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史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

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ぶらり「青州」散歩~Part.1

2008年06月15日 | 中国旅行記
6月15日(日)1/2
昨日、俺が「留学したい」と決めた「大学」に「申し込み」をしようと思ったのに…まず「電話」してもらったら「大学」が「休み?」だったみたいで誰も出ませんでした…
とりあえず「明日(月曜)」もう一度「電話」してから「申し込み」をするつもりです。
一応「2校」で迷っていましたが、「専門大学」の方に申し込もうと思っています。
明日「正式」に「申し込み」が済んだら、「発表」しますね。

今日は特に「遠出」する「予定」も無かったので(…って言うか「M先生」に先週の金曜から1週間会って無かったので誘えなかった)、1人でブラブラ「町」を「散歩」していました。
まだ「近所」でも行ったこと、見たことが無い「史跡?」があったのでね。
「散歩」がてら「散策」して来ました。
「M先生」は「端午節」後、「麦」の「刈り入れ」の「手伝い」のために「実家」に帰ってたらしいです。
…でも「雹」が降ってきて「刈り入れ」が出来なかったらしいが…

今日は8:00ごろ起きて、また「朝市」に行って来ました。

「朝食」の「鶏蛋餅」と「キャベツ」を1個買って帰りました。
「キャベツ」なんて1個「1元(15円)」くらいですよ。
「朝食」後は少し休んで、11:00すぎに出掛けました。

「学校」前の1本「奥」の大通り「駝山南路」です。
この「バス停」から、よく「バス」に乗って「3路:繁華街」や「6路:佳楽家(スーパー)」などに行っています。
今日は「歩き」で行ける「範囲」です。

しばらく歩くと「雲門山南路」に出ます。
「写真」の「左」の方に写ってるのが「雲門山」です。
「雲門山」は「2度」登っているので「ブログ参照」してみてください。
(2006年6月21日、2007年9月2日)

また暫く歩くと「右手」に「雲門山」の「入口」がありますが、「登山口」までは「ここ」から「20分」以上「歩く」と思います。

「雲門山南路」を途中「左折」すると「玲瓏山南路」に出ます。

少し歩いた「衛生学校」内に、「明」代の「衡」王府の遺跡「午朝門石坊」があります。
この「午朝門石坊」は「2対」です。
その先には「金曜(13日)」に行った「歯科」もあります。

更に歩き続けると、以前「M先生」と「DVDプレーヤー」を「修理」に出しに行った「偶園街」に出ます。

今まで「偶園商業街」しか行ってなかったんだけど、今回「偶園」に入ってみることにしました。(入園料10元)

「中」は…「庭園」でした。

「ここ」は「茶店」でしょうか?

これは「司空公青州刺史臨淮王碑」です…って「いつ」の人?

「園内」には、こんな「奇石」が「たくさん」あります。

「寧」、「康」、「寿」の字なんだって…

この「石碑」は何だろう

「中」に入れない、ただの「建物」や…

これは「臥雲亭」だって。

俺の他に全然「人民」は居ませんでした…

「ネット」で調べたときは「入園料4元」だったのにな…。
「10元」出すほどのモノじゃ無かったな…

「奥」には「動物園」がありました。
居たのは「猿」と…

「孔雀」くらいでした…

「偶園」の近くには「教会」もあります。
「青州」にも「キリスト教徒」居るのかな?

これは「青州古城遊」という「古街」です。

その「古街」の中にあった「省立四師旧址」です…って何

「建物」は「古い」感じですが、「店」は「食堂」や「雑貨屋」などです。

「ここ」は「偶園商業街」です。

「偶園商業街」の「門」を出ると…

「目の前」には、いつも俺が行く「美容院」があります。

その「少し先」には「青州市政府(市役所)」があります。

少し歩いて「佳楽家(スーパー)」に行きました。

その「近く」には「公安」があって、「ここ」で「ビザ」の「更新」をしています。

このように「露店?」で「果物」などを売っているのを、よく見ます。
多分この「スイカ」も1個「10元(150円)」くらいなんじゃないかな…
「佳楽家」では「パン」や「牛乳」などを買いました。
「買い物」もするつもりで出て来ていたので「買い物袋」も「持参」していましたからね。
そして「佳楽家」前から「6路バス」に乗って、13:00ごろ「学校」に帰りました。
帰ったら「米」が「ほとんど」無かったんで、明日また「買い出し」しなきゃ…
一度「部屋」に戻り、また「昼食」後に出掛けます。
「続き」は“Part.2”にて。

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「山東省」日帰り旅行~沂源県『織女洞森林公園』編

2008年03月30日 | 中国旅行記
3月30日(日)
さて、気候も暖かくなり、お出掛けにいい季節になってきました。
今日は久々に日帰り旅行に行って来ました。
今日行って来た所は沂源県といい、青州市が属する濰坊市の隣りの淄博市に属する県です。
じゃあ、そこに何があるのか?
俺はヒマな時、よく中国のサイトをいろいろ見て、史跡などを探しているんですが、たまたま中国人のブログで、この沂源県にある「三官廟」というのが引っ掛かったんです。
記事を読むと、その「三官廟」に『劉備』『関羽』『張飛』が奉られているらしいんです。
中国各地にある「関帝廟」は“三国志”以後、神格化された『関羽』が祀られているので史跡と関係無く点在しているモノが多いです。
ですが『劉備』などが「関帝廟」以外で奉られているからには、歴史的根拠があるかも知れない…。
後漢末期、群雄が割拠していた時代には、『劉備』もここ「青州」に関わりがあります。
これは行ってみる価値がありそう…って事でM先生をお供に従えて行って来ました。
でも、沂源県に「三官廟」あることは他のサイトでも調べて確証が持てたんですが、そこに三兄弟の塑像がある事までは、どこにも記されていませんでした…
「三官廟」という廟はあっても、三兄弟が奉られている事はガセかも知れない…
とにかく行って確認するしか無いようです。
もし、それがガセでも、その近辺には興味深い史跡(三国史跡じゃありません)があるし、ここ青州市からそんなに遠くないので行ってみることにしたんです。
さて「三官廟」に『劉備』『関羽』『張飛』の塑像はあったのか
乞うご期待 

今日はM先生と7時に学校のロビーで待ち合わせをしました。
学校近くでタクシーを拾い、7:30ごろ、いつもの「青州客運総站」に着きました。
事前の調査通り、やっぱ「青州」から「沂源」への直通バスは無いようでしたが、「曲阜」(孔子故里がある)行きのバスが「沂源県悦庄」という所を通過するらしく、まずそこまで行くことにしました。
もし、このような手段が取れなかった場合は「淄博」または「臨朐」で沂源行きに乗換えが必要なため、時間とお金が多めに掛かってしまいますが、さすが中国人のお供は心強いですね。
まぁ、こんな行きづらい場所だからM先生を付き合わせてるんだけどさ。

「曲阜」行きのバスはすぐ発車して、8:50ごろ「沂源県悦庄」に着きました。
…って、おいおい、ここはどこだよ…
でもM先生がいるから安心です。
すぐ、近くの人民に道を尋ねてもらい、少し歩いて「沂源」の中心まで行く路バス乗場まで行きました。
路バスはちょうど行ってしまったばかりで30分ほど待ち、9:30路バスに乗って「南麻鎮」(県中心部)に出ました。

10:00ごろ「沂源長途汽車站」に着きました。
今度はそこから目的地まで、またバスに乗らなきゃなりません…
今回の目的地は2ヶ所です。
まず1つ目は最初にも書いた通り「三官廟」です。
これは「青牛山」にあるらしく、山中で最も著名なのは「神清宮」という始建は「宋」代の道教の建築物らしいです。
でも、俺のターゲットは「三官廟」ですけどね。
2つ目は「織女洞」です。
ここは、後で詳しく説明しますが、この史跡はどちらも「沂源県燕崖郷」の“牛郎-織女”旅遊区にあるようです。
ですが事前調査で「青牛山」の詳しい場所が特定出来ず、後は現地でM先生頼りになりました。
「沂源長途汽車站」で聞き込みをしてもらうと、「神清宮」と「織女洞」は同じ旅遊区内でも、場所は離れている事が判明しました。
まずは「織女洞」から目指すことになり、10:15バスは発車しました。

11:05ごろ「織女洞」で下車しました。
ホント…山と川しか無いところだよ…

少し歩いて「織女洞森林公園」の入口に着きました。(入園料20元)

入口を入って、少し歩いたら、もう「織女仙洞」がありました。

さっきから「織女」って何者や?と思っている方も多いと思いますので、説明しますね。
日本でも「七夕」でお馴染みの「織姫」のことなんですわ。
「織姫」と「彦星」は、元は中国の神話の「織女」と「牛郎」なんです。
その伝説は、この地から生まれた…と。
ここは中国でも唯一この伝説を題材にした古建築のようで、「宋」代の始建だって。
この「織女仙洞」の下方を流れる川の対岸には「牛郎廟」があるらしいんですが情報を入手出来ず断念しています。

「織女仙洞」に入ると、「織女」の塑像がありました。
オバちゃんの道士がいましたが塑像の写真を撮りました。
案の定「ダメ」と言われましたが、撮っちゃえばこっちのもんよ。

目的は「織女洞」だけでしたが、入場券に記された園内の地図を見ると「三儀柏」や「三教廟」など、ちょっと気になる名前のモノがあったので、少し他も見ることにしました。

これは「葉籽銀杏」です。

「九重塔」って説明には書いてあったけど…九重も無いじゃん

これは「玉皇廟」です。

中の「玉皇大帝」です。(…て知らんけど)

