気まぐれ日記

ぼそぼそ愚痴や、時々爆発する心模様など‥‥。

赤ちゃんと台風

2018-09-28 13:47:17 | 日記
産休中の看護師さんが、こんな子を産んだよーと、赤ちゃん抱いて報告に来ていた。
2ヶ月になるそうだ。
ママの腕の中で安心して眠っている赤ちゃんはめっちゃ可愛い!
誰でもこんな時があったんだよね。(笑)
上の二人は女の子だと言っていたが、おっと、どちらだか聞き忘れたけど、この子も女の子っぽかったなぁ。
この子が保育所へ行くようになったら、また出て来てくれるのかしらね。
そしてしばらくしたら、またできちゃったりしてね。(笑)

台風24号が発生したのは2週間ぐらい前のことだったように思うが、当初は日本への影響はなさそう、な進路だったのに、今度の日曜日から月曜日この辺を通過しそうな状況になって来た。
日曜日には外出を予定している人達がいるし、私も夜テレビで世界バレーの観戦を楽しみにしているんだけど、停電などあったら見られないなぁ。
一応録画予約はしてあるけど、考えてみたら停電になるとテレビの電源も入らないからダメなのよね。

富士山の初冠雪

2018-09-27 09:25:42 | 日記
昨夜からちょっと冷えて来たなと思ったら、富士山に初冠雪が見られたようだ。
かつて山登りの好きな友人から、富士山へ登ろうと誘われてた人がここにいらっしゃるが・・・。
その富士山はこれからきれいに雪化粧するのね。
季節の変わり目、体調崩す人もちらほらで、先週病院で一泊して来た人がいたり、マスクをかけて出て来る介助スタッフも・・・。
 私は昨シーズン何年振りかでダウンを期したところだから、この冬は大丈夫の筈だが、寒くなると鼻拭きに忙しくなる。
食後の鼻拭きはほとんどの介助スタッフが気にかけてくれるようになったが・・・(笑)

和の舞台

2018-09-25 21:46:51 | 日記
午後から下の階の食堂へ二つのグループの慰問があった。
三味線や尺八などの和の楽器を奏で民謡の歌声を聞かせてくれる人達と、和傘や扇子などを持って舞踊をご披露して下さる人達。
二つのグループが共演するのかと思ったが、別々の舞台だった。
踊りの最後は「一緒に踊ってくれる人がいたら上がって来て下さい。どうぞどうぞ」と舞台からお招きにあずかり、特養の女性があがって行き、手を引かれたり、背中を支えられたりしながら踊っていた。
そのムードに押され、介護スタッフの一女性も今日は舞台で踊るスターになった。

小さい秋みつけた

2018-09-17 21:15:07 | 日記
 昨日の電動乗車日、エレベーターの近くでNスタッフとばったり。
彼は最初2Fの介助スタッフとして入ったんだが、しばらくして病院などへの送迎運転手に異動。
昼と夕の食事の時間館内にいる時は私達の食事介助にだけ入ってくれている。
日曜日など送迎の仕事がない時は、外で草刈りや花壇作りなんかもやってくれているようだ。
廊下で会った時、今から何をするのかと聞いたら、玄関先の木の剪定をするんだというので、くっついて行った。
仕事のお邪魔をしないようにしばらく少し離れた所から見ていたが、こっちへおいでと手招きするので、近くへ行くと、剪定作業の手を止め、私の首や手足のマッサージをしてくれた。
仕事しないと叱られるんじゃないかと言ったら、「ぼちぼちしたらええんやよ」なんて穏やかな人だ。
三連休の真ん中の日曜日とあって、玄関先には面会に出入りしている人達も多く、活気づいていた。
 またちょっと暑さが戻った感じだったが、時々吹く風に小さい秋を感じる午後だった。

おやつタイムに2Fのディールームに戻り、それからはずっとエレクトーンをいじっていた。
あんちゃんが私のお願いした曲目をカタカナで書いてくれたので、先週からそれを音にしてみることにチャレンジしている。
一回目の時は全然イメージ通りの音が出せず、こりゃあダメだと投げやりムードになったけど、昨日は一応初めの短い三つの言葉の箇所を音に表せたから、また単純にやる気が復活!
次はこの歌で一番大事な六文字言葉の所だ。

秋のナイトファッション

2018-09-12 09:46:49 | 日記
 台風21号の被害や、それに続く北海道地震と、胸が痛くなるような災害が続いている。
北海道には一度旅行したことはあるものの、親類や友人がいる訳でもないので、傍観者でいられるが、近畿東海を揺るがす巨大地震も起こると言われている。
台風ならある程度日時や進路、勢力など、近づく何日も前からわかるようになったから、覚悟や備えもできるが、地震はまだそこまで予知できず、ある時突然グラッと来て建物を倒し、地割れを起こしてしまうんだからたまらない。
周りのスタッフの一人は「避けられないものなら、せめて昼間に起こってほしい」と言っていたなぁ。
夜勤と宿直しかいない夜間ではどうにもならないということだ。

 この暑さはいつまで続くんだろうと怒っている人がいたけど、9月も三分の一を過ぎた今、朝晩はすっかり涼しくなった。
昨日は久し振りに冷房を止め、窓をあけて自然の風を入れた。
夜に窓をあけていると寒いくらいになり、閉めてもらったほどだ。 
秋雨前線のお陰で曇りや雨の日が多く、今日は大雨警報まで出ているが・・・。
 
