史跡ハンター 臥龍

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幕末史跡めぐり・其之十八~長崎編Part.1

2009年02月14日 | 幕末~明治史跡めぐり
2月14日(土)1/4
さて「情人節(バレンタイン・デー)」の今日(…って関係無いけど)、天気は快晴でした。
今日と明日11:00まで「長崎」に時間を作っていますが、まず今日は1日「長崎」周辺の史跡をハントし、明日の午前中は「浦上」周辺に行こうと考えています。
今日は6:30起床して、7:45ホテルを出ました。
今晩も同じホテルに泊まるんで軽装でいいのが助かります。

さて…7:50アッと言う間に着いたのが『崇福寺』です。
「明」の僧「超然」が「黄檗宗」の独特な建築様式で創建した寺です。
8時開門なので券売場近くで待っていたら、従業員のオッちゃんが「入っちゃっていいよ」と。
「じゃあ入場券を…」と思ったら、「そのまま(買わないで)入っちゃっていい」って意味でした。
300円得しちゃった。

これは「第一峰門」です。

これは「護法堂」です。

中の右側には『関羽(関帝)』が祀られています。

これは「大雄宝殿」です。

「釈迦」が祀られていました。

これは「崇福寺大釜」です。

これは「崇福寺鐘鼓楼」です。
8:10ごろ『崇福寺』を出ました。

8:15ごろ着いたのも「唐寺」である『興福寺』です。
もう門は開いてるけど、券売場に誰もいないんで入っちゃいました。
また300円得しちゃいました。

これは「中島聖堂遺構大学門」です。

こちらの「大雄宝殿」には…やっぱ中華系の神だよね?

これは「鱖魚」といい、僧達の飯時を告げるために叩いた「板の魚」なんだって。
左右2対(雄雌)あるのは気付かなかったなぁ。(これはどっちだ?)

これは「旧唐人屋敷門」です。
昭和35年、永久保存するために長崎市が買収し、ここに移しました。

これは「媽姐堂」です。

門が開いてなかったんで、扉の隙間から撮りました。
ここにも『関羽』が祀られています。
8:25『興福寺』に自転車を置いたまま出ました。

そして歩いて『龍馬通り』を上がって行きました。

『龍馬通り』では『亀山社中』のメンバーらが道案内をしてくれています。

『龍馬』にちなんだ「川柳」を読んだ札も多く掛けられていました。

『亀山社中』に行く前に『坂本龍馬像』がある『風頭公園』に行きます。
まだ8:40ごろなんでね…『亀山社中』近くには「土日」しかやってない『亀山社中資料展示場』があるけど、まだ早いからさ。

8:45『風頭公園』に着きました。

園内にある『坂本龍馬像』です。

『坂本龍馬像』の先に広がる「長崎」の街です。

これは「司馬遼太郎文学碑」です。
“船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった。”「竜馬がゆく」より

8:55『亀山社中の跡』に着きました。
今、中は公開されていません。

それから『龍馬のぶーつ像』に着きました。

初め靴を脱いで履こうとしたら、昨日の雨水が入ってて…

あれこの「ぶーつ」は靴のまま履けるんじゃん…

そして、俺も長崎の街に目をやり、「長崎はわしの希望じゃ~」(何のこっちゃ)
そして、9:00『亀山社中資料展示場』に行ったら、10時開門でした…
普通9時からやろ…
仕方なく山を下り、また10時に戻って来ることにしました。

では、“Part.2”に続きます。



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