7月31日(日)
今日は7:10ごろ食堂に行って朝食を食べました。
ここのホテルの朝食は給食みたいだね。
食後、S君と「火車東站」に行き、S君が「青島」に帰るための切符を買いに行きました。
普通の列車だと「徐州」からでも10時間くらい掛かるんじゃないかねぇ…それじゃ可哀想なんで「動車」までならOKを出してあげました。
でも、「動車」は「火車東站」で乗るんじゃないんで切符も買えず…ホテルに戻って友人に電話して調べてもらったら「動車」の切符も売り切れで、「高鉄」ならあるみたいでした。
「高鉄」でも2等車なら「動車」と金額が変わらないんで、その分のお金を渡し、8:05チェックアウトしました。
S君は「高鉄站」に、俺は「汽車站」に行くんでホテル前で別れました。
今回の企業考察はS君が一緒に行ってくれて本当に助かりました。
でも、俺が取引をしようと思ってる企業は日本語上手な担当者がいるから、今後は俺1人でも十分だわ。
でも、ありがとう…史跡ハントではあまり役に立たなかったけど。
俺は「徐州汽車客運站」を8:15発の「沛県」行きに乗りました。
9:35「沛県汽車站」に着きました。
この「沛県」も2007年8月16日に1度来てるんでね…うろ覚えの記憶を頼りに「汽車站」を出て左方向に歩いて行きました。
10分も歩かないで、この景色が見えたんでね、間違ってなかったです。
まず、9:50「漢城公園」に入りました。(入場料10元)
この「沛県」は「秦」を「項羽」とともに斃し、その後「項羽」との覇権争いに勝利して「漢」を建国した「劉邦」の出身地なのです。
これが「漢城」っていうのかなぁ?
この中には…
この人、もしかして高祖「劉邦」?
右側には武将たち、
左側には文臣たちがいます。
奥にさらに建物があり…
この「長楽宮」には…
「劉邦」の妻「呂雉」の塑像がありました。
「劉邦」の死後は「呂后」として、ここで政務を行っていました。
「中国三大悪女」として唐代の「武則天(則天武后)」、清代の「西太后」と共に名前が挙げられているので、“初代悪女”だね。
これも「呂雉」でしょうか?
ちなみに妹の「呂須」は劉邦の配下の武将「樊噲」に嫁いでいます。
さっきのと反対側の「未央宮」には…
またも女性たちが…
これは「側室」の女性たちっぽいですね。
劉邦の息子「恵帝」や漢代各帝はここで政務を行っていたらしいです。
「劉邦」像があります…って、何かタイトルが付いてると思うんだけどな。
そして、これが正面の「沛宮殿」です。
中の壁画です。
けっこう広いんだけど、そんなに見所は多くないです。
こんな所でモデルの撮影をしてました。
上から「沛宮殿」と「劉邦」像を見たところ。
10:10入口で預かっててもらった荷物を受け取って…
対面の「漢高祖原廟」に入りました。(入場料5元)
これは「楽沛殿」です。
中の「劉邦」像と一族の肖像画でしょうか?
「漢高祖原廟」はすぐ出て…
これは「漢街」入口です。
確かこの「漢街」を抜けた先に「呂布射戟台」があったんだっけか…
10:20「歌風台」に着きました。
入場は無料だったけど、身分証の提示が必要で、俺はパスポートを見せて入りました。
下は博物館でした。
上に上がると「劉邦」像があります。
奥の建物の中の、
左右に2つずつ…
石碑があったんだけど、これが「大風歌碑」?
