゆっくり癒したいです。


続く

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成年後見の落とし穴~成年貢献ビジネスの実態~

2024-11-01 23:36:45 | 成年後見制度の闇
こちらのYouTube動画ですべてが語られています。

一般社団法人後見の森の宮内さんのYouTube動画です。
後見人がついたあとのトラブルに取り組まれています。


書籍でもじっくり読めます。


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