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中国「華中」の旅⑧~南京『石頭城・清涼山公園・鼓楼』編

2007年08月11日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月11日(土)
「三国史跡」の宝石箱だった「鎮江」から、約60Km、「江蘇省」の省都である「南京」に向かいます。(12:25発)

13:50「南京漢中門汽車站」に到着。
「鎮江」の天気はあまり良くなかったけど、「南京」は晴れていました。
地図上で「漢中門汽車站」の位置を確認し、今日これから行くルートを決めます。
「漢中門汽車站」近くに「ホテル」を見付けたけど、明日のルートの事も考えてしまい素通りし、荷物を持ったまま、まず『侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館』まで歩いて行きます。

歩ける距離だろうと踏んでいたんだけど、かなり遠くて14:40『侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館』に到着。
とにかく、この旅行では「路線バス」に乗れないのが痛いです。
まぁ「バス停」を見付けて乗るまではいいんだけど、降りる「バス停名」を知ってても「アナウンス」が聞き取れないと、初めての地だから違う場所で降りてしまう可能性がある…。
『侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館』の入口らしき所を見ると…工事中か 
いや…どうも工事というより取り壊してる感じ。
旅から帰って「ネット」で調べたら拡張工事中で、新装開館は「12月中旬」だってさ…。
せっかく歩いて、ここまで来たのに…

次は『石頭城』を目指すも入口が分からず、彷徨うハメに…
16:00ようやく入口でもある『清涼門』を発見。
サイトで調べていた情報以降、公園内が整備されていたせいか、本当に『清涼門』を探すのには苦労しました。

『清涼門』から遊歩道を進むと『石頭城』に辿り着きます。
「諸葛亮」は「秣陵(南京)」を通過したとき「石頭山」に登り、「秣陵」の地勢を観察したと言われています。
「鐘山はわだかまる龍、石頭は伏せた虎、この地こそ帝王がおるべきところ」と「孫権」に言ったといわれています。
そして作戦本部を「鎮江(当時:京口)」から「秣陵」に移すべきだと進言したといいます。

『石頭城』側の入口にあった石碑。
こっちから出ると、また道が分からなくなりそうなので、『清涼門』から出ました。

「石頭城公園」を出て、16:35『清涼山公園』に到着。
ここは正門なので、東大門まで歩きます。

東大門付近には『駐馬坡』があります。
ここは「諸葛亮が秣陵(南京)の地勢を観察したのはここだ」と伝えられている場所であり、馬をつないで「鐘山は龍がわだかまっているようだし、石頭は虎が伏せているようだ」と評したといわれています。
この公園前の虎踞路という名前もそこからきているようです。

東大門を出ると「武侯駐馬」と描かれた壁があります。

壁には、このような「石刻」があります。
これは「諸葛亮」です。

「孫」しか見えないが、「孫権」だろうか?

これは…?
しかしさぁ、もうちょっと手入れしといてよ…
みんな埋もれてきちゃってるじゃん。

次は『烏龍潭公園』だ。
『石頭城』『清涼山公園』『烏龍潭公園』はけっこう近いんだけど、またも入口が分からず…。
17:00、入口っぽい所を見付けるも、中は工事中のよう。
その後17:10正式な入口(写真)を発見するも、やっぱ「工事中」で入れませんでした。

この園内には『諸葛飲馬処』があります。
「諸葛亮」が馬に水を飲ませた場所と言い伝えられており、「諸葛亮」が「帝王の地」と言った話の一場面がここでもあります。

今日は最後に「鼓楼」へ行き、その途中で手ごろな「ホテル」を探そうと、またひたすら歩きました。
手ごろな「ホテル」は見付けられず、「鼓楼」に着いたのも18:25。
「鼓楼」は外見を見ただけです。
そのために「70分」も歩いてしまったのか…
仕方なく「漢中門汽車站」に着いたとき、チェックしておいた「ホテル」に行ってみようと思い、「タクシー」を拾います。
この「運チャン」に「漢中門汽車站まで」と言うと、「どこに行くんだ?」と。
「漢中門汽車站の近くのホテルに行く」「まだ予約して無い」などと答えていると、「俺が知ってるホテルを紹介するよ」と言われ、18:45に連れて行かれたけど「予算」が合わない。
でも「漢中門汽車站」の近くって事で紹介してもらったんで、チェック済みの「ホテル」は近いはず…って、ここどこ?
くそぉ、あの「バカタク」め、あれほど「漢中門汽車站の近くで」と言っておいたのに。
仕方なく、また「タクシー」を拾い、今度はちゃんと「漢中門汽車站」まで行きました。
19:00「ホテル」に着いて、近くの「ケンタ」で夕飯を買い、19:15部屋へ。
結局昼に「南京」に着いたときにチェックしていた「ホテル」に泊まることになり、何のために荷物を持ったまま長時間歩いてしまったのか…
治り掛けていた「足の裏(水ぶくれ)」が更に悪化してしまったよ。
この「南京」での悪夢は明日も続いてしまうんですが…。
それは、また明日の更新にて。



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