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三国「蜀」終焉の旅②~四川省成都『成都武侯祠』前編

2007年09月28日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
9月28日(金)1/3
それでは“三国「蜀」終焉の旅”と題した今回の旅のレポートの始まりでーす 
まず、ざっと「27日」の「成都」到着までを綴ってから、「28日」の『成都武侯祠』編にいきたいと思います。
9月27日(木)は「仕事」を終えてから、12:20学校を出発しました。
しかし、あいにくの「雨」です…
出発から「傘」を使うハメになるとは…
また、いつも通り近くで「タクシー」を拾って(輪タクは汽車站前まで行かない可能性があるので)行こうとしたら、ある「男子生徒」が車で担任と、もう1人の教師(彼女たちは国慶節休暇は実家に帰るらしい)を「火車站」まで送って行くところで、俺も乗せて行ってもらえました。
12:35「汽車站」に着き、12:40「済南」行きの「バス」は出発しました。
そして15:10「済南汽車站」に着き、「汽車站」の「ケンタッキー」で昼食を買って、15:25「タクシー」に乗りました。
15:45「空港」までの「バス」が出ている「玉泉森信大酒店」に着くも、「空港」行きの「バス」が停まっていない…
あれ… もう、ここからの「バス」は無くなったのか…と思っていたら「空港まで行くのか?」と「オッさん」が話し掛けてきました。
「こっちだ」と言うから「停車場」が変わったのかと思ったら「白タク」で、「バス」なら「20元」で行くのに「40元」と言う。
「高けぇー」と言ったら「30元」になったけど、ここから「空港」に行くには、これしか手段は無いのか…と思ってたら「バス」到着
「バス」が来てしまえば「白タク」使うアホはいないんで、「オッさん」も引き上げです。
「バス」は16:00出発しました。
「バス」内で「ケンタ」を食べ、16:55「空港」に到着~。
「飛行機」は19:00発で、予定通り21:15「成都」に着きました。
21:30「成都」市内まで出る「バス」に乗り、21:50下車するも「ホテル」まで近いのか遠いのかも分からない…
とりあえず「タクシー」を拾って、22:05ネットで予約しておいた「ホテル」に着きました。
夜中は「雷」が鳴ってて、明日の天気が心配でした。

そして今日(28日)は『成都武侯祠』に行きます
天気は「霧雨」がちょっと降ってて「傘」を持って出掛けました。
昨日「チェックイン」の際、フロントで「成都」の市内地図を貰えたので、それを頼りに7:20「ホテル」を出て周辺の「三国史跡」を探しながら、8:00くらいに『成都武侯祠』に着けば…って目論んでいたんだけど…甘かった。
「ホテル」から歩いて『諸葛亮点将台』があったと言う「点将台街」に行くも、もうここは地名しか残っておらず何も無し。
そのまま歩いて『三義廟』があったと言う「提督街」、『丞相府』があったと言う「紅照壁」に行こうとするも道が分からなくなり、偶然『三聖祠』があったと言う「青年路」に着くも、もうそれらは全て地名しか残っていません。
時間も8:15になってしまったので「タクシー」を拾って『成都武侯祠』に向かいました。

8:35『成都武侯祠』に着きました。
まさにここは“「三国志」好き”にとっては「聖地」のような場所です。
「入場券(60元)」を買って「大門(写真)」を入ると…

「二門」が見えます。
「二門」に向かう左右にあるのが…

左側にあるのが「明碑」。

そして右側にあるのが「唐碑」です。
809年に創られ、全名は『蜀丞相諸葛武侯祠堂碑』と言います。
これは「唐」朝の著名な宰相「裴度」が原稿し、有名な書道家の「柳公綽」が筆をとって書き、名匠「魯建」が彫刻した石碑で、その「文章・筆跡・石彫り」の全てが優れていたので『三絶碑』とも呼ばれています。

「二門」をくぐります。

これが『漢昭烈廟』(別名「劉備廟」、「先主廟」)です。

中央にある『劉備(昭烈皇帝)』の塑像です。
1672年に創られたものだって。

右側にあったのが『劉備』の孫「劉」の塑像です。
ここには『劉備』の息子「劉禅」は祀られていません。
「劉禅」は『劉備』の死(223年)後、「蜀」の皇帝を継ぎますが「ダメな二代目」そのもので『諸葛亮』の死(234年)後は、「魏」に降伏(263年)し、「蜀」を滅ぼしました。
その時「劉」は「魏」との決戦を主張するも、父「劉禅」の反対に憤慨し、「先帝(劉備)」と「蜀」のために自害します。
だから「劉禅」は祀られておらず、「劉」が祀られているんですね。
この塑像は1788年に創られたものです。
それから『漢昭烈廟』の左右の個室にあるのが…

左側の個室にあるのが『張飛』の塑像。
…って「化け物」みたいやな。

右側の個室にあるのが『関羽』の塑像。
なんかイメージと違うなぁ…
ほとんどの塑像が1700~1800年代に造られており、保護するためか暗室で「ガラスケース」に入ってるから、うまく写真が撮れないや。

「周倉(右)」と「関興(左)」の塑像。

これは「関平(左)」の塑像。
「二門」から『漢昭烈廟』に向かう右側には「文臣廊」があり、「文臣」14名の塑像があります…って、そんなにあったかな。
いくつか紹介します。

これは「費褘」。

これは「蒋琬」。
「二門」から『漢昭烈廟』に向かう左側には「武将廊」があり、「武将」14名の塑像があります…って、これもそんなにあったかな?
見落としたかな?
またいくつか紹介します。

これは『黄忠』。

これは『姜維』。

これは『馬超』。

そして『趙雲』です…って「ジジイ」になってる。

『漢昭烈廟』を出て『武侯祠』に向かいます。

これが『武侯祠』です。
『武侯』とは『諸葛亮』のことです。
だから、この『成都武侯祠』は『諸葛亮』のためのものなんですね。
『恵陵』という「劉備墓」もあるのにね。

『武侯祠』内の中央に『諸葛亮』の塑像があります。

左側には息子の「諸葛瞻」の塑像があります。

右側には孫の「諸葛尚」の塑像があります。

『武侯祠』を出ると『三義廟』があります。
以前は「提督街」にあったものが、今は『武侯祠』内に移転されています。

中央に『劉備』の塑像。

左に『張飛』の塑像。

右に『関羽』の塑像があります。
3人ともこの『三義廟』の塑像の方がカッコいいよね。
まぁそれだけ『漢昭烈廟』内の塑像より造られた年代が新しいからだけど。

次は『桃園』に行きますが、字数の都合上で続きは“『成都武侯祠』後編”でレポートします。



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