2月3日(日)1/3
今日は「三顧の礼」の舞台となった『古隆中』に行きます
6:00起床し、7:15「ホテル」をチェックアウトしました。
7:20「襄樊站」に着きました。
この駅前から「512路バス」に乗り、終点まで行きます。
7:25「バス」は発車し、8:10終点の「隆中」に着きました。
進行方向を10分ほど歩くと…
8:20『古隆中』の入口(隆中大門)に着きました。 (入場料40元)
隆中大門を入ると、すぐにあるのが「石碑坊」です。
これは「躬耕田」です。
これは「小虹橋」です。
『劉備』『関羽』『張飛』の3人は『諸葛亮』に会うために、3度この橋を渡ってるんですね。
この「三顧路」を上がると…
「三顧堂」があります。
門脇にも「三顧の礼」の石画がありました。
「三顧堂」内の塑像です。
『劉備』に「天下三分之計」を説く『諸葛亮孔明』と、外で待たされてる『張飛』と『関羽』ですね。
この時『諸葛亮』は27歳、『劉備』は47歳…20歳ほど年が下の『諸葛亮』を3度も訪ねて陣営に迎え入れた所です。
それが今も世に残る「三顧の礼」という言葉の語源ですね。
「三顧堂」の右側裏手には「六角井」があります。
『諸葛亮』が青年時代に生活用水として使っていた「井戸」です。
「草廬遺址」の石碑です。
「三顧堂」の裏を更に上がると「草廬亭」があります。
更に上がると「臥龍深処」があります。
中には若き日の『諸葛亮』の塑像がありました。
また石碑と「三顧の礼」の絵がありました。
一番奥の部屋には…
『諸葛亮』と「徐庶」、
「龐統」「司馬徽(水鏡先生)」「石廣元」等の塑像がありました。
また石段を下り、「三顧堂」に戻ると右側には「武侯祠」があります。
「武侯祠」に入ると『諸葛亮』像があります。
中のこの建物の左右には…
右側に並んでいる塑像から紹介します。
手前から「諸葛均」「馬謖」「習珍」、
「向寵」「廖化」「芝」です。
次は左側に並んでいる塑像です。
手前から「費禕」「向朗」「習禎」、
「馬良」「蒋琬」「龐統」です。
次も「武侯祠」内の「三義殿」に入りますが、字数が多くなり過ぎましたので、続きはPart.2にて。
今日は「三顧の礼」の舞台となった『古隆中』に行きます
6:00起床し、7:15「ホテル」をチェックアウトしました。
7:20「襄樊站」に着きました。
この駅前から「512路バス」に乗り、終点まで行きます。
7:25「バス」は発車し、8:10終点の「隆中」に着きました。
進行方向を10分ほど歩くと…
8:20『古隆中』の入口(隆中大門)に着きました。 (入場料40元)
隆中大門を入ると、すぐにあるのが「石碑坊」です。
これは「躬耕田」です。
これは「小虹橋」です。
『劉備』『関羽』『張飛』の3人は『諸葛亮』に会うために、3度この橋を渡ってるんですね。
この「三顧路」を上がると…
「三顧堂」があります。
門脇にも「三顧の礼」の石画がありました。
「三顧堂」内の塑像です。
『劉備』に「天下三分之計」を説く『諸葛亮孔明』と、外で待たされてる『張飛』と『関羽』ですね。
この時『諸葛亮』は27歳、『劉備』は47歳…20歳ほど年が下の『諸葛亮』を3度も訪ねて陣営に迎え入れた所です。
それが今も世に残る「三顧の礼」という言葉の語源ですね。
「三顧堂」の右側裏手には「六角井」があります。
『諸葛亮』が青年時代に生活用水として使っていた「井戸」です。
「草廬遺址」の石碑です。
「三顧堂」の裏を更に上がると「草廬亭」があります。
更に上がると「臥龍深処」があります。
中には若き日の『諸葛亮』の塑像がありました。
また石碑と「三顧の礼」の絵がありました。
一番奥の部屋には…
『諸葛亮』と「徐庶」、
「龐統」「司馬徽(水鏡先生)」「石廣元」等の塑像がありました。
また石段を下り、「三顧堂」に戻ると右側には「武侯祠」があります。
「武侯祠」に入ると『諸葛亮』像があります。
中のこの建物の左右には…
右側に並んでいる塑像から紹介します。
手前から「諸葛均」「馬謖」「習珍」、
「向寵」「廖化」「芝」です。
次は左側に並んでいる塑像です。
手前から「費禕」「向朗」「習禎」、
「馬良」「蒋琬」「龐統」です。
次も「武侯祠」内の「三義殿」に入りますが、字数が多くなり過ぎましたので、続きはPart.2にて。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます