2月6日(金)1/2
今日は7:30出発しました。
今日泊まってた「漫画喫茶」は、昨日「奈良」で泊まった店のチェーン店でね。
貰った割引券が早速役立ちました。
この「漫画喫茶」は新京極通り沿いにあり、昨晩夕飯を食べる店を探して彷徨ってたら『近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地)』の近くだったんです。
まず今日は8時開門の『三十三間堂』からハントするために「五条大橋(写真)」を渡って行きました。
そして8:00『三十三間堂』に着くも…冬の期間中は9時開門でした…
まだ1時間もあるのか…それならと言うことで、この後行こうと思ってた「龍馬の墓参り」を先にすることにしました。
8:20ごろ『霊山護国神社』に着きました。
「龍馬の墓参り」は2006年5月17日以来2度目です。
「幕末史跡めぐり・京都編」については、その前回のレポートで詳しく書いています。
(あくまでも今回は“バガボンド史跡めぐり”がメインなので…)
入場ゲートに¥300を入れて「墓地」に入ります。
まず『吉村寅太郎墓』です。
そして『坂本龍馬・中岡慎太郎墓』です。
これは『円山公園』内にもある『坂本龍馬・中岡慎太郎像』のミニチュア版です。
『坂本龍馬・中岡慎太郎墓』から見える京都の街並みです。
位置関係はこんな感じです。
これは『大村益次郎墓』です。
これは『木戸孝允墓』です。
「旧霊山官修墳墓」には、『明治維新』に尽くした「志士たち1043名の霊」を祀っています。
左から『久坂玄瑞』『来嶋又兵衛』『高杉晋作』墓です。
8:40ごろ『霊山護国神社』を出ました。
これは『霊山護国神社』前にある『霊山歴史館』ですが、前回入ってるんでスルーしました。
別の道から来たんで『維新の道』から出て来ました。
これは『翠紅館跡』です。
これが『霊山護国神社』の「鳥居」ですね。
これは「京都国立博物館」です。
そして9:00『蓮華王院三十三間堂』に着きました。(入場料¥600)
「ここ」は『宮本武蔵』が『吉岡道場』の『吉岡伝七郎』と闘った地です。
『バガボンド』では、故郷を出て(追われ?)「天下無双」を目指し、まず「京」に上った『武蔵』は、大胆にも「京で最強」と謳われる「吉岡道場」に単身乗り込みました。
道場の留守を預かる「植田良平」に言われるまま5人の弟子を打ち破るものの、当主『吉岡清十郎』には相手にもされず、額に真一文字の傷を負います。
それでも試合を申し込む『武蔵』を無視し、色町へと繰り出した『清十郎』を追おうとした『武蔵』でしたが、弟子の敵を取ろうとするその弟『吉岡伝七郎』に引き止められ、命を賭して闘います。
両者「一本」ずつ奪い合い、互いに満身創痍の2人でしたが、道場に忍び込んでいた『又八』の不注意による火事のせいで試合は中断を余儀なくされ、2人は「1年後の再戦」を約束し、『武蔵』は「吉岡」を去りました。
その後『武蔵』は『宝蔵院』『柳生』を経て、1年後「京」に戻って来ました。
『伝七郎』との再戦まで9日となり、今から興奮が抑えられない『武蔵』は矢も盾もたまらず、大晦日の晩に旅籠を飛び出します。
そして「蓮台寺野」で寒さから「焚き火」をしていた『武蔵』の背後には『清十郎』が立っていました。
「不意打ち」をかわされ、仕方なく正々堂々と正面から『武蔵』を斬ることを決めた『清十郎』でしたが「清十郎を斬るためだけの体」となった『武蔵』の一閃の前に『清十郎』は倒されます。
この『武蔵』と『伝七郎』の闘いは、『伝七郎』にとって「兄の仇討ちと道場を守る闘い」になりました。
(当然『武蔵』が勝ち、「一乗寺下り松の決闘」へと続きます)
9:25『三十三間堂』を出て、9:40『清水寺』に着きました。
『清水寺』も初めて来ました。(入場料¥300)
「阿弥陀堂」から見た「本堂」です。
これがいわゆる「清水の舞台」ってやつですね。
10:00すぎ『清水寺』を出ました。
10:10「八坂神社」前を通り…
10:30ごろ「哲学の道」を抜けて…
10:40『銀閣 東山慈照寺』に着きました。(入場料¥500)
「向月台」や「銀沙灘」などの「庭園」と…
「東求堂」は見れたけど…
肝心の『観音殿(銀閣)』は修復工事中でこの有様でした。
なら、せめて半額にしろよ…
思わず近くにいたオバちゃんに「これで¥500はないですよね~」なんてグチってしまいました。
さて、また字数の関係上、続きは“Part.2”にて。
今日は7:30出発しました。
今日泊まってた「漫画喫茶」は、昨日「奈良」で泊まった店のチェーン店でね。
貰った割引券が早速役立ちました。
この「漫画喫茶」は新京極通り沿いにあり、昨晩夕飯を食べる店を探して彷徨ってたら『近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地)』の近くだったんです。
まず今日は8時開門の『三十三間堂』からハントするために「五条大橋(写真)」を渡って行きました。
そして8:00『三十三間堂』に着くも…冬の期間中は9時開門でした…
まだ1時間もあるのか…それならと言うことで、この後行こうと思ってた「龍馬の墓参り」を先にすることにしました。
8:20ごろ『霊山護国神社』に着きました。
「龍馬の墓参り」は2006年5月17日以来2度目です。
「幕末史跡めぐり・京都編」については、その前回のレポートで詳しく書いています。
(あくまでも今回は“バガボンド史跡めぐり”がメインなので…)
入場ゲートに¥300を入れて「墓地」に入ります。
まず『吉村寅太郎墓』です。
そして『坂本龍馬・中岡慎太郎墓』です。
これは『円山公園』内にもある『坂本龍馬・中岡慎太郎像』のミニチュア版です。
『坂本龍馬・中岡慎太郎墓』から見える京都の街並みです。
位置関係はこんな感じです。
これは『大村益次郎墓』です。
これは『木戸孝允墓』です。
「旧霊山官修墳墓」には、『明治維新』に尽くした「志士たち1043名の霊」を祀っています。
左から『久坂玄瑞』『来嶋又兵衛』『高杉晋作』墓です。
8:40ごろ『霊山護国神社』を出ました。
これは『霊山護国神社』前にある『霊山歴史館』ですが、前回入ってるんでスルーしました。
別の道から来たんで『維新の道』から出て来ました。
これは『翠紅館跡』です。
これが『霊山護国神社』の「鳥居」ですね。
これは「京都国立博物館」です。
そして9:00『蓮華王院三十三間堂』に着きました。(入場料¥600)
「ここ」は『宮本武蔵』が『吉岡道場』の『吉岡伝七郎』と闘った地です。
『バガボンド』では、故郷を出て(追われ?)「天下無双」を目指し、まず「京」に上った『武蔵』は、大胆にも「京で最強」と謳われる「吉岡道場」に単身乗り込みました。
道場の留守を預かる「植田良平」に言われるまま5人の弟子を打ち破るものの、当主『吉岡清十郎』には相手にもされず、額に真一文字の傷を負います。
それでも試合を申し込む『武蔵』を無視し、色町へと繰り出した『清十郎』を追おうとした『武蔵』でしたが、弟子の敵を取ろうとするその弟『吉岡伝七郎』に引き止められ、命を賭して闘います。
両者「一本」ずつ奪い合い、互いに満身創痍の2人でしたが、道場に忍び込んでいた『又八』の不注意による火事のせいで試合は中断を余儀なくされ、2人は「1年後の再戦」を約束し、『武蔵』は「吉岡」を去りました。
その後『武蔵』は『宝蔵院』『柳生』を経て、1年後「京」に戻って来ました。
『伝七郎』との再戦まで9日となり、今から興奮が抑えられない『武蔵』は矢も盾もたまらず、大晦日の晩に旅籠を飛び出します。
そして「蓮台寺野」で寒さから「焚き火」をしていた『武蔵』の背後には『清十郎』が立っていました。
「不意打ち」をかわされ、仕方なく正々堂々と正面から『武蔵』を斬ることを決めた『清十郎』でしたが「清十郎を斬るためだけの体」となった『武蔵』の一閃の前に『清十郎』は倒されます。
この『武蔵』と『伝七郎』の闘いは、『伝七郎』にとって「兄の仇討ちと道場を守る闘い」になりました。
(当然『武蔵』が勝ち、「一乗寺下り松の決闘」へと続きます)
9:25『三十三間堂』を出て、9:40『清水寺』に着きました。
『清水寺』も初めて来ました。(入場料¥300)
「阿弥陀堂」から見た「本堂」です。
これがいわゆる「清水の舞台」ってやつですね。
10:00すぎ『清水寺』を出ました。
10:10「八坂神社」前を通り…
10:30ごろ「哲学の道」を抜けて…
10:40『銀閣 東山慈照寺』に着きました。(入場料¥500)
「向月台」や「銀沙灘」などの「庭園」と…
「東求堂」は見れたけど…
肝心の『観音殿(銀閣)』は修復工事中でこの有様でした。
なら、せめて半額にしろよ…
思わず近くにいたオバちゃんに「これで¥500はないですよね~」なんてグチってしまいました。
さて、また字数の関係上、続きは“Part.2”にて。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます