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三国史跡ハント・ファイナル~⑦湖北省ナンショウ『水鏡庄』『徐庶故里』編

2008年02月03日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月3日(日)3/3
14:10「南漳」行きの「バス」は発車しました。
「南漳」での目的地は2ヶ所です。
1つは『徐庶故里』、もう1つは『水鏡庄』です。
調査によれば、どっちも「汽車站」から遠くは無さそうです。

15:10「南漳汽車站」に着きました。
まず「輪タク」を拾って、15:20『水鏡庄』入口で降りました。

門までは、このように「吊橋」を渡るんですよ

「吊橋」からの景色です。

山の上まで「廟」があるみたい…

15:20『水鏡庄』に入りました。 (入場料30元)
「司馬徽(?-208?)」は「潁川郡(現在の河南省東南部)」の人。
「荊州」に移り住み、「龐徳公」を兄として仕えました。
「水鏡」の号は「龐徳公」が名付けたものです。
なお『諸葛亮』を「臥龍」、「龐統」を「鳳雛」と呼んだのも「龐徳公」であるといいます。
「司馬徽」は「龐統」の才能を見出し、「徐庶」や「向朗」などを門下生としました。
『劉備』に「臥龍・鳳雛は諸葛亮と龐統のことだ」と教えたといわれています。
「荊州」を支配していた「劉表」には仕えず、「隠士」として暮らしていましたが、「劉表」死後、息子「劉」が『曹操』に降伏すると、『曹操』に召し出されました。
『曹操』は大いに用いようとしましたが、間もなく死去してしまいました。(享年35歳?)

「漢水鏡棲隠処」の石碑です。

「荐賢堂」に入ります。

中には「司馬徽(水鏡)」と「龐徳公」かな?
どっちがどっちか分からないけど…

長い「石段」を上がって行きます。

『水鏡庄』に入ると、閉ざされた部屋の中にも「水鏡」像がありました。

「白馬洞」に入ると…

中央に「司馬徽」と「龐徳公」の像かな?(多分左が「龐徳公」かな?)
奥(洞窟)へ続く道は真っ暗でした…

左側には『諸葛亮』、右側には…「徐庶」と「龐統」なんだろうか…?

「白馬」像ですが…何か意味があるのかな?

この『水鏡庄』も広いんですが、全て見る必要は無いんで下りました。
次は『水鏡庄』入口から左側にある「草廬」に入ります。

「草廬」内の「司馬徽」像です。

これは「石槽」です…って何に使ったモノなんだろ?

「草廬」を出て、奥へ行くと「水鏡塚」がありました。

これが「墓陵」です。
15:50『水鏡庄』を出ました。
また「吊橋」を渡った先から「輪タク」を拾って、「汽車站」方向の『徐庶故里』に向かいます。

16:05『徐庶故里』に着きました。
さて、この「徐庶」ですが「単福」を偽名として名乗っていましたが「新野」時代の『劉備』と出会って、その「軍師」として迎えられ、「新野城の攻防戦」では「曹仁」「李典」率いる「魏」軍五千を二千の兵で迎撃し、見事に打ち破ります。
その後報復と称して「曹仁」「李典」が二万五千の兵で南下しますが、「曹仁」の「八門金鎖の陣」を見破り、完膚なきまでに叩き伏せました。
「程」の策による、「徐庶」の母親の筆跡を真似た「偽手紙」を受け取り、止むなく『曹操』に下ることになりますが、去り際に『劉備』に『諸葛亮』を推薦します。
また「曹操のために献策はしない」という誓いを立て、『劉備』の下を去りました。
しかし母親は「徐庶」に「良い主君(劉備)を得たと思っていたのに、主君を捨てるとは何ごとですか」と叱り、自殺してしまいました。(史実では『曹操』の捕虜になっただけなので自殺はしていません)
「赤壁の戦い」にも『曹操』に従軍しましたが、「龐統」が仕掛けた「連環の計」の真意に気づきながらもこれを見逃し、「龐統」の助言により「涼州の馬騰に対する備え」という名目で陣を離れ、被害を免れています。

『徐庶廟』の門には…また「鍵」が掛かってる 
「史跡アタッカーさん(仮)」のレポートでは隣りの「博物館」の管理人が「鍵」を持ってるらしいんですが…。

「博物館」って、これかよ
しかも、ここも閉まってるじゃん…
…て言うか、この「博物館」って営業してるのか?
まるで「廃博物館」だぞ…今日が「日曜」とか関係無さそうだし…

『徐庶廟』は諦めて、歩いて「汽車站」に戻ることにしました。
今後この『徐庶廟』は閉ざされたままになってしまうのだろうか…
この『徐庶故里』へ続く「徐庶路」の門にも「徐庶故里」と書かれてるのに…
16:20「汽車站」に着きましたが、この「南漳」から次の目的地の「当陽」に行く「バス」が無いのか…
…と言うことで、また「襄樊」に戻ることにしました。
16:30「バス」は発車し、17:15「襄城汽車站」に着きました。
17:25、そこから「路線バス」に乗って、17:55「火車站」に着きました。
また「火車站」近くで「パン」や「カップラーメン」を買いました。

18:50、結局昨日と同じ「ホテル」にもう1泊する事になりました。

いつもと変わらない夕飯ですね…
明日は「当陽」へ行くため、前売りで「乗車券」を買っておいたんだけど、どうやら「宜昌」行きに乗って「当陽」で途中下車しなければならないようです…
これって面倒なんだよな~。
それは、また明日のレポートにて…



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