この「織女洞森林公園」は「大賢山」にあるため、山登りが趣味のM先生に付き合って山頂まで登ることになりました。

途中から山道が無くなり、山頂には石を積み重ねた塔?があるだけでした…
多分、この山って山頂を目指して登る山とは違うんだと思う…。

こんな石を積み重ねた壁や…

こんな石の山を見ていると、昔は山城でもあったのかな…なんて想像してしまいます。
もう、13:00になるので、下山することにしました。

これは「織女池」です。
「織女」が淋浴していた泉なんだとか…
13:15ごろ「織女洞森林公園」を出ました。
次は「三官廟」に行きます
「織女洞森林公園」に行くときに、「神清宮はここで降りればいい」と聞いていたので、大体の位置は把握していました。
M先生が「そんなに遠くないですから歩きましょう」と言うので、歩いて向かったんだけど、さっきはバスで通ってたんで距離感狂ったろ?
歩けど、全然「神清宮」のバス停に着きません…
かれこれ1時間以上歩き、14:30、途中で昼ご飯を食べました。
そして14:50ごろ食堂を出て、またひたすら歩きました。

そして15:10ごろ「神清宮」のバス停に着きましたが、ここは飽くまでもバス停であって「神清宮」はここからどのくらい掛かるのかは、全く分かりません…

とにかく「神清宮」を目指して歩きました。
歩いてる方向は合っているようですが、あとどのくらいなのか道端にいた山羊追いのオッちゃんに尋ねると、まだ数キロ先で「行くバスはまだあるが、帰りのバスは無いぞ…」と。
「神清宮」や「三官廟」は「青牛山」中にあるからな…
登山時間も考慮しなきゃならないし…それにバスが無いんじゃ帰れないよ…
今引き返すんでも、その方向(つまり帰りの方向)のバスは、もう無いんだけどさ。
まだ歩いて「神清宮」のバス停まで戻れるから、そこから「沂源」まで帰れる。
今の時刻は15:30ですが、「三官廟」は諦めて帰ることにしました。
田舎の山村だから、交通の便が悪すぎるよ…
タクシーなんか全然走って無いんだもん…
でも、「織女洞森林公園」を出てから2時間以上も歩いて、まだ「神清宮」にすら着かない…。
これはハッキリ言って、ムダに歩いただけになっちゃったよ。
「織女洞森林公園」からバスでも「神清宮」まで行けたんだし…
15:30、とにかく帰るために「神清宮」のバス停まで引き返すことにしました。
もう歩きすぎで、またも足の裏に水ぶくれが出来てきました。
16:20バス停で白タクを拾って、16:45ごろ「沂源長途汽車站」に着きました。
行きは途中下車して「沂源」に来ていますが、帰りももちろん「青州」までの直通バスはありません。
やっぱ「淄博」または「臨朐」まで出なければならないのですが、その「淄博」または「臨朐」に着いた後に「青州」行きの交通手段が無ければ、どうしようも無い。
距離は「臨朐」の方が近いんですが、その後「青州」行きのバスがまだあるか…が微妙です。
「淄博」行きの場合、着いた後「青州」行きのバスが無くても「列車」という手段が取れるんです。
でもM先生が「汽車站」で職員に聞くと、「臨朐と青州は近いんだから帰れる」と言うので、「臨朐」経由で帰ることになりました。
でも、そのバスは「濰坊」行きなので途中下車して、「青州」方面行きのバスを拾わなきゃならないようです…
18:00ごろ「臨朐」で降ろされましたが、「青州」方面行きのバスが全然通らない…
タクシーで、18:30「臨朐汽車站」に行くも、もう「青州」行きのバスも終わったと…
そして最終的には「臨朐汽車站」にいた白タクに乗って、19:30直接学校まで帰って来ました。
2時間もムダに歩かなきゃ「三官廟」も見れたかも知れないけど、M先生に文句は言えないからね。
その代わり、いずれまたリベンジに付き合ってもらうとしましょう。
でも、この「沂源県」は交通の便が悪すぎて、もう行きたくないな…
「三官廟」に関する確証が持てたらリベンジを実行することにします。

あぁ…足の裏の水ぶくれが痛い…
実は来週「清明節」で木曜の午後から休みになるんです。
これは今年から休日に制定されたんですよ。
3日半ですが、また「プチ旅行」するつもりです。
それじゃ、またね。


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「青州」帰還

2008年01月10日 | 中国旅行記
1月10日(木)
今日は「学校」の「車」に迎えに来てもらう前に「青島」市内に出て「ジャスコ」で「買い出し」をしなければ
「空港」から「市内」まで「片道」約「1時間」です。
そして「ジャスコ」の「開店」が「9時(らしい)」から「8時」には「バス」に乗ろうと、6:30に「起床」しました。

7:00に「ホテル」で少し軽めの「朝食」を取り、8:00に「空港」に着くも、「バス」は8:30からだって~

「バス」は「ジャスコ」付近で「途中下車」し、まず向かったのは「書店」です。
ここで「中国語」の「勉強」に使えそうな「本」と、「三国史跡」を「紹介」した「本」(もちろん中国語)を「購入」しました。
やべぇ、もう「10時」すぎちゃう~
「ジャスコ」は「書店」のすぐ近くですが、その前に「北京」で「DVD」を探して来るのを忘れてたので、「1軒」近くの「DVD店」を知ってるので覗いてみることにしました。
でも、その「店」も前回(2006.10)に行った時には、ほとんど「日本」の「ドラマ」や「映画」が置いてなく(多分摘発のため)、今回も近いから「ダメ元」で行ってみたんですが、「種類」は少なかったものの少し売ってました。
でも「見たい」と思った「ドラマ」は「高い版」(1枚のDVDに2話しか入ってないから枚数がかさみ、値段が上がる)が多く…でも、その方が「安全」(いわゆる120分録画用にドラマ2話だから標準録画なワケだ)なので買っちゃいました。
前回「済南」で買った「ドラマ」(1枚のDVDに6~7話入り)は、「粗悪品」が多く「画像」が乱れたり、「ファースト・キス(井上真央主演)」なんて「最終回」の「ラストシーン」が見れない、という「最悪」な「パターン」もありましたから。
「高い版」と「安い版」(1枚あたりの値段は変わらないんだけどね)を合わせて「7タイトル(新作・旧作込みで)」ほど買っちゃいました。
また当分「ドラマ」には「不自由」しないな…。

思いがけない「収穫」があったせいで「ジャスコ」に行くのが遅くなってしまったぞ。
もう10:30を過ぎてる
とっとと「買い出し」を済ませて、「11時」には「バス」に乗らなきゃ「12時」に「ホテル」に戻れないぞ。
一応朝「チェックアウト」した時に「主任教師」に「電話」して「12時にはホテル戻ってますから」と言ったら、「遅れても大丈夫ですよ」とは言われたんだけどさ。
「あ…絶対12時には来ないな…」と思いつつも、「運転手」を待たすのは悪いから何としてでも「11時」には「バス」に乗らなくては
とりあえず、ほとんど「日本」で「買い出し」は済ませていたからね、「ジャスコ」で「買う物」は大体決まってるんで急いで「食料品売場」へ。
「レトルトハンバーグ」や「肉類」「プリッツ」、安い「レトルトカレー」などを買い込み、急いで「バス停」へ。
Oh、My God! もうすぐ「バス停」って所で「バス」とすれ違ってしまった~
こんな「交差点」の「手前」で「乗車」なんてさせて貰えないだろうと、「30分」後の「バス」を待つことに…
次の「バス」が来るのは11:30すぎ。
もう「12時」に「ホテル」に着くのは「無理」だわな…。
これは「主任教師」の「言葉」を信じて、「迎え」が遅れて来ることを祈ろう。
11:30すぎ「予定」通り次の「バス」が来ると、「交差点」の前で停まりました…。
…って、おい さっきの「バス」は「客」を乗せるために停まってたのかよ。
じゃあ「11時」の「バス」に乗れてたんじゃん…
「中国」なんて「バス停」じゃない所でも「交通」に「支障」が無ければ、どこからでも乗れそうだもんな…。
実際は「バス停」だったんだし、俺は「バス停」じゃないと思ってても停まってるんだったら「乗れるかどうか」聞くべきだったな…
そんなの気付いても「後の祭り」ですがね。
やっぱ「30分」遅れで12:30「ホテル」に戻りました。
「運転手」は来てませんでした。
まぁ、これで良かったか…と思ったけど「運転手」が来たのは「13時」すぎ。
後から「主任教師」に聞いた話じゃ、「運転手」は12:30ごろ「ホテル」に着いたけど、俺が見当たらないと「主任教師」に「メール」してたんだって。
でも「駐車場」か「ロビー」で待っててくれりゃ良かったのに「13時」すぎまでどこに行ってたんだろ?
俺はずっと「ロビー」で「駐車場」に入ってくる「車」を見ながら待ってたのに。
そして「学校」に戻ったのは「16時」ごろでした。
昨日の「北京」もちょっと寒かったけど、久々の「青州」も「寒い」ぞ。

「学校」に戻った「直後」くらいから「雪」が降り出して来ました。
「写真」は翌「11日」のモノですが、少し積もっていますね。

「日本」に帰ってた時は「3月」の「陽気」なんて日もあったってのに、「青州」はスゲェー「寒い」ぞ。
とりあえず「青州」帰還までの「報告」を終わります。

「次回」は「日本」一時「帰国」の「総集編」と「2008年」の「抱負」についてでも書きましょうかね。

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中国・悠久の古都『陝西省・西安』~「慈恩寺・大雁塔」編

2007年05月04日 | 中国旅行記
5月4日(金)
この旅もいよいよ今日が最終日です。
帰りの「列車」に乗るには余裕を持って12:30くらいには「西安駅」に着きたいところ。

9:20ごろ「ホテル」に大きな荷物を預かってもらい出発します。
3時間でどれだけ行けるかな…?
「大雁塔」と「小雁塔」…「陝西歴史博物館」は絶対無理だろうし…。

「ホテル」近くの「革命公園」です。
この「革命公園」の筆者は「馮玉祥」によるもの。
この人について詳しく知らないんだけど、12月に「泰安」に行ったとき、彼の「墓」を見たんで名前だけ覚えました。

「路線バス」で10時ごろ「大雁塔」に着きました。

「慈恩寺」へ向かう敷地内には「唐」代に活躍した著名人の石像が6、7体ほどあります。
でも俺が知ってるのは、この3人だけ。
「李白(左)」、「杜甫(中)」、「王維(右)」…皆「詩人」です。
どんな「詩」を詠んだ人かは知りませんが…

そして「慈恩寺」へ入ります。
「慈恩寺」は648年創建です。
心の中では「ゴダイゴ」の「GANDHARA」「Holy&Bright」「Monkey Magic」「Thank You,Baby」などが、かかりっ放し。

この「大雁塔」は652年創建で、4角7層で高さは64mあります。
もともと「玄奘三蔵」が「インド」から持ち帰った「サンスクリット経典」や「仏像」を保管するために造られたものです。

「玄奘三蔵」の絵です。

「仏教」関連の壁画でしょうか。

「慈恩寺」内の「玄奘三蔵院」です。
「玄奘三蔵」は「インド(天竺)」から持ち帰った「経典」などを、ここ「慈恩寺」で翻訳に取り組んだそうです。

せっかくなので「大雁塔」に登って来ました。(別途料金)
塔の側面にある「大唐三蔵圣教序碑(右)」。

塔からは「西安」の街が一望出来ます。

「慈恩寺」は創建当時に比べると「7分の1」の規模しか無いそうです。
あらら…もう12時になりますよ~
そろそろ「バス」で「ホテル」に荷物を取りに行かないと。
ここ「城壁」の外なんで「バス」で15分くらい掛かります。
結局、今日は「大雁塔」で終わりですね。
帰りは「マック」で「ハンバーガー」を買いたかったけど、「大雁塔」の近くにあったのは「ケンタッキー」…
クソ~っ「青州」ですら食える「ケンタ」なんて要らない 

12:30に「ホテル」に着き、すぐ荷物を持って「西安駅」へ向かいます。

帰りは13:16発です。
行きは「鄭州」までで99元だったのに、もっと遠い「西安」からの料金の方が安い(81元)なんて…

12:50に駅に着いたら、ちょうど「改札」が始まるところでした。
ここ「西安」が始発で「煙台」まで行く「列車」です。
うちの学校には「煙台」出身の生徒も数人いるので、いつか「煙台」に行くことがあるかも。
去年の夏休みの「東北地方の旅(ブログ参照)」では「大連」から船で「煙台」まで行ったんだけど、すぐ「バス」で「青島」まで移動しちゃったからさ。

さぁて、これから約18時間半車内です…。
また席を見つけたら、座席の無い人民が座っています…
中国の「列車」って「全席指定」で、「硬座(一番安い)」が売り切れた後、同じ料金で「無座(立ち)」の切符が販売されてるんだけど、どこから乗ろうが席は早く買えた者勝ちなんでしょうか?
例えば「A」から「Z」まで行く「列車」があって、「A駅」で「A」から「N」までの1号車1番の席の切符を販売したあと、別の人が「N駅」で「N」から「T」までの1号車1番の席の切符を買うことが出来ないのか?
何かシステムがそこまで進んでなさそうですね…。
まぁ、とりあえず俺らの席に座ってやがったオッサン2人をどかして出発でーす。
でも、もう「網棚」は荷物がいっぱい 

途中の停車駅「華山」。
ここはまだ「陝西省」ですが「華山」も「泰山」「嵩山」と並ぶ「五岳」の山なんですよ。

ここは「河南省」の「三門峡」を過ぎた辺り。
「三門峡」には「黄河」にひらかれた「三門峡ダム」があります。
車窓から撮った写真の河は「黄河」では無いだろうけど。

20時ごろ行きから持って来ていた「カップラーメン」と帰りに「西安駅」へ向かう途中で買った「鶏肉バーガー」を食べました。
何で長距離の帰りの「切符」の方が安いか分かりましたよ。
「エアコン」が無いんですよー
車内の扇風機と窓から吹き込む風だけ。
これ、夏には絶対乗りたくないよ。
窓開けてると音がうるさいのもあって、ほとんどM先生と会話出来ず。
また、あまり眠れそうにないな…
5月5日(土)
どうやら短い時間くらいなら、うとうと眠ってたようですが朝になりました。

8時過ぎ「青州市駅」に着きました。

ショボいな~、「青州市駅」。
そして「駅前」から「タクシー」に乗り、8:20くらいに学校に帰りました。
やっぱ窓を開けて乗ってたんで、服が「砂ぼこり」で汚れてました。

M先生、一緒に行ってくれてアリガトウ
彼の「交通費」や「各入場券」など、ほとんど出してあげてても計2600元(4万円以下)くらいという、遠くへ行った割には安上がりな旅行になりました。
もし「飛行機」使ったら、1人分の往復チケットだけで2600元くらいするんじゃないでしょうか?
「腰」や「尻」が痛くなりますが、チープに行くなら「列車」ですね。
さて夏休みはどうしようかな~。
今年の夏休みは去年より長いという噂があります。
ちなみに去年は「10日間」だったので、今年は「2週間」くらいあるのかなぁ?
まだ2ヶ月以上先だろうけど、また候補地を絞って、パートナーを探さなきゃ。
さすがに「飛行機」使う旅行になったら、M先生の分は出せないからな~。

ちょっと中国旅行は旅先での移動時間が読めない部分があったけど、今回は「90%」は満足出来た旅になったと思います。
それでは次回の「旅行レポート」をお楽しみに~ 


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中国・悠久の古都『陝西省・西安』~「長安」編

2007年05月02日 | 中国旅行記
5月2日(水)
今日は「洛陽」から「西安」へ移動します。
これから行く「西安」は「陝西省(せんせいしょう)」の省都です。
「西安」と聞いてもピンと来ない方、そこは昔は「長安」といい、紀元前10世紀~紀元後10世紀まで2000年間、「秦」「漢」「隋」「唐」など中国歴代王朝の「都」が置かれた所です。
日本史で習った「遣隋使」や「遣唐使」は皆、ここ「西安(長安)」に派遣されていたんですね。
「阿倍仲麻呂」や「空海」も、ここ「西安(長安)」で活躍した日本人です。
そして「西遊記」でお馴染みの「玄奘(三蔵法師)」は「長安」から「天竺(インド)」へ旅立っています。

ここが「洛陽」で泊まった「ホテル」です。
1泊1部屋120元(約1800円)ですが、2連泊したので10元安くなって計230元でした。
でも、チェックアウトするとき料金表を見たら、120元だった部屋が1泊248元になっていました。
2倍ですよ 安いときに泊まれて良かった~。

8時過ぎに出発します。
「ホテル」を出て、左(写真正面)へ行くと、すぐ「洛陽駅」です。
この「ホテル」の並びの商店ですが…夫婦用品を売る店があちこちに。

「ホテル」の向かい側が「長距離バスターミナル」です。
ここから「西安」行きの「バス」に乗ります。
やっぱ満席にしてから出発なので、9時過ぎに「ターミナル」を出ました。
そして、まず「ガソリンスタンド」に寄るんですよ。
「少林寺(中岳廟)」へ行ったときの「バス」もそうでしたが、「長距離バス」はまず給油してからみたい。
日本じゃ客を乗せてから給油なんて考えられないよね。
「西安」へは約6時間の移動です。
「列車」より少し時間が掛かるっぽいです。

15時ごろ「西安」に到着しました
「西安」市内は城壁に囲まれています。

「バスターミナル」で下車後、すぐ「西安駅」へ行き、帰り(4日)の「火車券」を買いに行きます。
「火車券」を買えなかったら帰れないからね。
あと「座席」が無かったら最悪です。
帰りは約18時間ですからね…

長蛇の列でしたが、窓口が多いので30分くらい並んで「火車券」を買うことができました。
ちゃんと「座席」もあります
「西安駅(右)」と市内へ入る城壁(左)です。

次にしなければならないことは今日と明日泊まる「ホテル」を探すこと。
とりあえず市内に入って探してみることに。
駅から歩いて15分くらいの所で2、3軒「ホテル」をあたり、決めました。
1泊180元(約2700円)でしたが「労働節休暇」中だし、200元以下なら予算内だし、知らない土地で探し回るのも疲れるからさ。

「西安」に着いて、帰りの「切符」も買えたし、「ホテル」も探せた。
今日はもう17時近いので、市内を少し探索します。
「路線バス」で城壁内のほぼ中心にある「鐘楼(写真)」へ行ってみます。

写真左のは「鼓楼」です。
「鐘楼」や「鼓楼」がある、この辺りは市内の中心で賑やかです。
写真(右下)には「スターバックス」もあります。
…って「青州」に住んでいると外の土地で「スタバ」や「マック」を見るだけで喜んでしまいます…

とりあえず「鐘楼」だけ入場券を買って、入ることにしました。
「鐘楼」は東・西・南・北のメインストリートの中心に位置するので、繁華街が一望できます。
ここでポツポツと「雨」が。

「西安」市内は「バス路線」が多く、観光地でもあるから「タクシー」も多い。
「鐘楼」の周りは円のようになってるけど、四方向から車が入ってくるからね…渋滞になってます。

18時ごろ「鐘楼」を出て「鼓楼」方面に行ってみます。
「雨」はちょっと降っただけで、すぐ止みました。
「お土産屋」が集まっている露店を発見。

その近くの「屋台街」へ。

「羊肉串」などの露店がたくさん
写真(右)は「賈三権湯包子」という「西安風包子」が食べられる有名な店(地球の歩き方にも紹介されてる)ですが、凄い行列だったので買いませんでした。

その後、細い路地に土産物街を発見。
いろんなモノが売っていました。(ニセOMEGA、ニセROLEXとかも)
「欧米」の観光客もけっこういるので、「香港」の「夜市街」みたいな雰囲気があって楽しめました。

さぁもう19:30。
今日こそ「日本食」を食うぞ
「鼓楼」前のショッピング・センターに日本料理の文字が。
ちなみに下の階には昨日「洛陽」で食べた「韓国料理店・土大力」がありました。
この「土大力」はチェーン店なんですね。
「韓国」には、あるんですか?(AYAさんへ)。

やった~日本食
普通の日本人観光客なら本場の「中華料理」を食べるんでしょうけど、俺は「日本食」に飢えた「青州」在住の日本人だからね。

2月に日本で食べて以来の「寿司」です。
「刺身」はちょっと高いし、M先生が食べられないので注文せず。
「西安」は内陸だから、「刺身」が高いのも仕方ないね。

「ビール」は「北京」産の「朝日啤酒」だから12元(約180円)と、それほど高くなく、味も変わらなかったです。
やっぱ日本の「ビール」は美味しいです 
そして「鶏のから揚げ」や「コロッケ」を食べました…感動
しかも朝から、ほとんど何も食ってないしさ。
明日他の日本料理店を見つけられなかったら、またここに来よう。

20:30ごろ店を出ました。
「鐘楼(写真)」や「鼓楼」は夜「ライトアップ」されていてキレイですよ。

少し「繁華街」をブラブラしてから、「路線バス」で22時ごろ「ホテル」へ帰りました。
「西安」のイメージって「古都」だから、こんなに街が大きくて、賑やかだと思ってませんでした。
俺は「北京」「上海」には行ったことが無いし、「香港」「台北(台湾)」を別格とすれば、今まで行った中国の大都市の中では「大連」と同じくらい気に入ったかも。

明日は「陝西省」の「世界遺産」に行きますよ。


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中国・悠久の古都『河南省・洛陽』~「龍門石窟」編

2007年05月01日 | 中国旅行記
5月1日(火)
今日は「白馬寺」に行かなくなったのでスケジュール的に余裕があるかも。
て、ことで8:50に「ホテル」を出ました。
「洛陽」には今日も宿泊するので、荷物は部屋に置いて出れるのが楽でいいです。

これが「洛陽駅」です。
俺らの「ホテル」は駅前と言ってもいいくらい近くです。
まず、駅前の「長距離バスターミナル」で明日の「西安」行きのチケットを買います。
81元と「列車」より割高ですが仕方ありませんね。
チケット購入後、駅前から「路線バス」で最初の目的地「龍門石窟」へ向かいます。
ちょっと遠いので、50分くらい乗りましたが「路線バス」なので1.5元ととても安い

この「龍門石窟」は「河南省」では唯一の「世界(文化)遺産」です。

この「龍門」が入口です。

「龍門石窟」は「敦煌・莫高窟」「大同・雲崗石窟」と並ぶ「中国三大石窟」の一つです。
川沿いの約1Kmに40以上の「仏塔」、10万体を超える「石像」あります。

「蓮花洞」です。

「石窟」の造営は5世紀末に始まり、その後400年に渡って続けられたそうです。

盗掘され、顔が無い「仏像」も多いです。

うーん…「仏像」ばかり。

後ほど行きますが、川の向かいに建つ「香山寺」。

今日は「労働節」休暇なので人も多いし、暑い。

「奉先寺」の「廬舎那仏」と「天王像」です。

やっぱ、ここが一番の見所ですね。

その後橋を渡って「東山」へ。

「東山」側からは、「西山」側の全景を把握することが出来ます。

ここも「西山」側で見てきた所。
「東山」側にも「石窟」はありますが、規模は小さいです。

「香山寺」へ。

ここは「白園」といい唐代の詩人「白居易」の墓があります。
でも、この「白居易」を知りません…

「西山石窟」「東山石窟」「香山寺」「白園」を全て見て、14:00に出ます。
また同じ「路線バス」で帰る途中に次の目的地があるんですが、「バス」がなかなか来ません。
30分待ってようやく14:30に「バス」に乗るも、「龍門口(行きに降りた所)」で、「バス」が故障…
すぐ別の「バス」に乗り換えれて良かったけどね。
途中の「関林」で降ります。

15時になっちゃったけど「関林」近くで遅い昼食(牛肉麺)です。

15:30「関林廟」に入ります。

ここ「関林廟」は「三国志」で有名な「関羽」の「首」が埋葬されたと伝えられている廟です。

俺は「三国志」って読んでないから、よく知らないんだけどね…
でも「関羽」の名前くらいは知ってます。
名前も知らないくらいなら、ここには来ていないでしょう。

廟の扉にも、いろいろな画が。

ここ「関林廟」で、この旅で初めて「日本人観光客(ツアー)」と一緒になりました。
昨日の「少林寺」や、さっきの「龍門石窟」にも日本人いただろうけどね。

ここが「関羽」の「首塚」なんだって。
50分ほど見学して「関林」を出ました。
次は「洛陽博物館」に行きたいと思ったけど、「関林」からは「バス」を乗り継がなければならず「タクシー」を使います。

でも「洛陽博物館」に着いたのは17:00だけど、閉館が17:30と言うので入るのは止めました。
まぁ入れても中国語の説明見ても分からないしね。
もう「洛陽」の観光は終わり~。

だから喫茶店でアイスコーヒーを飲んで一休み。
でも1杯28元(約420円)と中国では高級品だね。
「青州」には喫茶店が無いから、甘すぎるアイスコーヒーでも美味しくて堪らない

喫茶店で1時間ほどゆっくりした後、日本食を探しに繁華街へ。
結局近くには無さそうだったので「土大力」という韓国料理店に入りました。
とにかく中華料理以外なら何でもいいや。

「焼肉」や「スープ」が美味しい~
せめて「韓国料理店」でいいから「青州」に欲しい。

1時間くらい食事してから、ブラブラ歩いて「ホテル」へ帰りました。
明日は「洛陽(河南省)」から「西安(陝西省)」へ行きます
では、また明日。


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中国・悠久の古都『河南省・嵩山』~「少林寺」編

2007年04月30日 | 中国旅行記
4月29日(日)
今日は19時にM先生と学校を出発でーす

これが列車の券です。
「青州市」から「鄭州」まで99元(約1500円)ですよ。
距離は約820Kmもあるのに
俺の地元だったら、1500円じゃ「熱海」くらいまでしか行けないぞ。
「青州市駅」では列車が到着する数分前じゃないと、ホームに入れません。
そして…12時間の列車の旅の始まりです。
「飛行機」の12時間て経験あるけどな…。
環境の良くない中国の列車で12時間は初めてです。(帰りは約18時間半だけど)
4月30日(月)

ずっと椅子に座ってると「腰」や「尻」が痛くなります…
よく眠ることも出来ないまま予定通りAM7:50「鄭州駅」に着きました
この「鄭州」は「河南省」の省都です。
今日はあまり余裕が無いので、すぐ「鄭州駅」前の「バスターミナル」へ。

「少林寺」行きの「バス」は8:45に出ました。
中国の「長距離バス」って満席にしないと出発してくれないんです。
ガイドブックで調べたところによると、「鄭州駅」から「少林寺」まで約3時間掛かるらしい。

で、10:30に最初に着いた所は…「中岳廟」。
「少林寺」へ行く「バス」は「観光周遊バス」のようになってるみたいだ…。
ここは時間に余裕があったら行こうと思ってた場所なのに最初に来ちゃうんだもんな…。

写真の「中天閣」は「北京」の「天安門」に似ています。

敷地内の「四大鉄人」の像。

「峻極殿」も「故宮」の造りに似ています。
ここで約1時間見学させられ、11:50に「バス」が出ました。
いよいよ次は「少林寺」かぁと思いきや…。

「嵩陽書院」でした…。

ここも484年創建と古く、ガイドブックにも載っていましたが、行くつもりの場所ではありませんでした。
だから入場せず外で待っていました。

従業員は「伝統衣装」を着ていますが、客が来ないと新聞を読んでました。
ここには12時ごろ着きましたが、それほど時間を掛けずに皆戻って来るだろうと思ってたら、やっぱ1時間ほどの見学だったようです。

そして13:40、ここ「少林寺」?
やっぱり違います…って、もういい加減にしろ
俺らは「少林寺」へ行きたいのっ 
ここは何分見学するんだよ…行く先々では、当たり前だけど入場料が別途掛かるんですよ。
しかもガイド?が斡旋する「少林寺」の入場券なんて本来「100元」なのに「130元」だからね。
特に行きたくもない所に連れて行かれて、入らなきゃ入場券は買わないでいいけど、時間が無駄になる。
しかも帰りは「鄭州」では無く、「洛陽」に帰りたいんでガイド?に相談します。
そしたら、この場所にいた別の「バス」が、この後すぐ「少林寺」へ行き、「洛陽」に帰ると言います。
だから、そっちへ乗り換えました~。

14時に、ようやく「少林寺」に着きました
…って、ここ広い。

有料ですが「電動カート」を使いました。
外国人観光客と一緒に乗りました。
俺らのここ「少林寺」での見学時間は16:30まで。

まずは「塔林」から。
ここは「少林寺」の歴代僧侶の墓地です。
右の写真は一番古いモノだそうです…うん、確かに…。

何で「ラクダ」?

そして、ここが「少林寺」です
子供の頃「リー・リンチェイ(今はジェット・リー)」の映画『少林寺』観てましたからね~。

中もやっぱ広い。

この「少林寺」は495年に創建され、527年インドの僧「不提達磨(だるま)」は、ここで禅宗を開きました。

728年に建てられた石碑。
「唐」の太祖「李世民」の自筆もあるようです。
「少林寺」の僧徒は「少林拳」により「李世民」の天下統一を助け、「少林寺」を天下に知らしめました。

これは「文珠殿」にある「達磨」の9年間の修行により影が付いたとされる「面壁影石」。
その修行が行われた「達磨洞」が4.5Km先にあるらしいんだけど、山道を歩いたら往復3時間以上掛かっちゃうよ…

これは「千仏殿」内の「武僧脚坑」。
修行により、へこんだと言われる「48の窪み」が地にあります。
でも、この寺の中に武闘派っぽい僧侶は、いません
映画で武闘派の寺というイメージが強すぎるのかな?

武術を見たければ、「少林寺武術館演武庁」へ行きましょう。
でも…16時に行ったら「演武」は16:30からだって。
最初に時間を確認してから回るんだったけど、「カート」乗っちゃったからな~

別の場所で演武の準備をする子らを発見。

武術の授業でしょうか?

昔は本当に僧侶が「少林拳」を使ってたんでしょうが、今は「武術学校」と「少林寺」は同じ敷地内にあっても別モノなんでしょうね。
さて16:30に「バス」に帰ったのに、全員揃ったのが17:10。
日本人らしさを出して損した。
これなら、16:30からの演武をちょっと見てからでも良かった。

1時間半くらいで「洛陽」に着いて「ホテル探し」か…と思ってたら、18時に「牡丹園」へ。
…って、この「バス」もかよ。
「牡丹」は「中国の国花」らしいけど興味無いから入らず。
あーぁ、ここはどこ?
市内に近いなら、「タクシー」でも拾って、早く「ホテル」探しに行きたいんだけど。

「牡丹園」の前の寺。
M先生が近くの人に聞いてくれたら「白馬寺」だって~

ここって明日時間があったら来ようと思ってた寺ですが、けっこう郊外なんだよね。
68年創建で「仏教」が中国に伝わったあと初めて建てられた仏教寺院ですが、外から写真撮れたから、明日はもういいや…。
そして18:50「牡丹園」を出発しました。

19:20ごろ「バスセンター」近くの「ホテル」をガイドが紹介してくれました。
1泊120元と高くないし。
20時に近くの料理店で夕飯。
本当は大都市で中華料理は食べたくないんだけど、日本料理店を探す気力がもう残ってなくて。
「麻婆豆腐」と「回鍋肉」と地元「河南省のビール」ですが…。
どれもあまり美味しくない
さすが「河南省」です。(2006年10月の旅行記参照
食事後は「洛陽駅」へ行き、2日の「西安」行きの列車の券を買いに行くも、電光掲示板で「売り切れ」を確認。
明日「バス」の「西安」行きを買いに行きます。
今日は疲れたので、21:15ごろ「ホテル」に帰りました。

今日は「少林寺」の演武が見れなかったのが、ちょっと残念でした。
この「少林寺」は「嵩山」にあり、12月に登った「泰山(ブログ参照)」と共に「五岳」の中の山です。
明日は世界遺産の「龍門石窟」に行きまーす。


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春の遠足

2007年04月13日 | 中国旅行記
4月13日(金)
今日はAM5:30に起床しました。
雨は降っておらず、無事に授業がツブれ…じゃなくて、遠足に行けることになりました。
俺は今週授業をしてたクラスから誘われたから、そこに付いて行くことにしたんだけど、微妙な選択だったんだよね…。
今あるクラスの中では後半に属し(入学順でクラス別けされてるから後ろに行けばそれだけ学習歴が短い)、まだ会話力に難がある生徒ばかりだし、それほど積極的に話してくるワケでも無いだけに…
でも今週、他のクラスの生徒からも誘われたけど、そこは他の日本人教師が付いて行くし、行き先も行ったことがあったんでね。
どうせなら、俺がまだ行ったことが無い場所で、他の日本人教師と出来ればカブらない方がいいと思い、そのクラスと一緒に行くことにしました。
行き先は「濰坊」の遊園地で、今回遠足に行く全8クラスの中では一番遠出でバスを手配して行ってきました。
生徒18人(男子11人・女子7人)と担任の中国人女性教師2人と俺の計21名です。

「濰坊」は俺らもたまに買い出しで行くことがある街で、AM7時ごろ学校を出発して、1時間15分ほどで目的地の「金宝楽園」に到着~

まぁ…中は遊園地と言うか…日本で例えるなら地方の町のショボいアスレチックにちょっとした乗り物もある…って感じかな
入ってすぐにあったモノが「シーソー」や「ハンモック」だしね。
まぁそれでも生徒たちはとても楽しそうでしたよ。
いつも休みは土曜の夕方から日曜の夕方までだし、クラスの皆で出掛けることは無いでしょうから。

案内には軍事基地と書いてありました。
「戦車」や「戦闘機」が数機ありますが…「何が軍事基地やねん」と思い切りツッコミたくなります。

定番の「お化け屋敷」です。
入りましたが、中がやたら真っ暗で、人を脅かすための人形らしきモノが動いてるんだけど、カメラのフラッシュとかで確認しないと何が動いてるのか全く分かりません…

そして「メリー・ゴーランド」っぽい乗り物と「観覧車」っぽい乗り物。

日本の遊園地のような絶叫マシンなんてありません。
しかし…乗り物のデザインもショボい。
唯一大人向けのモノがあったなら…「海賊船」くらいかな(あの左右に揺れるヤツね)。
他には「ゴーカート」とか、2人乗りの「トロッコ」みたいなのに乗って、ちょっと最後に高いとこから落ちる…みたいな感じのモノくらいです。

その後は初めて「乗馬」をしました
…と言っても「ポニー」っぽかったけど。
コースを1周しただけなんだけど、オシリが痛くなりました。

「動物園」もあるんだぞー

「クマ」と「火鶏」。

この「ライオン」と「トラ」、檻が隣同士で手を出せる隙間があるんだけど…ケンカしないのだろうか

まぁ動物と言っても、そんなに種類いないしさ~。
その後はアスレチック・エリアに行き、生徒たちがくれるお菓子を昼飯にします。

ここは児童向けの遊び場なんだけど、「ちびまる子」らしき絵が。
じゃあ、その横のは「一休さん」か 
その脇には「ドラえもん」の絵が描いてあったし、中国でも「一休さん」は知られてるからね…。
それと、またゴミ箱のパンダです。
このパンダ、体がやたら黒い

最後は旧式な庭園みたいなとこから「金泉寺」へ。
なんか…ウソっぽい金の仏像がありました。

まぁ、こんなとこでも約7時間滞在して、またバスで学校へ帰りました。
今日も街中は何の樹か分からないけど、綿のような種子が舞ってて、鼻で吸いそうになるんですよ…
中国で初の遊園地体験でしたが、俺が「探偵ナイトスクープ」の「桂小枝」だったら、このショボいパラダイスに思い切りツッコミ入れてるだろうな…
でも生徒たちは楽しそうにしてたし、俺もこんな遊園地に行くチャンスも無い(俺ら日本人だけじゃ絶対に行かない)だろうからね。
授業も1日ツブれたし、良かった良かった 


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中国・山東省『世界遺産』の旅~曲阜・三孔編

2007年01月02日 | 中国旅行記
1月2日(火)
1月1日の16時に「泰山駅」から「バス」で「曲阜」へ行きました。
この「曲阜」は「儒教」の創始者「孔子」の故郷です。
「曲阜」は1人で巡ります。
「曲阜」に着いたのは17:30ごろ。
「バスターミナル」を出ると「ホテル」などの「呼び込み」が群がってきます。
「泰安」を出る前に、T君に電話してもらい、「バスターミナル」近くの「ホテル」を予約しておいたので「呼び込み」をシカトして「ホテル」を探します。
「地球の歩き方」に掲載されていた「ホテル」で、派手なネオンが付いていたので、すぐ分かりました。
部屋は広かったけど、シャワーの湯が出ない、掛布団は1枚しかない、エアコンで部屋全体が暖まらない…と最悪 
エアコンやベッドの上の灯りを付けたまま(その灯りでも多少暖かいから)寝たのに、夜中目が覚めた時には電気が止まっていました…クソっ 

2日は朝7時に起床し、8時に出発します。
この「曲阜」で目指す場所は3ヶ所です。
まずは『孔廟』から。

「曲阜」は春秋戦国時代、「魯国」の都だった所で約800年間栄えました。
これらの城壁は「明」代のものだそうです。

「ホテル」から歩いて10分もしないで『孔廟』の入口に着きます。

『孔廟』『孔府』『孔林』の『三孔』で「世界文化遺産」なんです。
この『三孔』全てに入場できる券を買い、『孔廟』から入ります。
『孔廟』は「魯国」の「哀公」が「孔子」が亡くなった翌年(紀元前478年)に「孔子」を祀るために建てたものです。

入口の「金声玉振坊」で「明」代に建造されたもの。

第一の門の「櫺星門」で、1415年の創建。
「櫺星門」の3文字は「乾隆帝」の直筆だそうです。

第二の門の「聖時門」で「明」代の建築物。
ここで入場券を見せます。

「壁水橋」を渡って、見えるのが第三の門の「弘道門」で1377年の創建。

第四の門は「大中門」で、「金」代にはこれが第一の門でした。

第五の門は「同文門」。

第六の門の「奎文閣」は1018年の創建で、中国でも有名な「古代木造建築」です。

これは「十三碑亭」といい、石碑がこのような13の「碑亭」に分けて納められています。

第七の門の「大成門」です。
この門は「孔子」を祀る式典のときにのみ開けられ、「皇帝」だけが中に入ることができました。

これは「杏壇」といい、「孔子」が弟子に学問を教えた所。

そして、本殿の「大成殿」です。
1018年の創建で、1724年の改築の際、「清」の朝廷は「皇帝」の御殿にのみ施される「皇宮建築様式」をこの「大成殿」に取り入れることを特別に許可しています。
これが「北京故宮の太和殿」、30日に見た「泰山岱廟の天貺殿」と並び、『中国古代三大宮殿』と称されているのです 
中には「孔子像」があります。

この「孔宅故井」は「孔子」の家で使っていた井戸です。

およそ1時間ほど『孔廟』内を見て、今度は隣の『孔府』へ行きます。
『孔府』は「孔子」の子孫が代々住んだ邸宅です。
ここが入口の「大門」。

これは「重光門」といい、左右に壁が無い珍しい門です。

『孔府』はざっとしか紹介しません。
これは「内宅門」といい、壁に描かれた怪獣は当時の「衍聖公」が子孫を不道徳な行為に走らせないために描かせたもの。
『孔府』は40分ほど見学して出ました。

出ると、こんな「馬車」で移動ができますが、いくらかな?

これは「鼓楼門」、そして「鼓楼北街」を歩きます。

「鼓楼門」から500mくらい歩くと「北門(右)」と、「孔子」の弟子の「顔回」を祀った「顔廟(左)」があります。

「北門」から更に500mくらい歩くと「万古長春坊」(1594年創建)があります。

また更に500mほど歩くと『孔林』の入口です。

左右に「土産物屋」がある道を進むと「入場券」を見せる門があります。
「土産物屋」はちょっと覗きゃ買うまで帰してくれないし、この後の墓地内でもレンタルサイクルの「呼び込み」がしつこい
この『孔林』は「孔子」をはじめとする「孔家」歴代の墓所であり、世界で最も長く続いている一族墓地です。

「孔子の墓」です。
他の一族の人のことは全然知りませんが『孔林』内を歩いて1周してしまい、1時間近く費やしてしまいました。
一体、いくつの墓石があったやら…

帰りは「タクシー」で中心まで戻ります。
繁華街の「五馬祠街」です。

いい景色ですね~。
「孔子」の誕生日って俺と同じ日(9月28日)らしい。
俺も「聖人」になった気分

13:30ごろ「曲阜バスターミナル」から「済南」行きの「バス」に乗ります。
14:00ごろ出発しましたが、少し走った所で30分くらい「客待ち」をして満員にして改めて出ます。
いつになったら出てくれるのか分からないんでキレそうでしたよ。
そして16:30ごろ「済南バスターミナル」に着きました。
そこは家の近所の「バスターミナル」とは違うので、そこからは「タクシー」で帰りますが、この「バスターミナル」には「ケンタ」があるんです。
昨日の夕飯は「カップラーメン」だし、今日は朝から何も食わずに観光してたので買って帰りました。
部屋に着いたのは17:30ごろだったかな。
やっぱ体中「筋肉痛」ですわ…

でも、とても満足できた旅でした
次はどこを旅しようかな~。


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中国・山東省『世界遺産』の旅~泰山・御来光編

2007年01月01日 | 中国旅行記
1月1日(月)
さてさて天気はどうなるか分かりませんが、とりあえず5時に起床しました。
とにかく寒い、寒すぎる
6:00に「賓館」を出て、すぐ裏手が「拱北石」という「御来光スポット」の1つなので、そこに行きます。
「つま先」や「指先」が凍るように寒い
下の方には「雲」があるようだけど、上空には「星」が見えます。
これは、もしかしたら…
人もたくさん集まってきました。

7:00ごろ、だんだん空が明るくなってきました

7:24です。そろそろでしょうか…?

7:28です。半分くらい見えてきました

そして7:30。ついに「御来光」を見ることが出来ました 
「年男」の今年、この中国で最も由緒ある「泰山」から「初日の出」が見られるなんて感激です 

これは7:40くらいの写真です。
「樹氷」と「雲海」から昇った太陽…。
「泰山」でも、しょっちゅう「雪」が降るわけでは無いようです。
だから、こんな美しい景色を見られるのも珍しいって。

写真左が「拱北石」です。
右の石はその近くにありますが、字の如く、まさに下は雲の海です。

「拱北石」と「御来光」。
「御来光」にいっぱい「願い事」をし、「拱北石」をあとにします。

8時に「賓館」に戻って朝食をとり、8:30出発です。

この「泰山」には、「孔子」や「杜甫」も登ってるんだって。

この「泰山」の碑です。
「泰山」は中国の五岳(泰山・華山・衡山・嵩山・恒山)の中で最も尊いとされています。
「五岳の雄」「天下第一の山」などと言われているんです

山頂の「玉皇頂」にある「無字碑(中央)」です。
この碑は表面に何も書かれていません。
今から2100年前「漢」の「武帝」の時代に建てられました。
「ここからの眺めのすばらしさを、いかなる言葉をもってしても表現しきれなかったため」らしいです。

「玉皇頂」にある「玉皇殿」には、「玉皇大帝」が祀られています。
「泰山」では複数の神が信仰されていますが、最も位が高い神が「玉皇大帝」で、「泰山」の女神である「碧霞元君」はその娘にあたるそうです。
ここが1545m「泰山」の山頂です
写真の石碑の周囲は「雪」が積もってしまっていますが、全て「南京錠」なんです。
ここに昨日買った「南京錠」を掛けます。

「無字碑」の意味がよく分かる景色ですね。

「樹氷」が「珊瑚礁」のようで、建物はまるで「竜宮城」ですね。

これは「膽魯台」からの景色。
ここは「魯国」の国境だった場所です。
ここから「南京錠」の「鍵」を投げます。

その付近の景色をどうぞ。

これは「仙人橋」という「奇石」。
3つの巨石が橋のように重なっているので、この名があります。

本当に「雲海」が水平線のように見えます。

これは「唐摩崖」といい、この中に「紀泰山銘之碑」があります。
この碑は726年「玄宗皇帝」が「封禅の儀式」を行ったときに彫られたもので、縦13.3m、横5.3mの壁面に996文字が刻まれています。
「玄宗皇帝」は「楊貴妃」とのラブロマンスでも有名ですね。
「阿倍仲麻呂」は日本から「遣唐使」として「唐」に赴き、唐の役人になりましたが、「玄宗皇帝」に気に入られ、帰国願いも聞き入れられなかったといいます。

これは「孔子廟」で中には「孔子」が祀られています。

山頂の観光も終わり、「天街」に戻ります。

「泰山」は「世界文化及び自然遺産」です。

振り返り山頂を。

この「天街」の門も昨日の写真と見比べてみてください。
まさか今日がこんなに晴れるなんて…昨日の「雪」の中の登山は大変だったけど、その「雪景色」が今日の「青空」にいい感じに映っていますよね。

今日は「南天門」から「ロープウェイ」で「中天門」まで下ります。
所要時間は約8分。
途中で「雲」を突き抜けると下界は曇り。
「快晴」だったのは「天上界」だけだったのね~。

「中天門」から下まで「バス」も出ているんだけど、雪道のため「運休」だって…
…と言う事は恐怖の氷道下山ですよ~
何度滑って転びそうになったことか…
だから「中天門」から1時間半も掛けての「下山」になっちゃいましたよ。

1時半ごろ、ようやく昼食(火鍋)です。
昨日の夜や今日の朝も大したもの食べてなかったからね。

「バス」で15:30ごろ「泰山駅」へ。
意外に「泰安市」って開けてたのね、「泰山駅」も立派だし…

駅の端に「曲阜」行きの「バス乗り場」があり、ここでT君、K君とはお別れです。
せっかくの休みを3日間も付き合ってもらっちゃって、本当にどうもありがとう。
「バス」は16時に出て、次の目的地である「曲阜」に向かいます。
本当に今日は「初日の出」とすばらしい景色を見ることができました。
この1年「泰山」で祈った願いが叶うと嬉しいけど、現実に戻ってしまえば「運命」を切り開くのは自分自身だし、結局「年末」には今年も1年大きな病気もせず健康で良かったな…で終わってしまうかも知れない。
でも、何か今年は違う1年になりそうな気がしますよ…って思っておこ。

「曲阜」に着いてからのレポートは明日まとめてします。
(←中国では「猪(ブタ)年」です)


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中国・山東省『世界遺産』の旅~泰山・登山編

2006年12月31日 | 中国旅行記
12月31日(日)
今日はいよいよ「泰山」登山の日です
山東省の学校に仕事が決まった時から、中国にいる間に必ず行ってみたいと思っていた山です。
広大な中国に山は数知れずありますが、この「泰山」は「中国一有名な聖山」として知られています。
「済南」に異動して2ヶ月、全然面白いことも無かったけど、この旅では「済南」に住んでいる「地の利」を初めて活かせましたね…。
「青州」からだと一度「済南」まで出なければならず、それだけで4時間近く費やします。

9:00出発のため7:30ごろ起床します。
昨日「先生は朝いつも何を食べますか?」と聞かれたので、「パンを食べますよ」と答えてたら、夕食後、おじいさんが大量に「食パン」を買って来てくれて…
最初、おじいさんは散歩にでも行ったのかと思ってたんだけどね。
でも中国人て「食パン」をトーストにするとか、ジャムやチョコを塗るとかあまりしないみたいで…。
でも、おじいさんの「好意」を無駄にできませんから。
それでも昨日の残りの「おかず」なんかと一緒に食べれば、「食パン」そのままでも、けっこう美味しいのね。

おじいさん、おばあさん、どうもありがとう。
俺がもう少し「中国語」が話せれば、いろいろ会話が出来たのに…。
後ろ左がT君、右がK君。
これから3人で「泰山」に登ります

祖父母の家から5分くらいの広場にある「革命烈士紀念碑」。

この「紅門路」を北に進みます。
ちなみに南に進むと、昨日行った「岱廟」に着きます。

祖父母の家からここまで20分くらい。
実質ここから「泰山」登山が始まります
およそ9km、7412段の石段を登ります。
ただいまの時刻9:30。

また「地球の歩き方・中国」に基づいて、写真で紹介していきましょう。
ここは「関帝廟」。

登山路には、このような土産物屋がたくさん。

これは「一天門」。
ガイドブックでは、ここからが「泰山中路」という、山頂までの登山路として紹介されています。

これは「紅門」。

これは「万仙楼」。
ここで入山券を購入します。(オフシーズンなので65元)

その先で「南京錠」を購入しました。
山頂の「廟」で願いを込めて鍵をかけるんだって。
おっちゃんは、「南京錠」の裏に名前を彫ってくれています。

これは「斗母宮」。
登山を始めてから1時間くらい(10:30)経ちましたが、「雪」が降り始めてきました…

これは「総理奉安紀念碑」。

これは「柏洞」。

少しづつ「雪」が積もり始めてきました…

これは「壺天閣」。

これは「歩天橋」。ここで約2時間経過(11:30)。

そして「中天門」に到着~。

これは「玉液泉」。

この「玉液泉」の近くで昼食をとります。
再び13:15ごろ出発

これは「雲歩橋」。

これは「五大夫松」。

これは「朝陽洞」。

これは「対松亭」。

一番左の写真の中央の登山路が「十八盤」。

この辺りの登山路は、かなり険しい

振り返って下を見ると、もう「雲」の上。

こんな綺麗な「樹氷」見るのは初めてかも。

これは「昇仙坊」。

「十八盤」を登り、山頂付近の「南天門」に到着(14:50)
この「南天門」は1264年創建。

ここを登れば「天街」です。

やっと山頂付近の「天街」に着きました(15:00)
登り始めて5時間半…途中昼食をとったので5時間ですね。
この付近には「ホテル」が多いので「呼び込み」がいっぱいいます。
俺らも1人の「呼び込み」の案内で「賓館」へ向かいます。
もうこの辺りは標高1500mくらい。
かなり「雪」が積もってきました。
登山としては10月の職員旅行で登った河南省「云台山」の方がキツかったです。
「泰山」は高い所は険しい石段になりますが、途中までは石段と平地が交互ですから。
その点「云台山」はほとんど険しい石段続きでしたからね。

そして15:40ごろ「賓館」へ。
3人部屋が無く、2人部屋と1人部屋に別れ、計170元のとこを、2人部屋に「ベッド」を1つ入れてもらって、1部屋120元てことに。
しかし…部屋が狭いのは構わないんだけど、「暖房」は大して効かないし、フロアに1つしか無いトイレは流れないし、洗面所も無い 
けど、外は吹雪で視界も悪く、改めて「部屋」を探すのも困難なので、そこにしちゃいました。
うぅ~寒い 
なんでこんな季節に「泰山」に来たかと言うと、同じ省内を旅行するなら、5月か10月か、この1月の短い休日が丁度いいんですよ。
もちろん今「済南」に住んでいることも重なってるし。
長期休みならもっと遠くに行けるからね。
そして、わざわざ「大晦日」に山頂に宿泊してまで留まるのは「初日の出」を、ここ「泰山」から見るためなんです。
元々「泰山」から「日の出」を見るために登る観光客は多いんだけど、やっぱ俺は「日本人」ですからね、「元旦」の「初日の出」以外は何も価値が無いって感じちゃうんだよね~。

「雪」は夜には止みました。
あとは、何とか明日の朝晴れて「初日の出」が見られることを天に祈るのみ。
この天候不安定な山頂で新年の「御来光」が見られるかどうかに俺の来年「年男」の命運を賭けてるんだから~


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中国・山東省『世界遺産』の旅~泰山・岱廟編

2006年12月30日 | 中国旅行記
12月30日(土)
中国に来てから3度目の旅レポートになりますね。
(8月の東北地方、10月の河南省、そして今回です)

今日はいつもより1時間早く7時に起床。

なんか寒いぞ…って「雪」が降ってるじゃん 
今日は8:30に「泰安」に帰る生徒と待ち合わせをしています。

この「長距離バスセンター」は学校や俺の部屋から歩いて10分くらいです。
男子生徒2人と女子生徒1人と計4人で一緒に「泰安」へ行きます。
この3人の生徒は同じクラスで同じ「泰安」から来ている生徒です。
今回の旅では、この男子生徒2人に、いろいろ世話になります。
「バス」は8:50くらいに「出発」しました。
しかし「雪」のため、普段なら1時間以内で着くらしいのですが、少し時間が掛かり10:10ごろ「泰安」に「到着」です。
まず1人の生徒T君と「泰安市」を少し見物します。
「泰安」は「雪」は降っていなかったけど、とても寒いです。

ここは市政府(市役所)前の「泰山広場」です。
市政府の後ろの山が「泰山」です
それから、その広場の地下のスーパーを見物。
特に珍しい物も無かったので、「バス」で「岱廟」へ向かいます。

「岱廟」で下車後、昼食はマックです。
…って「泰安」にマックやケンタがあるとは思いませんでしたよ~。
俺は2ヶ月ぶりかな?マックは。
でも、T君は初めて食べたって~。

食事後、「岱廟」見学です
今日の目的はここ「岱廟」です。
この「岱廟」は「泰山」の神を祀った場所で、戦国時代(紀元前だよ)には「廟」が建っていたそうです。
「秦」の「始皇帝(紀元前200年代)」以後、歴代「皇帝」がここで「封禅の儀式」を行っています。
さて、この「岱廟」に関しましては「地球の歩き方・中国」で紹介されている所を中心にレポートするとしましょう。

まず、これは「遥参坊」といい、1770年建立。

そして「山門」をくぐると…

「泰山」の女神である「碧霞元君」を祀った「遥参亭」(右)があります。

ここを出ると「岱廟坊」(1672年創建)があります。
ここまでは無料で見られます。

「岱廟坊」の前にある「正陽門」で入場券を購入し、「岱廟」の敷地内に入ります。
ここでT君とは別れ(13:10)、15:30にT君と、もう1人の生徒K君と出口で待ち合わせをします。

まず入って右側の「石碑」です。
「宣和重修泰岳廟記碑」といい、「岱廟」で最大の「亀趺碑」です。
1124年創建で、高さ9.25mです(右の写真は裏側)

この付近にも、このような「亀趺碑」や、その他石碑がいろいろあります。
これは壁側にたくさんあった石碑です。

「宣和重修泰岳廟記碑」の奥には「漢柏」という5株の柏の木があります。
これらの柏の木はすべて「漢」の「武帝」が「封禅の儀式」を行ったときに植えられたものと伝えられており、樹齢は…2000年以上という計算になるそうです。

今度は反対の左側の大きな「亀趺碑」です。
これは「大宋東岳天斉仁聖帝碑」で、「泰山」に現存する最も古い「亀趺碑」で、1013年創建(高さ8.2m)です。(右の写真は裏側)

もとの中央路に戻り、進むと「配天門」に着きます。
前にふたつ「銅の獅子」があり、「明の万暦年間」に鋳造されたもの。

「配天門」をくぐると右側に「東御座」があります。
これは1347年創建で、現在は「文物陳列館」になっています。

その中で有名なのは「鎮山三宝」のひとつ「沈香獅子」です。
これは「キャラの木」でできていて、もともと「獅子」の形をしていた木に少し手を加えて作られています。

同じ敷地内にある「秦二世刻石」です。
「秦」の二世「皇帝」である「胡亥」の時代(紀元前209年)の製作。
当時は「222字」刻まれていましたが、現在確認できるものは「9字と半分」のみ。

再び中央路に戻り、進むと「仁安門」(1266年建立)があります。

「仁安門」をくぐるとある「扶桑石」です。

その先にあるのが「天貺殿」です。
高さ22.3m、幅48.7m、奥行き19.8m。
古代の「皇帝」たちが「泰山の神」を祀った場所で、1009年の創建。
この「天貺殿」は「中国古代三大宮殿」と称されています。
大きいんで全体を写真に撮れません。
これ以上、下がると木が真中に入ってしまうんです。

「泰山」の神様です。

「天貺殿」の左右にある「乾隆詩碑」です。
「乾隆帝」作の詩が140首刻まれています。

「天貺殿」の裏の左側にある「鉄塔(1533年)」と、右側にある「銅亭(1613年)」です。

ここが出口の「後宰門」です。
俺は「中国語」が分からないから、じっくり見ることは無いので、かなり余裕がありました。
15:30に出ると、K君、T君、そしてT君のお父さんが来ていました。

T君のお父さんの車で少し近場を案内してもらいます。
「岱廟」から少し行った所にある「岱宗坊」と、その脇の公園内にあった和歌山県から贈られた桜の木です。

続いて「虎山公園」の王母池へ。

ここの広場の名前は忘れました。
そして16:30ごろ、T君の祖父母の家へ行きます。
今日はK君と共に、そこに泊めてもらいます。
中国人の家庭に泊まるのは初めてです。
夕飯もご馳走になってしまいました。
おばあさんが作る料理だったんで、そんなに手は込んでませんでしたが。
その時にはT君のお父さんと入れ替わりでお母さんが来ました。
食事後(19:30)は寒くて、外に出たくは無かったけど、T君が出たがってて(こういうのってあるよね、母親が友達(K君)に自分のことを聞いたりするのがイヤ)、それを察したので近場の「馮玉祥の墓(←誰?)」がある公園?に連れて行ってもらい、21時ごろ戻りました。
そしたら、今度はお母さんと入れ替わりで、またお父さんがやって来ました。
明日の「泰山」登山は俺とK君の2人で登る予定でしたが、お父さんに言われたようで、T君も行くことになりました。
T君だって、行きたくなかったワケじゃなく、遠慮していただけでしょう。
明日は9時出発なので7:30起床します。
そのため11時前には就寝しました。

いよいよ明日は「泰山」です 


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「中国」河南省焦作市・云台山風景名勝区~青天河編

2006年10月03日 | 中国旅行記
10月3日
今日も朝5時起床で、5時半に昨日と同じ食堂へ行きます。
そして、やっぱり昨日の朝食と同じです…

朝食後、「お土産屋」に寄らされてから、9時ごろ「青天河」に到着。
今日は「河」ですか…。
モーターボートに乗って河を下ったのか…上ったのか…?

