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三国「蜀」終焉の旅②~四川省成都『成都武侯祠』後編、大邑『子龍祠』編

2007年09月28日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
9月28日(金)2/3

続いて『三義廟』を出て『桃園』へ。

『劉備』『関羽』『張飛』の3人が「義兄弟」の契り(桃園結義)を交わした「桃園」です(…って、ここが本当のその地ではないよ)。
3人は「生まれた年月日は違えど、死ぬときは3人同じ日に死のう」と固い「絆」で結ばれます。

中央のが『劉備』の石像ですね。

やっぱり左は『張飛』です。

そして右の赤い石像が『関羽』ですね。

え…「お…お前は誰や」。

次は『孔明苑』へ。

『諸葛亮孔明』になった気分で写真が撮れます。(もち有料

『諸葛亮』開発の「木牛流馬」です。

これも『諸葛亮』開発の「孔明鎖」だって。

『孔明苑』を出て『恵陵(劉備墓)』へ向かいます。
これは『恵陵』へ続く道です。

『恵陵』の入口です。
墓碑には『漢昭烈皇帝之(墓?陵?)←削れてる』と彫られています。

裏側は『漢昭烈之陵』と書かれています。

高さ12m、周囲180mの「墓陵」です。
1周してみたけど、特に何もありませんでした。

これが『漢昭烈陵』の正門かな?

続いて『三国文化陳列室』に入ります。
でも文化的な遺跡には興味が無いので、早々に出ました。
『成都武侯祠』内は大変広く、まだ見ていない所もありましたが、主要な所は大体見れたので「お土産屋」に入り、「三国志グッズ」を物色します。

そして11:15『成都武侯祠』を出ました。

『成都武侯祠』の右側から『錦里』という「三国時代」の街並みを再現した400mほどのストリートに入れます。

「旅館」「レストラン」「土産物屋」など、いろいろあります。

でも今日は(も)そんなにゆっくり出来ないので、『錦里』はちょっとだけ覗いて出ました。
この後、「バス」で1時間ほどの町「大邑」と、更にそこから1時間ほどの町「新津」に行かなきゃならないんでさ。
『成都武侯祠』から少し歩いた所で「タクシー」を拾い、「大邑」行きの「バス」がある「金沙車站」へ向かいます。

11:45「金沙車站」に到着。

11:55「大邑」行きの「バス」は出発し、12:50「大邑客運中心」に到着。
この「大邑県」は「成都」から西へ行った所の町です。
ここから目的地の『静恵山公園』までは、初の「チャリタク」で行きました。

13:05『静恵山公園』に到着。

入園料はありませんでしたが、『子龍祠』は園内の「山頂」付近にあるので、ひたすら登山です。

これは『趙雲』ファンの「有志」が建てた碑のようです。

登山10分ほどで『子龍祠』の入口に着きました~。

ここが『趙雲子龍』を祀っている『子龍祠』です。

ここの『趙雲』の塑像も「ジジイ・バージョン」だ…

右側は若かりし頃の「長坂坡」での『趙雲』ですね。

左側は絵で「長坂坡」での『趙雲』が描かれています。
「阿斗(劉禅)」を『趙雲』に託し、井戸に身を投げる「劉備夫人」まで描かれているとは。
そこまでして救った「劉禅」がアホで「蜀」が滅んだんだから嘆かわしい限り…。

祠の装飾なども見逃しませんよ
『趙雲』が彫刻されています。

『子龍祠』のちょっと奥にある『望羌台』です。
『趙雲』は晩年この地に駐屯し、敵を防ぐために「土城」を築きました。
現在ある台は当然修繕したものですが。
ちなみに『趙雲』は病死後、隣の「錦屏山麓」に埋葬されていました。
しかし「文化大革命」の影響で、墓前にあった『子龍祠』もろとも墓は破壊され、『子龍祠』だけこの『静恵山公園』に再建されたようです。
「まったく何てことしやがるんだ、毛(沢東)のヤロー
13:40『静恵山公園』を出て、また「チャリタク」で13:50「大邑客運中心」に着きました。
次は「大邑」から東南へ1時間ほどの町「新津」へ向かいます。
また字数の都合上、続きは次の更新でレポートしますね。



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