史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

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第二次企業考察訪中~無錫編

2011年10月21日 | 中国旅行記
10月21日(金)
今回の航空券も前回と同じ「デルタ航空」の「DL295便」だったんで、中国時間21:45に「上海浦東国際空港」に到着なんだけど…今回も30分くらい早く着いたんじゃないかな?
でも、着陸後飛行機は停まったにも関わらず、なかなか降りることが出来なかったんです。
何で?…って、やっと降りられたら空港施設じゃなくて、タラップで外に降りてバスで空港施設に行くからだったんだね…
中国では何度か出発や到着でも、このようにバスを使うパターンはあったけど、こんな夜にタラップで飛行機から降ろされるとは思わなかったな…けっこう足元危険だったよ。
一般的に成田⇔上海行きの格安航空券は、航空会社“未定”と書かれてても、この「デルタ航空」みたいだね。
今回、上海では20日、23日、27日の3日宿泊するんだけど、20日は前回も泊まったホテルを予約しておきました。
空港を出れるのが22時くらいになるから、交通の便も考えて行き易い?所を選んでいます。

今日(21日)は7:30にホテルの食堂に朝食を食べに行きました。
前回も宿泊してて知ってるんだけど、バイキングなのに食べたい料理がほとんど無いんだよね…
「油条(揚げパン)」だけ食べてたら、円卓の隣に日本人の大学生らが座って来たんで、朝食を食べながら彼らと少し話してました。
彼らは大学4年生で就職も決まり、まだ卒業旅行ではないけど小旅行で今回は来たようです…って、いいよな~若くてこれから先前途洋洋?で。
彼らは中国初めてのようで…やっぱ取ってる菜は少なかったなぁ。
いろいろ中国のアドバイスをしてあげて別れたんだけど、俺がチェックアウトしに8:45に降りたら、またロビーで彼らに会っちゃった。
今日は朝から雨が降ってたんで傘を買いにホテル前のコンビニに行ったんだけど、全部30元以上だったんで買うのをやめ、タクシーで「外灘」に行くと言う彼らがタクシーを拾えるまで一緒に待ってました。
その後俺は近くのバス停から路線バスに乗って「大連路」から地下鉄4号線に乗って「上海火車站」に行きました。

今日の目的は「無錫」まで出るのと、その前に24日の「鄭州」行きの動車券を買っておくことだったんで、「上海火車站」で動車券を買い、それから隣の「汽車総站」からバスで「無錫」に行くつもりだったんだけど…「售票処」の電光掲示板を見ても俺が買いたい動車が表示されてないじゃん。
すると…構内に貼ってあった「上海虹橋火車站」の時刻表に「鄭州」行きの動車がありました。
「虹橋火車站」発の乗車券が、ここ「上海火車站」で買えるのだろうか…?
相変わらず乗車券を買う窓口は列が出来てて、ここで問い合わせしながら買うのはイヤだなぁ…と思い、自動発券機で買えるっぽいんで操作してたんだけど、最後に身分証を読み込ませなきゃいけないんじゃん。
今日は「無錫」に行ければいいんで余裕があるから、また地下鉄に乗って「虹橋火車站」に行きました。
そこで、24日7:45発の「鄭州」行きの動車券を買い、「虹橋火車站」から「無錫」行きのバスがあったんで、11:20ギリギリで乗り込んでバスは発車しました。

「無錫」に着いたのは12:50でした。

…でも、前回もここに来たけど、昔こんな「火車站」じゃなかった気がするんだけどな…
久しぶりに「三国城」に行ってみようかと思ってたんだけど、どこから「82路バス」に乗ったらいいのかも分からない…結局30分以上付近を彷徨ってしまい、「三国城」行きはやめて路バス乗り場で見つけた「南禅寺」に行くバスに13:50に乗りました。
17:00ごろ「蘇州」から来てくれる教え子と「無錫火車站」で待ち合わせてるから、そんな遠出も出来ないしね。

14:00ごろ「南禅寺」に着きました。

事前にネットで調べたら、ここの「南禅寺文化商城」でいろいろ買い物が出来るみたいだったんで来てみました。

いかにも中国チックな遊具でしょ?

この「地下商城」は…

ほとんどが仏具でしたね…

「南禅寺書城」と「地下商城」です。
「南禅寺書城」の地下には日本のアニメグッズがたくさん売ってたよ。
これら商城は2010年にオープンしたらしいね。

これが「南禅寺」です。

中の「大雄宝殿」です。

「南禅寺」の始まりは547年?らしいです。

この付近にも運河が通っています。

いい雰囲気でしょ?

「N多寿司」…Nが多い?Nって何だ~?

小さな「セブンイレブン」だなぁ。

「kawaii(卡哇伊)」だって~
15:40ごろ「南禅寺文化商城」を出て、また路バスに乗り…

16:00ごろ「無錫火車站」に着きました…って、これが俺が知ってる「火車站」だよ、きっと教え子もここに来るはずだ。

近くには「汽車站」があったんだけど…

もう閉鎖しちゃってて、今日着いた「無錫汽車客運站」に移行されたみたいだね。
「火車站」近くの売店の公衆電話から教え子に電話をし、まだ1時間近くあるので「マック」で昼飯を食べながら休んでました。
そして17:00ごろ教え子と無事に会うことが出来、苦労しながらも何とかホテルにもチェックイン出来ました。
ただ、問題が…ホテルを紹介してもらいつつ、明日の時間を確認しようとメーカーの担当者に電話しても全然通じないんだよ~
会社に電話しても17:30をちょっと過ぎただけで誰も出ないし…
とりあえず、以前「日本料理店」が入ってた記憶がある「カルフール」に行ったんだけど、「日本料理店」が無くて「韓国料理」を食べました。
体調の方は中国に来てから良くなってきてね…何とかこの先も乗り切れそうです。
その後、夜になっても全然担当者と電話が通じませんでした。
担当者は20日に出張から帰って来てるはずなんだけどな…明日どうなるんだよ~。


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ぶらり日帰り旅~天津Part.2

2009年06月27日 | 中国旅行記
6月27日(土)2/2
次は買い物をしに「古文化街」に向かいます。

繁華街らしい?「和平路」を抜けて…

この先には「イタリア街」があるらしいんだけど…

この辺りの建築物や装飾品?は西欧風にしたいのか中華風にしたいのか…どっちなんだ?

10:50ごろ「文廟(孔子廟)」に着いたんだけど、工事中じゃん…

11:00ごろ「古文化街」に着きました。
ここは「お土産屋街」なんでね…「三国志グッズ」を買うのが目的なんだけどさ。

「前門」の「大柵欄街」と同じで、こういうお土産屋街は見るのも好きなんです。

店の軒先には「三国志」の絵が、けっこう描かれていました。

この店と向かいの店では「三国志グッズ」が購入出来ました。

これは「長阪坂」の『張飛』ですね~

外国人観光客も来てましたね。

とにかく、ほとんど全部お土産屋です。

これは「天后宮」です。(入らず)

「天津」名物の「泥人形」と「楊柳青の年画」の店です。
「天津」では、「泥人張の泥人形(天津泥人形)」「楊柳青の年画(画と木版画)」「天津魏の風筝(天津凧)」と、どれも「三国志グッズ」が期待出来そうですね。

これは「戯楼」です。

やっぱ、あったか…「コスプレ写真館」。

こっちは「古文化市場」らしいです。

でも、俺の関心は「三国志グッズ」だけなんでね…

「厳復(1854-1921)」は「清」末の思想家です。

こちらの「泥人形店」で「三国志バージョン」を購入しました。

「泥人形店」はいくつもあるんだけど、同じなのかな?

いや~、なかなか楽しめました。

13:00ごろ「古文化街」を出ました。

そして、13:10今度は「鼓楼街」に行ってみました。

もう「古文化街」で、けっこう「お腹いっぱい(買い物が)」だったんでね…

ちょっとだけ見て、13:30ごろ「鼓楼街」を出ました。
それから、13:40近くのバス停に着き、13:50「天津站」に行くバスに乗りました。
14:05「天津站」に着き、14:50発の切符を買いました。

14:30改札が始まり、また30分…15:20「北京南站」に着きました。
一番厄介なのは「天津」に行くことより、この「北京南站」に行くのが不便なんだよ…「南站」を出ると「路線バス」は2種類しか無く、1つが最寄りの地下鉄駅近くに停まるんで、そのバスに乗り、15:45バスを降りました。
そして、15:55「劉家窑站」から「地下鉄5号線」と「10号線」を乗り継ぎ、16:35「西土城站」で降りました。
今日は「知春路」では無く、「西土城」で降りたのは夕飯を買って帰るため。
近くの「マック」と「吉野家」で夕飯を買って帰りました。
17:00すぎ宿舎に戻り、やっと食事です。
「マック」と「吉野家」…ファーストフードの黄金タッグだな、こりゃ。
朝、小さなパンを1個だけ食べて出掛けたきりだったんでね…やっと生き返りました。

さて…今日の「戦利品」で~す。

「トランプ」と『関羽』の木画?です。
もう「トランプ」はダブってるかも知れない…

これが「泥人形」の『張飛』『劉備』『関羽』です。

これが1軒目で買った「三国志人形」です。

これが向かいの店で買った「人形」なんだけど…どちらのバージョンでも『関羽』と『張飛』がダブっちゃうんだよね…
もうすぐ帰国するのに、また「三国志ミュージアム」に展示する品が増えちゃった…

さて…残る北京生活もあと少し。
来週から「期末試験」も始まるけど、なるべく出掛けようと思っています。
では、また明日。


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ぶらり日帰り旅~天津Part.1

2009年06月27日 | 中国旅行記
6月27日(土)1/2
今日は5:00に起きました。
今日の目的地は「天津」です。
実は「天津」には、まだ行ったことが無かったんです…って、特に「史跡」らしい所も無いし、全く関心が無かったんだよね…
でも「北京」にいるのも残りあと僅かなんでね…「北京」「上海」「重慶」とともに政府の直轄市である「天津」にも行ってみることにしました。
まぁ今「北京」に留学してて、「上海」は過去2度行ってるし、「重慶」は中心部ではないけど行ったことはある…「天津」は「北京」から近く、十分日帰りで行って来れるんでさ。
事前調査では「四惠長途汽車(長距離バス)站」から「天津」行きがあるらしく、相変わらず「火車(列車)」嫌いな俺は「長距離バス」で行くつもりでいました。
でも昨日チャットで「Kさん」と話したら、「火車」の方が速いし、「天津」行きなら本数が多いから当日でも切符が買える…と言うんです。
俺がなぜ「列車嫌い」なのかと言うと…中国の「火車(列車)」は、まず切符を買うのが大変なこと。
事前(5日前から販売?)に買いに行かないと切符はほとんど売り切れだし、売場には物凄い行列が出来てるし、確認しながら買ってる人民が多いんで時間が掛かる(だから行列なんだろうけど)んです。
それが面倒で、今までの旅はほとんど「長距離バス」で移動してたんだけどね。
でも「Kさん」の忠告を聞いて、ネットで時刻表を調べてみると30分に1本くらいで「北京→天津」間が運行しているようなんです。
しかも「動車(新幹線タイプ)」なんで、1時間ちょっとで行けるみたい。
悩んだ結果「列車」で行くことに決めました。

そして今日、6:00に宿舎を出て、「知春路」から「地下鉄10号線」と「5号線」と「2号線」を乗り継いで、7:00ごろ「北京站」に着きました。

そして切符売場に行き、メモを見せると「このような動車は、ここ(北京站)から出ていない。北京南站だ」って言うんです…
だってネットで調べて「北京站」だったから来たのに…
どうしよう…「四惠長途汽車站」に行って、やっぱ「長距離バス」で行くか、「北京南站」に行ってみるか…
このネットの情報が古かったのか分からないけど、「四惠長途汽車站」からの「バス」も同じくネット調べなんで確実か分からない…「四惠長途汽車站」なんて行ったこと無いし、「Kさん」も知らない…って言ってたからね。
なので「北京南站」に行ってみることにしました。
俺は過去「青州」から「北京」まで2度「動車」に乗ってて、着いた駅は「北京南站」だったんでね、「天津」行きがあるのか分からないけど「動車」は出入りしてるはずです。
じゃあ、「北京南站」に行こうにも、ここ(北京站)からだと「地下鉄」も通ってないし、「バス路線」も分からない…ってことで「タクシー」で「北京南站」に向かうことにしました。

7:45「北京南站」に着き、切符を買いに行くと「Dxxx」(動車の頭文字はD)なんて無く、「Cxxx」しか無い…この「頭文字C」がどういう意味なのか分からないけど、それしか無いんで、8:10発の切符を買いました。

7:50改札が始まり、ホームへ。

あ…やっぱ「Cxxx」も動車タイプなのか…って、すでに「Dxxx」って無いのかな?
2等で「58元」ってのもネットの情報とは大きく違ったしな…
8:10「C2013」号は発進しました。

今回「1号車(先頭)」だったんで、やたら人民が運転席を覗きに来ていました。
いい歳した大人が…表示は「325Km/h」ですが、帰りには「335Km/h」を確認しました。
そして…何と、8:40…たった30分で着いちゃいました。
当初の調べでは、うまく切符が買えたらだけど、(北京站7:40発で)8:50に着く予定だったからね…それが「北京站」に行ったり、時間をロスしたにも関わらず、8:40に着いちゃったんだから。
とりあえず帰りの切符を買おうと切符売場に行ったんだけど、やっぱ本数もあるし、初めから帰る時間を決めなくても大丈夫だと思い、そのまま観光に出ました。

これが「天津站」でーす。

まずは駅前を抜けて…

「解放橋」を渡りました。
この「解放橋」は、元々中央部が上昇する構造でしたが、今は固定されています。

それから「解放北路」をブラブラ歩きながら、租界時代の遺構を見てました。

この辺りは「フランス租界」だったのかな?

「旧フランス・・・」のような表記がされてたんで。

これは「元横浜正金銀行大楼」だって。

今まで「大連」「長春」などで「旧満州国の遺構」を、

「上海」で「外国租界の遺構」を見て来ました。

こういう街並みを歩いていると「タイムスリップ」したような感じになるね。

あとは写真だけ見てください。

この辺りは「金融街」なのかなぁ?

けっこう銀行系の建物が多かったかも。

これもかな?

「天津」郊外には「霍元甲(1868-1910)」の故里があるんだけどね。

「霍元甲」は、2006年「ジェット・リー」主演で映画が公開された武術家です。

1856年「アロー戦争」で「天津条約」が結ばれ、「天津」は外国に開放されることになったんです。

「フランス」の他にも「イギリス租界」も近くにあったようなんだけど、俺が見て来たのは、ほとんど「フランス」系でしたね。

詳細地図が無いんで、どこだかよく分かりません。

今回「地球の歩き方」の地図しか無くて、詳細が分からず適当に歩いてました。
次は「鞍山道」に出るために歩いていると「地下鉄」の入口を発見しました。
そして路線を見てみると、次の停車駅が「鞍山道」だったんで、「地下鉄」に乗ることにしました。

「券売機」で切符を買ったら、こんな「コイン」みたいのが出て来ました。
これで改札します。

北京の「地下鉄」と、あまり変わらないですね。

「鞍山道」で降りた後、10:10「静園」に着きました。

1929年~1931年まで「ラスト・エンペラー:溥儀」が暮らしていた邸宅です。
ご存知の通り「溥儀」は1931年ここを離れた後、翌年「満州国執政」となります。

その後も「鞍山道」を歩き続けました。
とりあえず、これで「天津」に来た目的の歴史的なモノは見終えました。
あとは「古文化街」に行って、買い物をして帰ります。

では、続きは“Part.2”にて。


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ちょっと一息~青州編

2009年02月23日 | 中国旅行記
2月23日(月)
今日は丸1日「青州」に滞在します。
「北京航空航天大学」の入学手続きは今日と明日(24日)のどちらかに行わなければならないんですが、今日は1日「青州」でゆっくりして明日「北京」に行く計画で、事前に主任教師に明日の「青州→北京」の切符を手配してもらってたんです。

今日は7:00起床して、朝市に行って来ました。
後ろのマンションは半年前は工事中だったけど、もうほぼ完成していました。

そして以前よく買ってた「油条(揚げパン)」と「鶏蛋餅」を買って、部屋で食べました。
その後は学生らと久々におしゃべりしてました。
今春休みで「青州」に帰省してる以前の教え子らも数人会いに来てくれたり、もうすぐ(3月末)日本に留学する教え子もまだ数人学校に残ってたり、ビザの関係で資料室に来る教え子もいて会うことが出来ました。
それから、もうすぐ午前の授業が終わる頃、主任教師から携帯にメールが来て、「昼食を皆で食べに行きますから、ロビーに来てください」と。
近くのホテルのレストランで「王校長」「潘副校長」「王主任(事務)」「李主任(学生管理)」「張さん(運転手)」「何主任教師」「HA先生」と8人で会食をしました。
ただ遊びに来ただけなのに、こんな会食を開いてもらって、ホント感謝しています。
ただ…また久々に「青州の洗礼(乾杯で一気飲み)」を受け、けっこう酔っ払いました。
それから13:10ごろ「3路バス」に乗って繁華街に行ってみました。
昨日夕飯を食べたけど、夜だったんでね。

13:30ごろバスを降りました。
ここは半年前は工事中だったんだけど、今はショッピング・モールが出来ていました。

「人民商城」や…

「銀座商城」も相変わらずでした。
昨晩は左下の「永和豆漿」で夕飯を食べました。

それから「電脳城」に行ってDVDを見に行ったけど、相変わらず日本の作品はほとんどありませんでした。
14:30ごろ学校に戻り、また学生や先生らとおしゃべりしてました。
夕飯は以前好きだった「炒麺」を買いに、その店に行ったんだけど…何かつぶれたっぽかったです…残念。

学校前の店に、ちょっと買い物しに行ったらオッさんに「いつ来たんだ?」って言われました。
ちゃんと俺のこと覚えてるんだね…ってか俺も2年3ヶ月ここで暮らしてたんだもんな…

今は誰も使ってない部屋にベッドを作ってくれて2晩泊まったんだけど…

以前俺の部屋で使ってた「冷蔵庫」や、S先生の部屋で使ってた「テレビ」や「冷蔵庫」なんかが保管されてる物置部屋でしたね。
今日本人教師はHA先生1人しかいないんだけど、もう学校内の部屋ではなく、外のアパートに移動させられたんだって。

さぁ明日は8:30ごろ出発して、約2ヶ月ぶりに「北京」に戻ります。
今度入学する「北京航空航天大学」では、どんな生活になるんだろう?
それと明後日(25日)には「分班試験」があるんだよな…日本に帰ってから全然中国語の勉強してないからなぁ…大丈夫だろうか?
では、また明日。


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ちょっと一息~青州「到着」編

2009年02月22日 | 中国旅行記
2月22日(日)
(ここから中国時間表記です)
さて昨日11:45(日本時間)出港したフェリーは、15:15「青島港」に着きました。
もう船内では、ほとんど寝てましたね…
ゆっくり?疲れを癒すことが出来た…かな?
そして15:45下船が始まり、入国手続きなどを済ませました。

16:05ターミナルを出ると、「青島」在住の「教え子S君」が待っていてくれました。
俺はこの後、列車で「青州」に行くんだけど、事前に「S君」に頼んで「青島→青州」の切符を手配してもらっていたんです。
「S君」はおじさんが運転する車で来てくれていました。

そして下関ターミナルで知り合った「Yさん」も乗せてくれて「青島駅」に行きました。
「青島駅」は以前ずっと改修工事してたんだよね…以前は駅前が広かったのに、今では狭く、タクシー乗場や降車場になってました。

構内はとてもキレイになりましたね。

「青島」始発で中国各地に行く列車は多いですよ。
そして「S君」と別れ、改札をしました。
「Yさん」は車でおじさんと待ってたんだけど、その後「青島長途汽車站?」か分からないけどバスターミナルに連れて行ってもらい、「曲阜」まで無事帰れたそうです。

俺は16:46発の列車で「青州」に向かいました。
ちょっと自転車が邪魔で、3人掛けの真ん中だったんだけど、通路側のオッさんに席を替わってもらい、自転車を押さえてました。
高速列車なんで、18:15「青州」に着きました。
「青州市駅」には主任女性教師の運転で「HA先生」と2人で迎えに来てくれていました。
いや~約半年ぶりの「青州」ですよ…
それから唯一といえる繁華街周辺で夕飯を食べて学校に行きました。
まだ21時前で学生たちは夜自習をやってるんで、ちょっと教室に顔を出してきました。
俺、旅行中ずっと帽子被って、マスクをしてたんだけど、その格好で教室に入って行ったら、初め誰も俺だと気付かなかったですね…
でも正体を明かすと、皆懐かしそうに話してくれました。
今、日本人教師は「HA先生」しかいないんでね…
今日は学校内の空き部屋にベッドを作ってもらってたんで、そこに宿泊させてもらいました。
明日は早起きして、久々に朝市に行って来ます。


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「国慶節」旅行2008~④『撤退&総評』編

2008年10月02日 | 中国旅行記
10月2日(木)
さて本来なら、6:00ごろ起床し、「保定」経由で「易県」に行く予定でした。
でも昨日の時点で両足の裏に水ぶくれができ、しかも靴擦れもしていたし、筋肉痛で脚も痛いし…もう心が折れました。
「河北省易県」には『清西陵』という世界遺産があるのと、「易水湖」という湖があって「赤壁 -RED CLIFF-」の撮影が行われたんです。
1日でその2ヶ所を回るため、昨日「石家庄」まで出て来てたんだけどさ…
でも、この2ヶ所に関しては情報不足で「易県」からの行き方など未確認な部分が多くてね…
なので「保定市易県」は別の機会に行くことにし、「保定市涿州」か「北京市周口店」に行って学校に帰ることにしました。

ホテルには7:00からの朝食が付いていたので、6:30起床しました。

7:00に軽く朝食を取り、8:00チェックアウトしました。

そして8:10すぎ「石家庄客運総站」に着きました。
でも「涿州」行きは9:30発だったんで、「涿州」に行くのも諦めました。
まぁ「涿州」は『劉備』故里であり、今年(1月31日のブログ参照してね)行ってるんだけど、『劉備』故里の「大樹楼桑村」までは行けなかったんでさ…そのリベンジだったんだけどね。
もう心は折れっぱなしですからね…「北京」行きの乗車券を買いました。
「北京原人(の骨)」が発掘され、世界遺産になった「周口店」なら行けるかな…って考えたんだけどさ。

8:30バスは発車し、12:50「北京」の「六里橋長途客運站」に着きました。
この時点では、まだ「周口店」まで行く気はあったんだけどね…
とりあえず路バス乗場を探して歩きました。
13:05ごろ見つけたバス停は「六里橋東」でした。
俺の調査では、この「六里橋東」から「周口店」に行くバスがあったはずなんだけどな…見当たらないや。
…と言うワケで、ちょうどこの「六里橋東」からは大学前の「薊門橋北」に行くバスがあるんでね…バス停前の「ケンタ」で昼食を買ってから「691路バス」に乗って、14:00学校に帰りました…
「三国史跡ハント」だったら、脚がどうなろうと旅程を変えることは無い(史跡価値にもよる)んだけどさ…
結局、行かなかった「河北省易県」「河北省涿州」「北京市周口店」は「北京」から近いんです。
(周口店は北京市内だから当たり前だけどさ)
なのでね、「ぶらり北京散歩(北京じゃないけど)」で十分行ける範囲なんで、日帰りで今度行くつもりです。

さて…総評ですが、まぁ行った地点での目的は十分果たせたんだけどね。
達成度95%で満足度85%かな…
やっぱ「三国史跡ハント」じゃないと気が乗らないって言うか…

一応「戦利品」があります。
『平遥』で買った「剪紙」です。
「蜀五虎将」で左から『関羽』『張飛』『趙雲』『馬超』『黄忠』です。
これは「北京」でも売ってるの知ってるんだけどさ…何も「戦利品」が無いってのも寂しいから。
他には武将の顔の「剪紙」があったんだけど、作りが雑でさぁ。
「これ…絶対店のオバちゃんが自分で切って作ってるんだろ?」って感じでした。
それなら俺の方がいい仕事しまっせ。

部屋に帰ってからは昼食を食べ、ブログ記事の編集などをして18:00すぎ「SEVEN-ELEVEN」に買い物に行って来ました。
最近、この「SEVEN-ELEVEN」は「おにぎり」とか全然無いんだよね…
仕入れが少なすぎなんじゃないの?
また「惣菜チョイス弁当」と「サラダ」を買って帰りました。

明日はゆっくり休んで、洗濯などをしていようと思います。
そして土曜(4日)はどこかに出掛けるつもりでいます。
今回行けなかったどこかにするか、或いは別の場所に行くかは明日考えます。
それでは、お疲れ様でした~


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「国慶節」旅行2008~③山西省平遥『古都平遥』編 Part.2

2008年10月01日 | 中国旅行記
10月1日(水)2/2
続きでーす。

次は「文廟」に入りました。

この「大成門」の奥に…

「大成殿」があります。
中央に『孔子』像がある(文廟とは孔子を祀る廟です)んだけど、写真を撮ろうとしたら注意されちった。
でも俺が撮りたかったのは右の写真でね。(本当はこっちもダメなんだろうけど)
「請勿喧嘩(喧嘩しないでください)」って書かれてるんです。
人民って、こんな所でも喧嘩するワケ?
わざわざ注意書きするんだから笑えるよね。
(後日「喧嘩」を調べたら中国語で「騒がしい・やかましい」という意味でした。日本語の意味と違うんですね。そりゃそうだよな…いくら何でも、ここで喧嘩(ケンカ)なんてするワケ無いよね…)

これは「明倫堂」です。
中には『孔子』の絵がありました。

「文廟」を出て「奎星楼」に向かう途中で見つけた御輿です。
三国人物が描かれてるんですよ

多分、写真右が「奎星楼」だと思います。

ようやく近くの城壁に上れる「迎門」に着きました。
城壁の上には大砲や兵士像などがありました。

城壁の上からの景色です。

城壁の外って、こんな感じです。

城壁の上を歩いて、最後は「武廟」に向かうことにしました。

城壁は、ほぼ方形で約6Kmにわたって巡っています。

約30分歩いて、ようやく城壁から下りられる門に着きました。
確認すると、そこは「鳳儀門」で…って大分「武廟」から遠ざかっちゃったじゃん…
もう13:00過ぎちゃったじゃん…「武廟」へはチャリタクを使って行くことにしました。

「武廟」とは一般的には『関羽』が祀られてるんだけど…「ここだぞ」と降ろされた場所は幼稚園じゃん…

確かに「武廟」と彫られた石碑もあったけど…もはや「廟」として機能して無いじゃんよ…
地図に載せておく必要無いでしょう…

『平遥城墻』から出るために、歩いて「北門」に戻ることにしました。
これは「雷履泰旧居」だって…誰?

これは「平遥県署」です。
「元」代から「清」代まで『平遥』の政府所在地だったんだって。

これは「観風楼」です。

これは「日昇昌址」という金融業の祖なんだって。

これは「二郎廟」です…って「一郎廟」はあるのかな?
13:45「拱極門(北門)」に着き、『平遥城墻』から出ました。
そして、13:55「平遥汽車站」に着き、14:00「太原」行きのバスは発車しました。
15:50「建南汽車站」に着きましたが予定を変更し、今日中に「河北省石家庄」に出るためにタクシーを拾い、「太原汽車站」に行きました。
16:15「太原汽車站」に着き、「石家庄」行きの「バス」は16:45発車しました。
明日の旅程を考えると、時間が遅くなっても「石家庄」に着いておいた方がいいんでね。
それに「石家庄」は以前にも2泊した経験があるから、多少遅く着いても駅周辺なら大体把握してるからさ。
そして…20:20「石家庄」に着いたんだけど、「ここはどこ?」…
「火車站」近くじゃ無いじゃん…
付近で聞き込みをすると、そこは「石家庄北站」らしいんで、20:30タクシーを拾って「石家庄站」に出ました。

20:40「石家庄站」に着きました。
ここ(石家庄站)なら知ってるんだから…と「吉野家」で夕飯を食べ、以前泊まったホテルに行ったんだけど…「外国人はダメ」だって…何で前回は泊まれて、今回はダメなんだよ…
これも「北京オリンピック」があった影響かなぁ?
その後も付近のホテルでは断られ続け…
客引きのオバちゃんに付いて行ったらビルの1フロア毎違う経営のホテルに連れて行かれたんだけど、3軒で外国人はダメと断られました…
オバちゃんは紹介の手数料が欲しいから、何とか俺をどこかに泊めたいみたいだったんだけどさ…俺が多少高くても外国人が泊まれるホテルに行きゃいいんだからオバちゃんを断って、再びホテルを探し続けました…
そして10軒目くらいだったかな…4ツ星ホテルに泊まれました。
268元だったんで、昨日の「太原」と同じか…
以前の経験があるから、「石家庄」でこんな高いホテルに泊まることになろうとは思いませんでしたね…
チェックインしたのが、22:00くらいだったから約1時間彷徨ったのかぁ…
今日は『平遥』でも歩き過ぎて足の裏に水ぶくれが出来て、指は靴擦れもするし…
もう疲れちゃったよ…
そんなこんなで明日の旅程を変える事にしました…
最悪もう帰ります…少なくとも「河北省易県」には行くのは止めた。
じゃ、また明日。


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「国慶節」旅行2008~③山西省平遥『古都平遥』編 Part.1

2008年10月01日 | 中国旅行記
10月1日(水)1/2
今日は世界遺産である『平遥』に行きます。
『平遥』は「太原」から南西約90Kmで、「明」代に造られた城壁に囲まれた古い町並みが保存されている中国唯一の町なんです。
まず今日は5:30起床し、6:30チェックアウトしました。
7:30からの朝食が付いてたんだけど、取らずに出るなら早い方がいいと思ってね…
血尿は治ってました…こんなの初めてだったんで、ちょっとビビってたんだけどね。(俺も年だしさ…)

何か朝(5:00ごろ)から外が騒がしい…って思ってたんだけど、ホテル前の通りで何か式典みたいのやってるぞ…
昨日フロントに『平遥』に行くには、近くの「太原汽車站」では無く「建南汽車站」からバスに乗らなければならない事を聞いていました。
そして、その「建南汽車站」にはホテル前の「并州飯店站」から「611路バスに乗ればいい」と言うので、昨晩「マック」に行った時確認もしてたんです。
でも、これじゃ車が通れないじゃん…
確かに今日は「国慶節(建国記念日)」なんで、その関係の何かなんだろうけど…。
俺のバスはどうなるんだよ…
仕方なく「火車站」の方まで歩き、そこから「611路バス」が出ていないか見てみたんだけど…バス停はあったけど路線の行き先の矢印が逆になってるぞ…
初めて来た人泣かせだな…こりゃ。
式典?が終わるまで不通も考えられるので、7:00タクシーを拾って「建南汽車站」に行くことにしました。

7:15「建南汽車站」に着き、『平遥』までの乗車券を買おうにも人民が窓口に群がって来るんだもん…
中国人じゃ無い俺は、なかなか買えませんでした…
ホント、並ばないという文化レベルの低さを改善してくれよ…
何とか乗車券を買え、バスは7:40発車しましたが、乗車券に座席番号が印刷されてても無視ですよ…
とりあえず空いてる席に座ったら、隣りの女の子が「旅行ですか?」と。
彼女も俺と同じく1人旅をしてる子でした。
少し話をしてたんだけど、彼女は「浙江省杭州」から来てて、俺も「杭州」へは2度行ってるんで、そんな話をしてました。
俺は「三国史跡」ばかり旅行してたと話すと「私は孫権が好きです」と。
おぉ、さすが「杭州人(孫権は杭州市富陽市出身)」ですね。
彼女の話は60%くらいは分かったけどね…でも、まだ知らない単語が多いからさ…

9:25『平遥』に着きました。
結局、彼女とはバスで少し話しただけで、バスを降りてからは別行動でした。
(俺が先に降りて行っちゃったし、お互い1人旅好きだしね)

地図を頼りに城内に入る門を目指します。

9:35「拱極門」に着きました。
この近くで入場券(120元→学割で60元)を買ったんだけど、この入場券は城内に入るだけなら必要ありません。
城内の施設に入ったり、城壁に上がりたい人は入場券が必要なんです。

城内は、こんなカートでも移動出来るんですよ。

まず「拱極門」から一番近い「関帝廟」から行くことにしましたが…
全然道が分かりましぇ~ん…
でも途中で聞き込みをしたら、「(関帝廟は)無いよ」だって…

諦めて「清虚観」に行きました。

「清虚観」は道教寺院で「平遥県博物館」になっています。

中央の建物は「純陽宮」で…って「太原」で見れなかった「純陽宮」も道教寺院だったな…。

脇の建物には“五岳の神”が祀られていました。
写真中央は「泰山」、写真右は「崇山」の神ですね。
(一応、泰山と崇山(少林寺)は行ったことがあるんで)
他は「華山」「衡山」「恒山」です。

次は「市楼」を目指し「東大街」を進みます…

この建物の前で写真を撮る人民が多かったけど有名なのかな?

俺は壁に描かれている『関羽』しか気にならなかったけど…

これは「平遥商会址」だって。

「市楼」に着きました。

「明」代にタイムスリップしたような感覚になりますよ。

「古玩」や「民芸品」などのお土産屋が多いです。

ここは「協同慶博物館」だって。

せっかく入場券を買ってるんでね…とりあえず入ってみました。

入場券がレンタル衣装込みで、皆「明」代の格好で歩いてたら面白いと思うんだけどな~

これは「客桟」と呼ばれる旅館です。
城内には、このような古建築を改造した「客桟」がたくさんあります。

商売人ばかりじゃ無く、普通の人民も多く生活してるんですよ。
世界遺産の町で暮らす…ってか。

次は「城隍廟」に入りました。

全国でも最も保存が良い「城隍廟」のひとつなんだって。

「財神廟」の方にも行ってみました。
劇の舞台があり「清」代の「戯台」の傑作とされてるらしいです。

下が「財神殿」、上が「真武殿」でしたが、どっちも『関羽』に関係ありませんでした。
写真の塑像は「真武殿」にあったモノですが、誰ですか?

