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今日は「成都」を離れ、まず「徳陽」へ行き、それから「綿陽」、「梓潼」へ行き、翌日「閬中」へ行くために「綿陽」に戻って宿をとる予定です。
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今日は行き先も多いし、移動時間がどのくらいか分からないので、6:15チェックアウトしました。
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実際は「徳陽」から「羅江」へ行かなければならないので、どっち行きの「バス」も出ている可能性が高い「城北汽車站」まで「タクシー」で向かいます。
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6:30「城北汽車站」に着きました。
「羅江」行きの切符は買えたけど、「羅江」行きの乗り場が無い…
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「従業員」に聞くと、「17番に来る」と言うので待ちますが、いつ来るのかも分からないし、しかも「羅江」は途中下車しなければならないようです…。
7:30近くなっても、一向に「バス」が来ないので、「徳陽」行きに買い換えました。
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「徳陽」行きなら本数も多いし、またそこから「羅江」に行けばいいので。
7:45「徳陽」行きの「バス」は出発しました。
1時間もロスしちゃったよ…
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9:30「徳陽」に到着しました。
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9:00には着くと見込んでたんだけどな…。
大分時間をロスしたので、「タクシー」で「羅江」の『龐統祠墓』へ行くことにしました。
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30分くらい掛かり、10:00『龐統祠墓』入口に到着です。
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今日から荷物を全部持っての移動なのに「小雨」が降っています。
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「タクシー」には入口で待っててもらい、『龐統祠墓』に入りました。
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ちょっと『龐統士元(179-214) 』について紹介しましょう。
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現在の「湖北省襄樊市」の出身。
『諸葛亮』の『臥龍』に対し、『鳳雛』の異名を取る俊才で、若い頃は風采があがりませんでしたが、「司馬徽(水鏡先生)」に評価されたことによって名声を高めます。
人物評価を好み、「呉」の名士達とも親交があったため『周瑜』の幕下となりますが、『周瑜』が病死したためにその遺骸を送り届ける役目を担いました。
その後「荊州」を領有した『劉備』の元に転じ、「耒陽の県令」という職を任ぜられるものの、そこの仕事が滞ったために罷免されます。
これを聞いた「魯粛(呉の軍師)」は『劉備』に手紙で、「龐統は大役を与えてこその人物」と薦め、『諸葛亮』も取り成したので再び『劉備』の元に戻り、『諸葛亮』と同じ役職である「軍師中郎将」に任命されます。
『臥龍』、『鳳雛』のどちらかでも味方に付ければ天下が取れると言われていましたが、『劉備』はその両者とも配下にしました。
それが『劉備』の人徳ですよね。
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『劉備』陣営の次の方策として西の「蜀」を獲ることが考えられていましたが、『劉備』は「蜀」の主が同族の「劉璋」であることを理由にこれを渋っていましたが、『龐統』は『諸葛亮』と共にこれを諫めて「蜀」を獲ることを『劉備』に決心させます。
「入蜀」に際しては『龐統』が『劉備』に同行し、『諸葛亮』は(荊州にて)留守とされました。
「蜀」に入った当初、「劉璋」が『劉備』たちの本心を知らずに「歓迎の宴」を開き、無防備になっていたので『龐統』は「この機会に劉璋を捕らえて戦う事無く蜀を取ってしまいましょう」と『劉備』に進言しましたが、『劉備』はこれを聞き入れませんでした。
その後、『劉備』軍は「漢中」の「張魯」と対峙する振りをして「成都にいる劉璋をどうやって攻めるか」を考えていましたが、東で『曹操』と『孫権』が戦い、『劉備』に対して援軍を求めてきたことを隠れ蓑にして軍団を移動させることを考えました。
この時に『龐統』は『劉備』に対して、「昼夜兼行で成都を強襲する上計」、「関所を守る劉璋の将を欺いて兵を奪い成都を目指す中計」、「いったん、白帝まで退く下計」の三計を提示し、その結果『劉備』は「中計」を採用しました。
『劉備』軍は「成都」攻略の前に「雒」を包囲しましたが、この最中『龐統』は「流れ矢」に当たって死去しました。
享年36歳。『劉備』は『龐統』の死を大いに悲しみ、「関内侯」を追封し、『靖侯』と諡号を贈りました。
この「雒」の包囲は越年して(213年から214年に)行われており、『龐統』の没年は判然としていません。
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ここが『龐統墓』です。
墓石には『漢靖侯龐士元之墓』と彫られています。
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『龐統墓』前には廟があり、石碑がありますが、管理人らしき「ジジイ」が邪魔です…
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『龐統祠墓』内には、どういう訳か『張飛殿』というのがあります。
でも中の『張飛』の塑像はガラスケースに入ってるし、しかもそのガラスが汚くて、うまく写真が撮れませんでした…
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もうちょっとキレイに掃除してあげてよ…。
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ここが『漢靖侯龐統祠』の門です。
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まず最初の建物を覗いてみると…
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『鳳雛(龐統)』と『臥龍(諸葛亮)』の塑像があります。
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奥の建物にも『龐統』の塑像がありました。
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その脇の建物(展示室?)にも『龐統』の塑像がありました。
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10:30またこんな道を通って入口(出口)まで戻ります。
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調査では、この近辺に『落鳳坡』の石碑があるらしいので従業員に聞くと、「あの向こうだ、15分くらい歩くぞ」と門を指差して教えてくれました。
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停めていた「タクシー」に「ちょっと下まで行って来るから待ってて
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歩けど全然見付からず、もう「引き返そう」と思ってたら、やっと発見出来ました
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『漢靖侯龐鳳雛先生尽忠処』と『落鳳坡』の石碑です。
『三国演義』においては『龐統』の兄弟が『諸葛亮』の妹を娶り、義兄弟となります。
「赤壁の戦い」において『周瑜』に対して『曹操』を破るための忠告を行ないます。
それは『周瑜』は『曹操』軍の軍船を火責めにしようと考えていましたが、「火をつければ他の船は逃げてしまい、火は燃え広がらない」と言うことでした。
そこで『龐統』は「連環の計」と呼ばれる策を『周瑜』に勧めました。
この策は『龐統』自身が『周瑜』の陣営に来た「蒋幹」をうまく欺いて、『曹操』の軍営に潜り込み、『曹操』と面会して「北方人の弱点」である「船酔い対策」として船同士を鎖で繋げることを進言しました。
このことにより「火」がつけば『曹操』軍は逃げられないようになり、『劉備・孫権』の連合軍による火責めで『曹操』軍は大破されたということになっています。
また『曹操』の臣下となった親友の「徐庶」が「赤壁の火計」に巻き込まれないように、絶妙な方法を授けています。
その後『周瑜』の葬儀に参列した『諸葛亮』と対面し、『劉備』への仕官を誘われます。
一度「魯粛」によって『孫権』の下へ引見されますが、「醜い風貌」と「歯に衣着せぬ言動」から疎まれてしまいます。
結局『劉備』の元へ訪れますが、『劉備』が『龐統』の風貌を見て『諸葛亮』が推挙する『龐統』なのかが分からず、閑職の「地方県令」をあてがいました。
『劉備』には人を見る目がないと思ったのか、「県令」の仕事を一切行わずに1ヶ月の間酒ばかり飲んで職務を怠けていました。
村人からの訴えにより派遣された『張飛』が詰問しに来たところ、それまで溜まっていた1ヶ月分の仕事を半日で全て片付けたため、その才能を『劉備』に認められ、さらに『劉備』は自身の行為を戒めることになりました。
また死去の場面では、『劉備』の代わりに危険な間道を進み、『劉備』の愛馬「的盧」に乗っていたので『劉備』と間違えられて伏兵に会い、『落鳳坡』という所で射殺される設定となっています。
ちなみに『落鳳坡』という地名は『龐統』の死後名付けられたと思われます。
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その『落鳳坡』がここってわけね?(本当かなぁ?
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『龐統』は『劉備』の「入蜀」の際、『諸葛亮』が「荊州」にて留守をすることになったので『劉備』に「もっと自分を認めさせたい」と思っていたんですね。
それは同じ「軍師」として『諸葛亮』に対する嫉妬心からです。
それが死を早めてしまったのかも知れませんね…。
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周囲はこんな感じです。
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10:55『龐統祠墓』入口まで戻りました。
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小雨降る中、「サンダル」で早歩きしてたので足が泥だらけですよ…
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それから「綿陽」まで行くために「羅江汽車站」まで「タクシー」で行きました。
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11:10「羅江汽車站」に到着しました。
「綿陽」行きの「バス」は11:15に出発しました。
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では、続きは“綿陽『富楽山』編”でレポートします。
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