紀元前202年「劉邦」は群臣の薦めを受けて、ついに皇帝に即位しましたが、「劉邦」は次第に部下や諸侯に猜疑の目を向けるようになりました。
特に「韓信」「彭越」「英布」の3人は領地も広く、百戦錬磨の武将であり、最も危険な存在でした。
「韓信」「彭越」を粛清し、残る「英布」の反乱を鎮めるため遠征したあと、故郷の沛県に立ち寄りました。
史記はそのときの情況を、次のように伝えています。
―故郷の沛に立ち寄り、しばらく滞在したとき、旧知や長老、子弟を招いて盛大な酒宴を開いた。(中略)宴たけなわとなり、高祖は筑(ちく)を打ち鳴らし、自ら詩を作って詠んだ。
大風起こりて雲飛揚す。
威海内に加わりて故郷に帰る。
いずくにか猛士を得て四方を守らしめん。
子供たちの大合唱が始まると、高祖は立ち上がって舞ったが、万感胸に迫り涙がはらはらと流れた―
「劉邦」が詠んだこの歌は大風歌として知られ、この故事を記念したのが「歌風台」です。
上からは「漢城公園」や「漢高祖原廟」がよく見えます。
10:30ごろ「歌風台」を出て、歩いて10:45「沛県汽車站」に戻りました。
次は「山東省済寧市」に出ます。
結局「済寧市」の企業考察は止めたけど、後で行く「河南省」への中継地点として史跡ハントと旧友に会う予定を入れているんです。
…が、「山東省済寧市」に行くバスは13:00発、ならば「曲阜」行きも尋ねてみると、さらに遅い14:00発だって…
2時間以上待ってられない…乗車券売場の販売員に近くの街に出れないか聞いたら、ご丁寧に「沛県→龍固→魚台→済寧」と教えてくれました。
なので、まず「龍固」行きの乗車券を買い、10:55バスは発車しました。
しかし…「龍固」ってどこなんだろう?俺の地図には載ってないし…
11:40「龍固」に着きました。
次は「魚台」行きに乗るんだけど…どれ?
さっき乗ってたバスの運チャンに「あれだ」と教えてもらったバスには「魚台」なんて書いてないから、中にいた車掌の女の子に「魚台に行きたいんだけど…」と確認したら、やっぱ発音が悪いのか、「どこから来たの?」と聞かれました。
「日本」って答えても、まさか日本人がここにいるなんて思わないから通じてないし。
やっと日本から来たってのが分かってもらえ、後から乗って来たリーマン風の男性と3人で会話してました。
だって、その子が「この人、日本人なんだって~」って言うんだもん。
その子、ピアスなんてして、ちょいワルっぽい感じのカワイイ子で、初めて見る日本人なんだか俺に興味津々みたいだったよ。
12:05バスは発車し、12:35「魚台汽車站」に着きました。
それから12:45発のバスに乗り、13:45「済寧汽車総站」に着きました。
俺、携帯持ってないし、途中から友達に電話することも出来ず、「汽車站」前の売店の公衆電話から青州時代の同僚の男性教師Kさんに電話しました。
彼が青州の日本語学校に来たのは、けっこう後だったんでウマと俺のような関係は無く、連絡を取り合うようになったのも、ここ最近なんだけどね。
今日は日曜でKさんも休みだったから、すぐ家を出て来てくれるって。
Kさんを待ってる間「汽車站」のトイレに入ったら、入口以外の3方向の溝が使用出来ないのか?このような容器がズラ~っと置かれ、その中に小便するんです。
俺らの小便採取するつもりなんだろうか…?
14:30…Kさんが来てくれて、まだ時間があるんで「泰安市東平県」に一緒に行ってもらうことにしました。
「汽車站」に荷物を預け、14:45発のバスに乗ったんだけど…
16:20の時点でまだ「汶上県」なんだもん…しかも、ここまでで降りた人と金額だか人数だかが合わないみたいで、なかなか発車しないしさ。
「東平県」は隣の県だけど、さらに30分以上掛かるだろうし、史跡も町の中心部にあるワケじゃないからね…着いても日が暮れちゃってる可能性もあるんで、ここで降りちゃいました。
ちょっと腹の調子も悪くなってたんで、トイレに行ってから「済寧」行きの乗車券を買って引き返すことにしました。
行きたかった史跡は「項羽」の墓だったんだけど…なぜ「東平市」にあるのかも謎だし、墓石すらない丘みたいなんでね…断念しました。
これだったら「曲阜市」の「周公廟」に行きゃぁ良かったよ。
17:00「済寧」行きのバスは発車したけど、17:50に着いたのは「済寧汽車北站」でした。
行きに荷物を預けた「南站」に戻るために、路バスに乗りました。
18:10「南站」に戻り、荷物を受け取ったんだけど、18:15までだったんだって…ギリギリじゃん、こりゃ引き返して正解だったわ。
この「南站」で明日8:00発の「河南省安陽市」行きの乗車券を買っておきました。
それから、この近くのホテルにチェックインし、Kさんと夕飯を食べに行きました。
Kさんは、青州の日本語学校退職後、ここ「済寧市」にある寝具メーカーの日本担当として働いてるんだって。
まだ26歳って言ってたかな?でも俺よりオッさんに見えるんでKさんと呼んでます。
いろいろ付近を彷徨ったけどいい店が無く…
屋台はトイレが不便なんでね…
これは「運河」なんだって。
これは「済寧東大寺」です。
19:30デパートに入り、レストラン街の中にある韓国料理店に入りました。
紙を敷いて肉を焼くの?
「海鮮焼きうどん」に
「トッポッキ」…他にも「イカ炒め」や「チヂミ」なども食べ、お腹いっぱいになりました。
そして21:00ごろ、ホテルまでKさんに送ってもらい別れました。
Kさんの会社も日本の某有名メーカーのOEMも作ってるくらいなんでね…安く輸入出来るなら、それも商売にしようかなぁ。
こういう人脈は利用しないとね…それはお互いにプラスになるんだし。
昨日「徐州」で宿泊してたホテルのエアコンが俺のベッドの真正面だったせいで風邪ひいたわ…
そうかと思えば、今日宿泊したホテルは、ベッドのスプリング感がそのまま背中に伝わって来るし、トイレは水が流れない(壊れてる)上に紙が無いという最悪なホテルだったなぁ。
さぁて、明日から「河南省」に入りますよ~
今日は7:10ごろ食堂に行って朝食を食べました。
ここのホテルの朝食は給食みたいだね。
食後、S君と「火車東站」に行き、S君が「青島」に帰るための切符を買いに行きました。
普通の列車だと「徐州」からでも10時間くらい掛かるんじゃないかねぇ…それじゃ可哀想なんで「動車」までならOKを出してあげました。
でも、「動車」は「火車東站」で乗るんじゃないんで切符も買えず…ホテルに戻って友人に電話して調べてもらったら「動車」の切符も売り切れで、「高鉄」ならあるみたいでした。
「高鉄」でも2等車なら「動車」と金額が変わらないんで、その分のお金を渡し、8:05チェックアウトしました。
S君は「高鉄站」に、俺は「汽車站」に行くんでホテル前で別れました。
今回の企業考察はS君が一緒に行ってくれて本当に助かりました。
でも、俺が取引をしようと思ってる企業は日本語上手な担当者がいるから、今後は俺1人でも十分だわ。
でも、ありがとう…史跡ハントではあまり役に立たなかったけど。
俺は「徐州汽車客運站」を8:15発の「沛県」行きに乗りました。
9:35「沛県汽車站」に着きました。
この「沛県」も2007年8月16日に1度来てるんでね…うろ覚えの記憶を頼りに「汽車站」を出て左方向に歩いて行きました。
10分も歩かないで、この景色が見えたんでね、間違ってなかったです。
まず、9:50「漢城公園」に入りました。(入場料10元)
この「沛県」は「秦」を「項羽」とともに斃し、その後「項羽」との覇権争いに勝利して「漢」を建国した「劉邦」の出身地なのです。
これが「漢城」っていうのかなぁ?
この中には…
この人、もしかして高祖「劉邦」?
右側には武将たち、
左側には文臣たちがいます。
奥にさらに建物があり…
この「長楽宮」には…
「劉邦」の妻「呂雉」の塑像がありました。
「劉邦」の死後は「呂后」として、ここで政務を行っていました。
「中国三大悪女」として唐代の「武則天(則天武后)」、清代の「西太后」と共に名前が挙げられているので、“初代悪女”だね。
これも「呂雉」でしょうか?
ちなみに妹の「呂須」は劉邦の配下の武将「樊噲」に嫁いでいます。
さっきのと反対側の「未央宮」には…
またも女性たちが…
これは「側室」の女性たちっぽいですね。
劉邦の息子「恵帝」や漢代各帝はここで政務を行っていたらしいです。
「劉邦」像があります…って、何かタイトルが付いてると思うんだけどな。
そして、これが正面の「沛宮殿」です。
中の壁画です。
けっこう広いんだけど、そんなに見所は多くないです。
こんな所でモデルの撮影をしてました。
上から「沛宮殿」と「劉邦」像を見たところ。
10:10入口で預かっててもらった荷物を受け取って…
対面の「漢高祖原廟」に入りました。(入場料5元)
これは「楽沛殿」です。
中の「劉邦」像と一族の肖像画でしょうか?
「漢高祖原廟」はすぐ出て…
これは「漢街」入口です。
確かこの「漢街」を抜けた先に「呂布射戟台」があったんだっけか…
10:20「歌風台」に着きました。
入場は無料だったけど、身分証の提示が必要で、俺はパスポートを見せて入りました。
下は博物館でした。
上に上がると「劉邦」像があります。
奥の建物の中の、
左右に2つずつ…
石碑があったんだけど、これが「大風歌碑」?
紀元前202年「劉邦」は群臣の薦めを受けて、ついに皇帝に即位しましたが、「劉邦」は次第に部下や諸侯に猜疑の目を向けるようになりました。
特に「韓信」「彭越」「英布」の3人は領地も広く、百戦錬磨の武将であり、最も危険な存在でした。
「韓信」「彭越」を粛清し、残る「英布」の反乱を鎮めるため遠征したあと、故郷の沛県に立ち寄りました。
史記はそのときの情況を、次のように伝えています。
―故郷の沛に立ち寄り、しばらく滞在したとき、旧知や長老、子弟を招いて盛大な酒宴を開いた。(中略)宴たけなわとなり、高祖は筑(ちく)を打ち鳴らし、自ら詩を作って詠んだ。
大風起こりて雲飛揚す。
威海内に加わりて故郷に帰る。
いずくにか猛士を得て四方を守らしめん。
子供たちの大合唱が始まると、高祖は立ち上がって舞ったが、万感胸に迫り涙がはらはらと流れた―
「劉邦」が詠んだこの歌は大風歌として知られ、この故事を記念したのが「歌風台」です。
上からは「漢城公園」や「漢高祖原廟」がよく見えます。
10:30ごろ「歌風台」を出て、歩いて10:45「沛県汽車站」に戻りました。
次は「山東省済寧市」に出ます。
結局「済寧市」の企業考察は止めたけど、後で行く「河南省」への中継地点として史跡ハントと旧友に会う予定を入れているんです。
…が、「山東省済寧市」に行くバスは13:00発、ならば「曲阜」行きも尋ねてみると、さらに遅い14:00発だって…
2時間以上待ってられない…乗車券売場の販売員に近くの街に出れないか聞いたら、ご丁寧に「沛県→龍固→魚台→済寧」と教えてくれました。
なので、まず「龍固」行きの乗車券を買い、10:55バスは発車しました。
しかし…「龍固」ってどこなんだろう?俺の地図には載ってないし…
11:40「龍固」に着きました。
次は「魚台」行きに乗るんだけど…どれ?