さて続きは“Part.2”にて。


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「国慶節」旅行2008~②山西省太原『晋祠』編

2008年09月30日 | 中国旅行記
9月30日(火)
今日は「大同」から山西省の省都である「太原」に行きます。
…が、その前に「大同」の『九龍壁』を見るため、6:40起床しました。

『九龍壁』は市内なんで、7:20チェックアウトし駅前から「4路バス」に乗って、7:45「四牌楼」で降りました。

この先の「大東街」に『九龍壁』があります。

7:50『九龍壁』に入りました。
入場料10元ですが、またまた学割を使い5元で見学出来ました。
この「大同」と、「北京」の『故宮』と『北海公園』にある『九龍壁』で“中国三大九龍壁”なんだって。
「大同」のは長さ45.5m、高さ8m、厚さ2mで中国に現存する『九龍壁』の中では最大だそうです。

『九龍壁』内にあった周辺地図を見ると、近くに「関帝廟」があるらしいので行ってみることにしました。
8:20迷いつつも着いたんだけど…改修中で見学出来ませんでした…

位置的には『九龍壁』の裏だったんだけど周囲はこんな感じでした。

これは「鼓楼」です。
さて…「太原」に行くために「長途汽車站」に行かなきゃならないんだけど、昨日乗った「新南公路客運站」に行く路線バスのバス停がどこか分からない…
少し彷徨ったけど、8:45諦めてタクシーを拾って行きました。

8:55「新南公路客運站」に着き、「太原」行きのバスは9:20出発しました。
途中トイレ休憩があったんだけど、小便したら色が赤っぽいんですよ…
これって血尿ってやつですか?
朝は気付かなかったな…
(ちなみに、ドラゴンフルーツは食べてないよ、S先生)

12:50「太原汽車站」付近で降ろされ、12:55「太原火車站」に行きました。
ここ「太原」での目的地は『晋祠』なんですが、市内から25Kmくらいあるのかな?
とりあえず「火車站」に行けば『晋祠』に行くバスがあるだろう…と思ったんでね。
ちょっと探すのに迷ったけど、13:00バス停を見つけました。
そして13:10『晋祠公園』に行く「308路バス」に乗りました。
他に3.5元のバスがあったんで先入観からか2.5元でいいのに3.5元払っちゃった。
14:10『晋祠公園(バス停)』に着きました。

そして14:20『晋祠公園』入口に着きました。

『晋祠公園』は無料です。

『晋祠公園』内でも、かなり広いです…

これらは誰ですか?
「三国武将」では無いのは分かるけど…

『晋祠公園』を抜けて、ようやく『晋祠博物館』に着きました。
ここからが有料なので入場券を買おうと学生証を出すも、ダメだと。
「何で?」と聞くと18歳以下の学生じゃなきゃ学割利かないんだって…
仕方ないんで70元を払って入場券を買うと、オバちゃん(明らかに客では無い)が、「私の学割入場券を10元払うから、あなたの入場券と替えてあげる」と。
「ダマされたら困るな…」と思いつつも交換して入場出来たんで60元に若干値下がりしましたね。
そのオバちゃんは70元の券を65元とかで売って5元儲けようという魂胆なのかな?
14:45『晋祠博物館』に入りました。

これは「水鏡台」で「明」代の建築らしいです。

これは「関帝廟(門)」です。

「関帝廟」と「隋槐」です。

廟内の『関羽』像と「壁画(一部)」です。

これは「対越坊」で「明」代の建築です。
奥には「金」代の建築である「献殿」があります。

これは「聖母殿」で始建は984年で、1102年に再建されています。
写真右は「聖母殿」に向かって生えている「周柏」です。

殿柱の木彫りの龍です。

『晋祠』は「周」の「武王」の次男「唐叔虞」を祀るために「北魏」代に創建されました。
「北宋」代には「唐叔虞」の母「邑姜」を祀るために「聖母殿」が建立されました。
殿内の塑像は「邑姜」ですかね?

これは「難老泉」といい、年中休むこと無く水が湧き出ているんだって。

その奥の「水母楼」内の塑像です。
これら有名なモノだけ見て、15:50『晋祠博物館』を出ました。
15:55バス停に着き、16:00「804路バス」が来たんだけど、入口に人民が群がって来て…
何とか乗れたけど、並ぶという習慣を身につけろ人民共め。
そして、17:00「太原火車站」に着きました。

それから「純陽宮」まで歩きながらホテルを探すことにしました。
これは「太原汽車站」です。

17:30すぎ「純陽宮」を見つけたんだけど、もう閉門してました。
…まぁ「見れたら見てみよう」くらいだったから、いいんだけどさ。

当たってみたホテルは高かったり、外国人はダメとかで、4軒目で決めたんだけど…268元かよ…
ちょっと高いけど、もう探し歩くのイヤだし、昨日50元で済ませてるから、ちょっと高くてもいいか…
18:00チェックインしました。

今日は朝から何も食べてないんでね…夕飯を買いに出ました。

夕飯は「マック」と「カップラーメン」でーす。

ホテルの前は「五一広場」です。

食後は部屋で「西遊記」を見てました。
必ずと言っていいほど、どこかしらの放送局で(再)放送してるんでさ。
中国の「西遊記」の「孫悟空」はモロにサルですね。
人民が日本の「西遊記」を見たら「どうして尼僧なの?」って思うかもね。
(日本の西遊記は代々女優が三蔵法師を演じてるもんね)

夜になっても血尿でした…
大丈夫なのか?俺の体は…
明日は世界遺産の『平遥』に行きまーす。
では…


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「国慶節」旅行2008~①山西省大同『雲崗石窟』編

2008年09月29日 | 中国旅行記
9月29日(月)
今日は4:30起床しました…
「山西省大同」に行くための長距離バスを調べると、一番早いのは「六里橋長途汽車站」から7:10発だったんでね。
そして「六里橋長途汽車站」へは大学前の「薊門橋北(バス停)」からは直通が無かったんだけど、いろいろ調べて「薊門橋西(あるいは東)」からなら直通があったんです。
この前「盧溝橋」に行った時も「薊門橋南」まで歩いて行ったけど、今回は「薊門橋西」まで歩いて直通バスに乗ることにしました。
そのバスが5:30から運行してるとみて(でも中国には時刻表が無いんで、薊門橋西には何時に来るか分からない…)、とりあえずバスにさえ乗れれば1時間以内で「六里橋長途汽車站」には着くだろう…と。

昨日「SEVEN-ELEVEN」で買った「パン」と「おにぎり」を食べて、5:30学校を出ました。
「薊門橋西」に着いたのは、5:40でしたが、バスが来たのは6:55でした。
この「運通201線」は始発が6:00だったんですね…しかも「薊門橋西」は30站ある中の20站目だったんです…
調査では次の「大同」行きが7:40発だったけど…それも厳しそうだぞ…

そして7:40「六里橋長途汽車站」に着きました。

「大同」までの乗車券を買いましたが、8:30発でした。
どうやら「国慶節」なんで増発されてたみたいです。
でもバスは8:45発車しました。

「大同」は地図上では「北京」から真西です。
バスは「八達嶺高速」を通ったので、『万里の長城(八達嶺長城)』付近を通過しました。
「八達嶺長城」にも「北京」にいる間に行くつもりです。

「大同」の「新南公路客運站」に着いたのは、14:40ですよ…
今日の目的地はまず世界遺産の『雲崗石窟』です。
この「新南公路客運站」がどこなのか、よく分からなかったけど「客運站」前から「火車站」に行く路線バスがあったんで乗りました。
地球の歩き方には「火車站」から『雲崗石窟』に行くバスがあると書かれてたんでね。
15:20「大同火車站(写真右)」に着いたけど、どのバスが『雲崗石窟』に行くのか分からない…
近くにいた警備員みたいなオバちゃんに「雲崗石窟に行くバスはどれ?」と聞くと「対面の3?2が行くわ」と。
「3」と「2」は聞き取れたのに…俺は未だに3桁の数字も聞き取れないのか…と思ったら「3-2路バス」でした。
今度先生に「-(ハイフン)」て中国語で何て言うのか聞いておこう。
15:30バスは発車しました。

そして終点の「雲崗」に着いたのは、16:15ですよ…俺が当初描いてた予定では遅くても14:00には『雲崗石窟』に着いてるんだったんだけどな…
入口まで続く左右にはお土産屋がたくさんあるんだけど、いつもながら売らてるモノはどこも同じです。
それから售票処で入場券を買ったんだけど、学生証のおかげで60元が30元になりました
学生サイコーです。

世界遺産碑です。
『雲崗石窟』は2001年に世界遺産に認定され、「河南省洛陽」の『龍門石窟(2000年世界遺産認定)』と「甘粛省敦煌」の『莫高窟(1987年世界遺産認定)』と並んで“中国三大石窟”のひとつです。
「洛陽」の『龍門石窟』は2007年5月1日に行ってるのでブログ記事を見てみてください。
このような人気がある観光地で石碑や石像などを写真に撮ろうとすると、必ず人民が邪魔します…
俺のような1人旅だと石碑などと一緒に写す対象者がいないんでね…
カメラを構えていても、代わる代わる人民が入って来ます…

ここが入口です。
『雲崗石窟』は「武周山」断崖の砂岩を切り開いて築かれた石窟で、東西1Kmに延びており、主な洞窟は53窟、彫像は高さ数Cmのモノから17mのモノまで51,000個もあります。
460年に開削され、494年には大部分が完成したそうです。
その後も造営が続けられ、「遼金」時代に最大規模になったそうです。

『雲崗石窟』は向かって右側から第1窟があり、この入口正面にあるのは第5窟、第6窟になります。
この第5窟には『雲崗石窟』最大の高さ17mの仏像があるんですが、写真撮影禁止で撮れませんでした。(まぁ洞窟内だから、暗くていい写真は撮れないだろうけど)

次に右側の第4窟~第1窟から見ることにしました。
写真(右)は第4窟・第3窟ですが、そこに着く前にあったのはミイラ(写真左)じゃないよね?
「即身仏」という仏様もあるからね~

これは第4窟にあった仏像だったかな?

第2窟・第1窟に向かう途中にあった「古道車轍」です。

これは第2窟・第1窟です。
中には塔みたいのがありましたが…
次は第7窟以降を見るために中央まで戻ります。

まぁ第7窟・第8窟は大したこと無かったんで、おいといて…
この第9窟~第13窟の「五華洞」と呼ばれる洞窟は芸術性が高く、綺麗でした。

特に第12窟の「伎楽天」が見所のようです。
その後細かい石窟が続き…

これ(写真右)は第16窟(13.5m)です。

そして第18窟(左)・第17窟(右)です。



第18窟(15.5m)です。



第17窟(15.6m)です。
第16窟~第20窟は「曇曜五窟」と呼ばれ、世界的に有名らしいですよ。

さて、次は第19窟(16.8m)ですが、メインは写真右の仏像ですよ。

そして『雲崗石窟』のシンボルとなっている第20窟の仏像(13.7m)です。
この「曇曜五窟(第16窟~第20窟)」は、高僧「曇曜」がときの皇帝である「文政帝(440年~465年)」を説き伏せ、全身全霊を使って築き上げたモノだそうです。

第20窟以降は、ほとんど説明すらありません…

これで大体見終わりました。
18:00ごろ『雲崗石窟』を出ると、すぐ「3-2路バス」が来ていたので乗り込みました。
そして、19:00「大同火車站」に着き、19:10ごろ近くのホテルにチェックインしました。
1泊50元と破格だったんだけど、シャワー・トイレ無しでした…
まぁ1泊くらい我慢するか…

夕飯は珍しく外に食べに行きました。
以前(青州時代)は学校近くの「山西刀削麺」の炒麺をよく食べてたんでね。

本場の「山西刀削麺」の炒麺を食べました。
なかなか出て来なかったんで、ムカついて帰ろうとしたんだけどさ。

今日は「大同」に着くのが遅すぎて市内の史跡を見ることが出来ませんでした。
明日は、せめて『九龍壁』を見てから「山西省太原」に行く予定です。
疲れました…


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国慶節「旅程」発表!

2008年09月28日 | 中国旅行記
9月28日(日)
今日は課外授業?が中止になったんだけど、8:00くらいに起きちゃいました。
普段は6:45に起きてるんでね…早起きが習慣になりつつあります。
今日は金曜(テニス観戦)と土曜(課外授業)の疲れを癒すための安息日にしました。
起きてからネットで旅に必要な路線情報などを調べてたんだけど、11:00ごろから30分ほど「朴さん(韓国人)」とチャットしてました。
昨日の課外授業の時に「朴さん」からアドレスを教えてくれたんで、昨晩登録しておいたんです。
それで午前中、少しチャットしてたんだけど、初め俺は中国語で入力してたら、彼女は日本語で入力してください…と。
話してたら、彼女は高校2年~大学2年まで4年間日本語を勉強してたんだって~
少し日本語が分かるのは知ってたけど、「挨拶語」「日常会話」程度じゃなく、ちゃんと「文法」が分かってるんじゃ~ん。
「日本語を教えて欲しい」と言ってたんで、たまに教えてあげようと思います。

昼食(朝食兼)は昨日「WAL★MART」で買って来た「おにぎり」と「カップラーメン」で済ませました。
それから今日は10月分の宿舎費を払ってきました。
まだ9月分しか払ってなく、旅行中に10月に入っちゃうんでね。
その後は部屋で『赤壁 -RED CLIFF-』のDVDを観てました。
やっぱ本物は違うなぁ。
「済南」で以前買ったのは6元で映画館のスクリーンを撮影したモノだったからね。
(その割りに画質が良かったけど、音声が遠く感じました)
今回のは「WAL★MART」で買った本物だし、13元だからね。
早く続編が見たいな~
それから17:30部屋を出て「SEVEN-ELEVEN」に買い物に行きました。
昨日「WAL★MART」に行った時もそうだったけど、もう往復歩くのはコリゴリなんで行きだけでもバスに乗ることにしています。
帰りのバス停はちょっと遠そうなんだよね…未だに場所を知らないんだけどさ…
久々に「惣菜チョイス弁当」と「サラダ」、「牛乳」、明日の朝食を買って帰りました。
明日は5:30くらいに学校を出ようと思ってるんで、フロントにそれを話して入口を開けてもらえるように頼んでおいたんだけど…大丈夫かなぁ?

それでは旅程を発表します。
 9月29日(月) 北京山西省大同
 9月30日(火) 山西省大同山西省太原
10月 1日(水) 山西省太原山西省平遥山西省太原
10月 2日(木) 山西省太原河北省保定市易県河北省保定市涿州市
10月 3日(金) 河北省保定市涿州市北京市房山県周口店大学
…こんな感じで計画を立ててみました。
世界遺産が4ヶ所含まれてるんですよ。(世界遺産ハンター復活か
もしかすると10月2日は移動距離が長いんで、予定が変わっちゃうかも知れませんが…
でも大学は日曜(10月5日)まで休みだから、まだ余裕があるんで1日くらい延びても問題無いからね。

今日は3X回目の誕生日でした。
けど、毎年恒例のように何も無いんだけどね…
フロントに宿舎費を払いに行った時「アヴィ(イスラエル人女性)」に会って、「Congratulation!」と言ってもらったくらいかな…

今日は「チャイナ・オープン」の決勝が行われました。
やっぱ第1シードで26日に「D・ハンチュコバ」、昨日準決勝で「V・ズヴォナレーワ(ロシア)」を破った「J・ヤンコビッチ」が決勝で第4シードの「S・クズネツォワ(ロシア)」を破り、優勝しましたね。

今日は昼寝もしてないし、早目に寝て、明日は4:30ごろ起きる予定です。
では、また旅から帰った後のレポートを楽しみにしていてくださいね。


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青州「駝山」

2008年08月24日 | 中国旅行記
8月24日(日)
今日は「M先生」と青州の「駝山」に行って来ました。
青州といえば「雲門山」(2007年9月2日のブログを参照してね)で、「駝山」は青州が地元でも行ったことが無い人が多いみたいです。
俺もあと2週間で青州を離れるのでね、近場の観光地?なら行っておこうと思いまして…

今日は8:00に学校のロビーで「M先生」と待ち合わせました。
「M先生」も「駝山」は初めてなんですが、事前調査では学校からそれほど遠くは無さそうでした。
通りに出て「輪タク」に値段を聞くと10元でした。
学校から「雲門山」だって10元くらいですからね。

8:20ごろ「駝山」の入口に着きました。

これが「駝山」の山門です。

「駝山」の「駝」は中国語でラクダのコブの意味があります。
この山門の柱にはラクダがデザインされていました。

入場券(40元)を買い、この「仰佛門」から入ります。
ネットの調べでは入場料10元だったのにな…
「雲門山」と同様、早朝や晩だと多分無料で入れるんだと思います。

この「駝山」では「駝山石窟」が全国重点文物保護単位に指定されているようです。

この“駝山”の字は「明」代に「喬宇」という人が書いたらしいです。

「観佛台」と「望雲亭」です。

こんな山道を登って「東天門」に着きました。
やっぱ晴天の登山はキツいなぁ~
「雲門山」と大して変わらない400mくらいの山なんだけどね。

「東天門」へ向かう左には「石窟東門」があります。

先に「東天門」から「呉天宮」に行きました。

中に入ってみました。

これは「天泉」です…って井戸

これは「玉皇殿」です。

「玉皇殿」内には「ミニ関羽」がありましたが…これじゃカテゴリを三国史跡めぐり&三国志関連には出来ないな…

「玉皇殿」の裏には「七宝閣」がありました。
これは「元」代の建築らしいです。

上の「三清殿」内の塑像です。

これは下の「七宝閣」の塑像です。

帰りに「呉天宮」の裏側の「慈航殿?」を見てみました。

そして「呉天宮」を出て「天橋」を渡り…

石門を通って…

「南天門」に着きました。
ちょっと曇ってきて楽になりましたが、もう登山は無いからね…

「石窟南門」から「駝山石窟」を見ることにしました。
このように「石窟」は鉄柵で保護されていますが、既に頭が無い仏像が多いです。

こういう写真は鉄柵の中にカメラを入れて写しています。

これは「北周石窟造像」です。

これは「隋朝石窟造像」です。
若干の色彩が残ってるのが分かりますね。

これは「唐朝石窟造像」です。
「雲門山」にも「雲門山石窟」があるけど、やっぱここも規模は小さいね。
「中国三大石窟(全て世界遺産)」はまだ河南省洛陽の『龍門石窟』(2007年5月1日のブログを参照してね)しか行ったことがありません。
いずれ機会があれば山西省大同の『雲崗石窟』や甘粛省敦煌の『莫高窟』、中国三大石窟には入っていないけど(「石窟」じゃなくて「石刻」だから?)重慶市大足の『大足石刻』も世界遺産なので行ってみたいですね。
…って別に俺は仏像マニアじゃないですからね。

正面の山が「雲門山」です。

「駝山」の麓では寺?か廟?を建設中でした。
「駝山」も「雲門山」と同様登山というより、山中にある景点を見て回るような山でしたね。
まぁ、その方がいいんだけどね。(こんな暑い中、登山なんて出来ません…
10:00ごろ「駝山」を出て輪タクを拾い、学校に帰りました。

そして「M先生」と別れ、汗をかいたついでだからバスに乗って繁華街に買い出しに行って来ました。
「食パン」「牛乳」「飲料」「牛肉」を買って帰りました。
来週は「青州」で最後の日曜日になるけど、もう行きたい所は無いかな…?
また、ちょっと近場を検索してみます。
では、また1週間頑張りまーす。


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青州「廣福寺」

2008年07月02日 | 中国旅行記
7月2日(水)
昨日は「岡山県」の某「大学」の「説明会」があり、「夜」はその「先生」と「食事会」がありました。
本当は「TK先生」の「学校」主催の「送別会」の「食事会」の「予定」だったんですがね…。
「大学」の「先生」との「食事会」と一緒になっちゃいました…
その時「校長」がやたら「この近くの寺がいいから、是非行くといい」と勧めるんです。
「TK先生」は「4日」に「青州」を去るので「明日」の「午前」に連れて行ってもらうことになったんですが、今日「仕事」が終わった後「事務所」前を通ったら、「これから寺に行くんです」…と。
「明日」だったら俺は「仕事」があるんで行けないけど、今からなら「行ける」んで一緒に連れて行ってもらいました。
「場所」は「雲門山」の近くで、「学校」は「秋」にその近くに「移転」する「予定」になっています。
17:00ごろ「学校」の「運転手Lさん」と「TK先生」と「中国人男性教師K先生」と俺の「4人」で行って来ました。
「雲門山」も歩けなくは無い「距離」ですからね。
「車」で「10分」ほどで「廣福寺」に着きました。

この「寺」は「去年」建てられたみたい。
いくつか「建物」がありました。

これは「塔林」です。

この「石碑」は「明」代のモノらしいけど…

「正面」から見ると「大雄賽殿」と書いてありました。
入れませんでしたが、「中」には「大仏」がありました。

この「近辺」は「山」ばかり…

この「山」を少し下ると…ここが「学校」の「移転」先です。
「政府」の「政策?」で「学校」をこの「近辺」に集め、「学園都市」みたいにするらしい…んです。
その「政策」の中に、俺が勤めている「日本語学校」も入ってるようで…。
でも「秋」に「移転」予定なのに、まだ「周囲」には何も無さそうだし、「建物」だってまだ「建設中」じゃん…
ホントに「秋」に「移転」出来るのだろうか…?
まぁ、どうせ「その時」俺は居ませんけど…
そんなに「校長」が勧めるほどの「寺」じゃ無かったよな…
せめて「財神殿」でもありゃ『関羽』がいたかも知れないけど、「神」では無く「仏教」の「寺」のようだったんでね。
とりあえず「校長」に会ったら「とてもいい寺でした」…とでも言っておこうかな。

急遽「昨日」と「今日」は「資料翻訳」をする事になりました。
昨日「学校」の「コンピューター」が「日本語入力」出来なくなり、「修理」してもらったら「明朝」の「フォント」が無くなってしまい、今まで「明朝」で作っていた「資料」も少し「作り直し」する事になってしまいました。
「9月」入試の「大学」も「今月」中旬くらいから「翻訳」しなきゃなりません。
でも去年(2006年度)の「クラス」は「8クラス」もあって「学生」の「人数」も多かったけど、今年(2007年度)は「5クラス」しか無いし、「1/3」の「学生」は「春」受験で「合格」しちゃってるからね。
だから今後の「資料翻訳」の「仕事」もあまり「大変」じゃ無いと思うけどさ。

明日は夕方「歯科」に行って来ます。
この「歯」の「治療」では、これが「最後(4回目)」だと思うんだけどな。
一応「2本」治してるんだけど、もう「1万5千円」以上使ってます…
あと「PSP」の「アナログパッド」が壊れました…
最近の「ゲーム」は激しすぎるぞ…
「学生」に聞いたら「青州」じゃ直せる「店」が無さそうなんだよね…。
ちょっと他の「学生」にも聞いてみますが…
近くでは「濰坊」まで行かなきゃならないかも…
「PSP」など「ゲーム」に詳しい「学生」にいろいろ聞いてみて、「濰坊」まで行かなきゃならないなら「週末」は「濰坊」に行くかも。
『孔融祠』の「改修」が終わってりゃ「PSP修理」と「三国史跡ハント」を合わせて「濰坊」まで行くんだけどな…

それでは、また…
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「山東省」日帰り旅行~沂源県『神清宮』編

2008年06月22日 | 中国旅行記
6月22日(日)
今日は2度目になりますが「湽博市沂源県」に行って来ました。
前回行ったのは今年の「3月30日」でした。(ブログ参照してね)
その時は「織女洞」しか行けなくて、今日「再び」行って来た…というワケです。
本当は今日行った「神清宮」が「三国史跡」かも知れない…という「調査」のもとで「メイン」だったのに、先に行った「織女洞」に「時間」が掛かってしまい、「神清宮」まで行かれなかったんです…
実際は「神清宮」にある「三官廟」に『劉備』『関羽』『張飛』の「塑像」がある…という「人民」の「ブログ記事」があり、その「真偽」を確かめに行ったんですがね…
でも「中国」全土にある「関帝廟」と違い、「蜀」の「皇帝」であった『劉備』が祀られている「廟」なんて、『劉備』に縁があった地か、かなり「規模」が大きな「関帝廟」くらいしか無いですからね。
だから「半信半疑」で行ってみたんですが…「結果」から言うと「ガセ」でした。
「カテゴリ」も「三国史跡&三国志関連」に入れてないでしょ。
とりあえず「レポート」見てくださ~い。

今日は7:00「M先生」と「学校」を出ました。
7:10「タクシー」を拾い、7:25「青州客運站」に着きました。
まず「リンクウ県」に出るため「リンクウ」行きの「バス」に乗ると、7:30発車しました。
前回は「曲阜」行きの「バス」に乗って「沂源」の「悦庄」という「村」で降りることになってしまったんでね。
なので今回は「経由地」でもある「リンクウ」で「沂源」行きに乗り換えて行くことにしたんです。

8:15ごろ「リンクウ汽車站」に着き、「沂源」行きに乗り換えました。

そして、8:35ごろ「沂源」行きの「バス」は発車し、9:45ごろ「沂源汽車站」に着きました。
そして「神清宮」行きの「バス」を聞くと…11:30発車だってよ~
そんなの待てるかよ~ 
その「辺り」の「交通」の「不便さ」は知ってたんで、もう「タクシー」を使って「神清宮」まで行くことにしました。

10:15「神清宮」に着きました。

「入場料5元」です。

「神清宮」の始建は「1740年」らしく、「改修」を重ね今の「姿」があります。

「神清宮」は「道教」関連の「建築」らしいです。

「左」側の「廟」の「1階」にあった「塑像」です…って何の「神様」

「中央」にあるのが「神清宮」です。

「中」には3体の大きな「塑像」がありましたが…誰?

そして…「右」側にあった「廟」…これがどうやら「三官廟」だって。
「2階」に3体の「塑像」があったんで「怪しい」とは思ってたんだけど、どう見ても『劉備』『関羽』『張飛』じゃないよ…
しかも「逆光」で「塑像」の「アップ」が撮れないし…
聞いたところによると「天」「地」「水」の「神様」で「三官」なんだってさ~。

「三官廟」は全く「三国史跡」とは「関係」が無く、もう俺の「テンション」は下がってしまいましたが、「裏山(青牛山)」にも「廟」があるらしいんで登ってみることになりました。
(ちなみに青牛山は695m)
相変わらず「案内標識」も無く、「道」を間違えたようで仕舞いには「道」が無い所を登っていました。
そしたら「人民」の「声」が聞こえてきたぞ…って3人の「親子連れ」が登ってて、「声」がする方へ行ってみたら「道」がありました。

ここが「頂上」か…と思ったら、更に先に「廟」のような「建物」が見えるぞ…
「あそこ」まで登らなきゃいけないの…?

これは「石碾」だって。

こっちは「奶奶頂」です。

この「門」の下は「断崖」だぞ 

この「建物」は何だっけ?

「娘娘行宮」です。

こっちは「玉皇廟」です。

これは「玉皇宮殿」です。
「登り」は「1時間」掛かりましたが、「下り」は「30分」で下りて来ました。
12:25「神清宮」を出ました。

ちょっと歩くと「バス停」があるんだけど、「バス」が来るのは14:00だと。
近くの「ショボ」い「売店」前で「バス」が来るのを待ってました。

すると13:30ごろ「女学生」が大きな「荷物」を持って歩いてる…。
「M先生」が「車があるのかも知れない」と言うので、行ってみると「数人」の「学生」を「バン」が「沂源」方面に乗せて行くみたい。
「交渉」して「沂源汽車站」まで乗せて行ってもらいました。
こりゃ、多分「バス」なんて無いんだろうな…

14:00ごろ「沂源汽車站」付近の「ファーストフード」店で「昼食」を食べました。
そして14:45「沂源汽車站」に行き、15:15「リンクウ」行きの「バス」は発車しました。
それから16:45ごろ「リンクウ」に着き、「青州」行きの「バス」は17:00ごろ発車しました。
そして17:35ごろ「青州」に着き、タクシーに乗って17:50「学校」に帰りました。

あ~疲れた…
やっぱ「夏」の「お出掛け」は暑くて堪らないな~
しかも何の「成果」も挙げられなかったもんな~。
「関聖廟」や「財神殿」も見られなかったし…。
ちょっと「日帰り旅行」も当分止めようかなぁ。
「暑さ」が一番「苦手」なんでね。
今日は「最悪な1日」になってしまったな…
「三官廟」は「ガセ」だったし、帰ってから着ていた「服」を「洗濯」したら「デジカメ」の「予備バッテリー」を「ポケット」に入れたままで「ダメ」にしてしまったし、明日の「授業」で使おうと思っていた「聴解」の「テープ」を「部屋」の「ラジカセ」で聴いていたら「ヘッド」に「テープ」が絡まってしまい「テープ」が切れてしまったし…

明日はまた「歯科」に行って来ます。
今度は「いくら」掛かるんだろう…
それと明日の「夜」は「日本人教師」皆で「中国人教師」達に「カレーライス」を作ってあげます。
どんな「反応」になるだろうか…
明日からの「1週間」は、また「ダメクラス」に「授業」に行かなきゃならないのに、「教科書」が進められないんで別の「教材」を考えてやらせなきゃいけないんだよな~
しかも「レベル」低いから、高度な「問題」をヤラせても「ムダ」だし…。
もう「ヤル学生」と「ヤラない学生」がハッキリ別れてるんでね…
割り切って「ヤル学生」だけ「相手」にしてるけどさ。
「学生」は「授業」をサボれるけど、「教師」はサボれないからね。
一番「イヤ」なのが何も「ヤラない」のに「出席」だけしてる「奴ら」。
「教室」の「酸素」を「二酸化炭素」に変えてるだけだからね…サボって居ない方が「マシ」だもん。
早く「来週」も終わらないかなぁ…ってか、早く「夏休み」になって、早く「仕事」終わりたい…
「やりがい」のある「仕事」なんだけど、「学生」の「質」が「低い」と「やりがい」なんてあったもんじゃないですからね…。
あと「2ヶ月」は「憂鬱」だなぁ…

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ぶらり「青州」散歩~Part.2

2008年06月15日 | 中国旅行記
6月15日(日)2/2
さて、1度「部屋」に戻り、「昼ご飯」を食べ、14:30「再び」出掛けました。
次の「目的地」は「学校」から、すぐ「近く」です。
「学校」前の「通り」は「範公亭南街」といい、「学校」を出てすぐ「左折」して少し歩くと…

「龍興寺遺址」があります。
今は「民族中等専業学校」の「運動場」になっています。

更に少し歩くと…

「青州博物館」があります。
「青州博物館」は過去「2度」行っています。
今日「TK先生」と「HA先生」が行ってると思いますが、俺は「2度」行ってるんで断りました。

その「青州博物館」の傍にあるのが「範公亭公園」です。
「早朝」と「夕方」は「無料」らしいんですが、その時になると「園内」の「三賢祠」や「李清照紀念館」が閉まってると思ったんで、「入園料15元」を出して入りました。

「青州博物館」と「範公亭公園」の「位置関係」は「こんな感じ」です。

「範公亭公園」内から見た「青州博物館」です。

これは「千年古城牆」です。
古い「城壁」なんでしょうか

「ここ」は「李清照紀念館」です。

「李清照紀念館」内から見た「青州博物館」と「蓮花橋」です。

「中」には「いろいろ」あります。

「池」はあまり「キレイ」じゃないんですが…「釣り」をしてる「人民」が「数人」いました。

ここが「李清照紀念館」です。

この「易安居」には…

「李清照」の「肖像画」などがありました。
「李清照(1084 - ?)」は「北宋」末の「女流詩人」で「済南」出身です。

「こっち」には…

「李清照」像がありました。

「李清照」に関する「石碑」かな

「李清照紀念館」を出ると「公正廉明碑」があります。

「洋渓湖」…って「湖」じゃなくて、「池」だと思うぞ…

こんな「公園」内に「武術学校」があるとは

「麻姑献寿」(左)と、「斉魯藤夢王」という「名前」は「立派」な「ショボ」い「遊技場」がありました。

最後に「三賢祠」に入りました。

「ここ」では「青州」の「偉人?」が「紹介」されていました。

これは「範公(井)亭」です。

「三賢祠」ということで、「3人」の「賢人?」を祀った「祠」があります。
「左」は「欧陽公祠」です。
「欧陽修(1007 - 1072・江西省吉安県出身)」は「北宋」の「政治家」です。

「中央」は「範公祠」です。

「中」の「範仲淹」像です。
「範仲淹(989 - 1052・江蘇省蘇州出身)」も「北宋」の「政治家」です。

「右」は「富公祠」です。
「富弼(1004 - 1083・河南省洛陽出身)」も「北宋」の「政治家」です。
「3人」共、「青州」とどういう「関わり」があったのか、よく分かりませんが…
15:45ごろ「範公亭公園」を出ました。
「範公亭公園」は「学校」から歩いて「5分」くらいです。

「範公亭公園」を出ると、近くに「南陽橋公園」があります。
「ここ」はフツーの「公園」なので「無料」です。
「老若男女」が「公園」で「くつろいで」います。

その近くの「南陽橋」です。
「橋」には「唐獅子」が付いていますが、1つ1つ「デザイン」が「違う」みたいです。

「南陽橋」から見た「南陽湖?」ですが「水」が流れてないぞ…
そして、16:00ごろ「部屋」に帰りました。

さて「来週」は半分「資料翻訳」で、半分「授業」です。
来週の「日曜」は「M先生」を連れて「沂源」に行きたいな。
では、また。

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