そして「吊橋」を渡り…。

「リフト」に乗り…。

「山頂」へ。
昨日「山登り」した俺にしたら、大したこと無い景色です。
特に何もせず、また「リフト」で下ります…

この辺りの屋台では、「沢蟹」の串揚げが売られています。

そして「川沿い」を歩きます。

石から水が湧いています。

右の写真の赤い部分が「青天河大仏」というらしいのだが…よく分からん。

戻りは大きめの船で。

「三教聖堂」という寺院を見て旅行行程の終了です。
昼食は3時ごろ、帰り道の食堂で取ります。
そこも、あまり美味しくなかったなぁ…
学校に帰れるのは11時か12時くらいだと思っていたら、運転手が道を間違えたりしています。
そして22時半ごろ寄ったガソリンスタンドの隣の店で全員で「カップラーメン」の夜食です。
これは…かなり時間が掛かるとみた。
やっぱり学校に着いたのはAM3時過ぎでした…
6時過ぎには起きて「青島」に行かなきゃいけないのに…

「旅行ガイド」が言ってたらしいです。
「河南省」の名物は「大自然」と「食事の不味さ」だと…
「河南省」は他にも「洛陽・龍門石窟」や「嵩山・少林寺」、「省都・鄭州」、「歴史の街・開封」があり、世界的にも有名な地があるのに…。
3日間「自然公園」内だけで、ちょっと残念でした。
まぁ、でも俺が旅行を計画するとしたら行かないような所に無料で連れて行ってもらえただけで良しとするか…
それでは…


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「中国」河南省焦作市・云台山風景名勝区~登山編

2006年10月02日 | 中国旅行記
10月2日
予定通りの5時起床です。
まだ外は真っ暗ですよ…
10時過ぎには寝てるとはいえ、起床時間が早いのは気分的にキツイね。
そういうのって睡眠時間が多い少ないの問題じゃないからね。
5時半に「バス」に乗り込み、昨夜夕飯を食べた店へ。
やっぱ朝食も美味くない…まともに食えるのは「油条」くらいだよ。
「饅頭(マントウ)」は中に何も具が入っていなから食べる気がしないし、かと言って「おかず」と一緒に食うにしても美味しい「おかず」が無いんだもん…

7時過ぎ、また「云台山風景名勝区」に入ります。

午前中は「渓流」歩きでしょうか…
「不老泉」っすか…飲んだら「不老」にはならず「腹痛」になる気がするが…

「剣」で裂かれたような「唐王試剣石」と「蝶」の形の「蝴蝶石」です。

山に入ったのが7時半ごろ。
それから約2時間半くらい歩き回ります。
しかし…この日も凄い人ごみです…

大自然…って感じ。

河原にて。

別の入口から上へ登ると「猿」の芸が見られます。

「太極拳」の実演です。
「太極拳」には、いろいろな流派があるようですよ。
正午「バス」に集合でしたが、「済南校」の「弁慶」(日本人教師)に遭遇
「東北地方の旅(7月30日~8月6日・ブログ参照)」以来の再会。
「済南校」の先生たちもここに来ていたようです。


12時半ごろ近くで昼食です。
これ「ロバ」の肉なんだって。
味はまあまあかな。
あ、これが乗ってきた「バス」ね。
中はとても狭い…

13時半「萬善寺」へ…って別に知ってた寺じゃないけど。

中国で見た寺には、入口付近や中に大体このような「神」の像があります。

さぁ、これからが地獄の山登りです…
ただ今の時刻13:45。

石段は4,495段あるらしい…
左の写真で900段くらいの所。
もう登ってる参加者は10人いません…
右の写真は登り始めて1時間後くらい。
まだ半分も登っていませんね…後ろの山の頂上が目線の高さくらいなのに…

だんだん「本当に登るの?」って気になってきてたんだけど、引き返すにも返せなくなってきた。

登り始めて約1時間半後かな。
展望台に到着~

この奥に見える山の頂上に「真武殿」という建物があり、そこまで更に2,500mだとさ。
ここまで来たのは8人のみ。
俺らも数百メートル歩くと停車場があるんで、そこから「バス」で戻る事になったと思ったんだけど…。

「宁封子の墓」…誰?
またもキノコのゴミ箱を発見
そして…やっぱ「茱萸峰(山頂)真武殿」を目指すことに…

ここまで来れば、あと700mくらい

写真左を登りきれば、右の「真武殿」に着きます

登山開始後、3時間20分で「茱萸峰(山頂)」に到着
…って、この急な石段を登ってまず目に入ったのが「白人」ですよ~
どこから来たのか聞いてみたら「オーストラリア」だって~。
こんな「河南省」の山に来る外人がいるんだなぁ。
俺もここでは外人だけどね。

この頂上にいる人のほとんどは近くまで「バス」で来た人たちに違いありません。
俺らみたいに下からずっと登って来た人なんて、少ないと思います
バス停まで下りますが、これがまた危険な山道なんだ。

「王維像」です。
「王維」の生きた時代は、中国の詩の黄金時代である盛唐の時代と重なります。
そして「王維」は詩以外にも「山水画」をよくし、「仏教」、「音楽」などの造脂も深い文化人でした。
「真武殿」は「王維」の山荘だったのかな?
「王維」は同じ時代を生きた「漢詩」の世界の最高峰である「李白」や「杜甫」と比べてしまうと…今回初めて知った名ですね…

この近くから「バス」を乗り継いで、登山しなかった組に合流するまで、山に登り始めてから5時間掛かっています。
皆その時間何してたの?
夕飯はまた昨日と同じ店へ。
しかも出てきた食事も昨日とほとんど変わらず…
でも俺は下山後は空腹だったのに、その後乗った「バス」のルートがあまりにも急カーブが多くて、気分が悪くなり食べれませんでした…
でも昨日と同じ「不味い飯」を食うのもイヤだったから丁度いい理由になったよ。
結局食事は近くの店で「カップラーメン」を買って、賓館に帰ってから食べました。
旅行中に入る店より「カップラーメン」食ってた方が、まだマシ。
多分俺には日本で食べる中華料理しか合わないんだろうな…。
だから3日後の「青島」で大量に食材を買い込むことになるんだけどね。

えぇ~っ、明日も5時起きなの
最終日なのに~


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「中国」河南省焦作市・云台山風景名勝区~渓谷編

2006年10月01日 | 中国旅行記
10月1日
ここ山東省に赴任して来てから、2回目の旅行レポートです
昨日(9月30日)から「国慶節」の休暇が始まりました。
前半(10月1日~3日)は職員旅行で「河南省」へ。
後半(10月4日~6日)は「青島」で高校時代の友人・KITAちゃんと合流して、その後俺が住む町「青州」を案内します。

まず職員旅行の前日、学校の会議室に夕方呼ばれて、旅行前の注意を受けます。
…が、校長が中国語で言ってるのを聞いているだけで、何も分からん…
後で同僚に聞いたら、
①朝3時集合なので3時に起きてはいけません。
②山に登ったりするので、服装や履物に注意しなさい。
…みたいな、「わざわざ集めて伝えるほどの事かよ」って思うほどの内容だったらしい…
この日は寝ずにAM3時まで起きていました…

そして出発でーす。
参加者は総勢28名だったかな。
数人、会計学校の関係者がおり、見ず知らずの人もいました。
「日本人教師」は俺ともう1人(同じ歳の女性教師A先生)が参加しました。
それにしても「バス」が小さく、俺の体じゃ脚が前の席に閊えて窮屈でたまらない
こんな状態で8時間以上乗るのかぁ…眠れるだろうか?

あまりよく眠れないまま「河南省」に入ったようです。
「河南省」もかなりの田舎やな…
朝食は「バス」の中で「パン」が支給されましたが、俺は食わなかったので、やっと昼食を取る食堂に到着…って、もう14時ですよ…。
結局10時間以上掛かっています…
目的地には、いつ着くのだろうか?

そして「不味い昼食」を食べて、15時にやっと目的地である「云台山風景名勝区」に着きました。

周囲は山ばかりの大自然です。
ここは「国家重点風景名勝区」であり「世界地質公園」らしいです。

今日は渓谷歩きがメインみたい。

こんな感じなんですが…歩くのは大渋滞です…

15時半ごろから歩き出し、17時半ごろ「バス」に戻ったので、約2時間の渓谷歩きでした。
そして「バス」で約1時間、ようやく夕飯だぁー
夕飯なら少しは「美味い料理」が食べれるだろう…と期待し、宿泊する「ホテル」で食べると思ったので荷物も降ろそうとしたら、ここは夕飯のみ。
なんか怪しい予感…です。
やっぱり大して美味しくない中華料理を食わされて、そこから「バス」で数分で賓館に着きました。
表記を着く前は「ホテル」でしたが、着いてから「賓館」に替えています。
「ホテル」じゃないから、当然レストランなんて付いてないし、狭くてボロい部屋(2人)です…
ここに2泊するのかよ…しかも明日はAM5時起床だってさ…
行動が伝えられて来ないので「ミステリー・ツアー」に参加してる気分ですよ…。
果たして、明日は何するんだろう?


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