さっき乗ってたバスの運チャンに「あれだ」と教えてもらったバスには「魚台」なんて書いてないから、中にいた車掌の女の子に「魚台に行きたいんだけど…」と確認したら、やっぱ発音が悪いのか、「どこから来たの?」と聞かれました。
「日本」って答えても、まさか日本人がここにいるなんて思わないから通じてないし。
やっと日本から来たってのが分かってもらえ、後から乗って来たリーマン風の男性と3人で会話してました。
だって、その子が「この人、日本人なんだって~」って言うんだもん。
その子、ピアスなんてして、ちょいワルっぽい感じのカワイイ子で、初めて見る日本人なんだか俺に興味津々みたいだったよ。
12:05バスは発車し、12:35「魚台汽車站」に着きました。
それから12:45発のバスに乗り、13:45「済寧汽車総站」に着きました。
俺、携帯持ってないし、途中から友達に電話することも出来ず、「汽車站」前の売店の公衆電話から青州時代の同僚の男性教師Kさんに電話しました。
彼が青州の日本語学校に来たのは、けっこう後だったんでウマと俺のような関係は無く、連絡を取り合うようになったのも、ここ最近なんだけどね。
今日は日曜でKさんも休みだったから、すぐ家を出て来てくれるって。
Kさんを待ってる間「汽車站」のトイレに入ったら、入口以外の3方向の溝が使用出来ないのか?このような容器がズラ~っと置かれ、その中に小便するんです。
俺らの小便採取するつもりなんだろうか…?
14:30…Kさんが来てくれて、まだ時間があるんで「泰安市東平県」に一緒に行ってもらうことにしました。
「汽車站」に荷物を預け、14:45発のバスに乗ったんだけど…
16:20の時点でまだ「汶上県」なんだもん…しかも、ここまでで降りた人と金額だか人数だかが合わないみたいで、なかなか発車しないしさ。
「東平県」は隣の県だけど、さらに30分以上掛かるだろうし、史跡も町の中心部にあるワケじゃないからね…着いても日が暮れちゃってる可能性もあるんで、ここで降りちゃいました。
ちょっと腹の調子も悪くなってたんで、トイレに行ってから「済寧」行きの乗車券を買って引き返すことにしました。
行きたかった史跡は「項羽」の墓だったんだけど…なぜ「東平市」にあるのかも謎だし、墓石すらない丘みたいなんでね…断念しました。
これだったら「曲阜市」の「周公廟」に行きゃぁ良かったよ。
17:00「済寧」行きのバスは発車したけど、17:50に着いたのは「済寧汽車北站」でした。
行きに荷物を預けた「南站」に戻るために、路バスに乗りました。
18:10「南站」に戻り、荷物を受け取ったんだけど、18:15までだったんだって…ギリギリじゃん、こりゃ引き返して正解だったわ。
この「南站」で明日8:00発の「河南省安陽市」行きの乗車券を買っておきました。
それから、この近くのホテルにチェックインし、Kさんと夕飯を食べに行きました。
Kさんは、青州の日本語学校退職後、ここ「済寧市」にある寝具メーカーの日本担当として働いてるんだって。
まだ26歳って言ってたかな?でも俺よりオッさんに見えるんでKさんと呼んでます。
いろいろ付近を彷徨ったけどいい店が無く…
屋台はトイレが不便なんでね…
これは「運河」なんだって。
これは「済寧東大寺」です。
19:30デパートに入り、レストラン街の中にある韓国料理店に入りました。
紙を敷いて肉を焼くの?
「海鮮焼きうどん」に
「トッポッキ」…他にも「イカ炒め」や「チヂミ」なども食べ、お腹いっぱいになりました。
そして21:00ごろ、ホテルまでKさんに送ってもらい別れました。
Kさんの会社も日本の某有名メーカーのOEMも作ってるくらいなんでね…安く輸入出来るなら、それも商売にしようかなぁ。
こういう人脈は利用しないとね…それはお互いにプラスになるんだし。
昨日「徐州」で宿泊してたホテルのエアコンが俺のベッドの真正面だったせいで風邪ひいたわ…
そうかと思えば、今日宿泊したホテルは、ベッドのスプリング感がそのまま背中に伝わって来るし、トイレは水が流れない(壊れてる)上に紙が無いという最悪なホテルだったなぁ。
さぁて、明日から「河南省」に入りますよ~
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