 夏の夜に着る七分袖の薄手のパジャマを求めて買いに行っても、大人サイズではばっちりそんなものもあるのに、ジュニアサイズとなると半袖か長袖しかなく、長袖となると厚手のふんわり生地のものになってしまう。
でもせっかく買いに来たんだから、まぁいいかと妥協して、春秋用のパジャマばかり買って来てしまっているので、これからの秋の夜長を色々なナイトファッションで楽しもう。

熊野大花火大会とそれに続く3泊4日

2018-09-02 19:40:12 | 日記
妹一家とそれにつながる姪のニューファミリー達との花火見物の夜から2週間が過ぎた。
妹の家は熊野市の中心部が一望できる素晴らしい眺めの所にあるので、海岸から打ち上がる花火見物には絶好の場所。
よく父や母と一緒にお招きいただいたものだが、今年は私一人が招かれた。
妹も手足の関節炎の痛みがあるし、私の介助も大変になっていることはわかっていたが、姪の話では、私を花火に招いて、その後何日か一緒に過ごすのが妹の夢だったという。
そんな妹の夢に義弟や姪達が協力して、私のトイレやお風呂など手伝ってくれた。
月が改まり、パソコンの通信速度も回復して、日記の更新もできるようになったので、ここで花火の日に出掛けた時のことから振り返ってみよう。

熊野の大花火大会の見物なんて、ここの仲間達だけじゃなく、スタッフ達だってごく一部の人達しかできないことだろうに、それを私が見させてもらえるなんて、今の現状ではもったいないような話だ。
だから仲間達には後ろめたい気分で何も話せない。
 毎年花火の日には午後になると交通規制が敷かれ、地元の一般の車は通れなくなるので、午前中から行動開始。
10時半、義弟と妹が迎えに来てくれ、着替えとパソコンを持って出掛ける。(一緒に入れた筈のタブレットが入っておらず、翌日また義弟に取りに来てもらうことになる)
国道も中の道も午前中からさすがに車は多いが、止められることもなく進んで、ジェットコースターのような急斜面を上って、夜の花火見物の会場の庭がある妹宅に着いたのは11時。
思いがけなく一番先に私を歓迎してくれたのは、この家の新しい家族であるトイプードル犬のモコちゃん。
ゲージの扉をあけると、勢いよく飛び出して来て、私にすがりつき、なめまわしてくれた。

この家に来るに当たり、私が一番気になっていたのはトイレ。
便座が一般的な高さなので、落ち着ける位置に座れないことがわかっていたから、足台を用意してくれるように頼んであったら、姪が牛乳パックを組み合わせ、その上にゴムシートを貼ってうまい具合に作ってくれてあった。
でもやっぱり妹一人の介助ではダメで、姪や義弟などと二人掛かりになってしまったから、何とも申し訳ない。
 午後には姪のAちゃん一家もやって来て、おもちゃを浮かばせたビニールプールに日傘をさして、生後10ヶ月になるT君に水遊びをさせていた。
私の足も入れさせていただきたかったところだが・・・(笑)
 家から見渡せる海辺には、夕方になると花火見物のお客さんを乗せた豪華客船が到着。
こんな船に乗って花火見物に来るのは、上流階級の人達なんだろうなぁ。
 暗くなると庭に椅子やテーブルが出され、お肉や野菜も運ばれて、バーベキューを楽しみながら、ポンポン打ち上がる花火を見る。





 歴史と伝統と人の輪に育まれた熊野の花火、それを間近に見られる所に生まれ育った私だから、花火にまつわる思い出もいっぱいある。
 子供の頃は父方の大叔母が新出町という浜辺の近くに住んでいて、花火の夜にはよく呼んでくれた。二階の窓から出られる屋根の上が私達の花火見物の場所だった。その頃は今より長い時間やっていたような気がする。
尾鷲方面に住む母方の叔父夫婦を花火に招いたら、お二人が代わる代わる私をおんぶして、獅子岩海岸辺りまで一緒に連れて行ってくれたこともあった。
 心ふれあった友達とアナウンスが聞ける所まで行った時は、屋台の出店で色々買って食べたり飲んだりにも忙しかったなぁ。(笑)
 もちろん家族で何度も近くの浜へ下りて行ったり、堤防から見たりもしている。そんな時はよく見ず知らずの人が私達の行動を助けてくれた。
 そして妹がこの花火見物に絶好の家に嫁いで来てからはよく父母と一緒に呼んでもらって、こんなふうに屋外での食事を楽しみながら、花火見物をさせてもらった。
 ゆうなんへ入所する何年か前の花火の日には、ご近所に、人混みは苦手で花火もテレビで見るんだという人がいて、それじゃあ私の部屋で一緒に見ましょうということになり、彼女が飲み物やご馳走を運んで来てくれ、母上共々おいしくいただきながら、ZTVでの花火鑑賞。アルコールも入ったから、花火よりもおしゃべりに花が咲いたかも知れないが・・・。(笑)
 今ざっと思い出しても、こんなにバラエティーに富む我が花火の歴史がある。

 妹宅での花火の夜が明けても、4日間の外泊届けを出してあるから、後3日居られる。
補聴器の洗浄に行ってもらったり、妹にあずけてあるものの整理をしたり・・・。
赤ん坊がいるからアテにできないと思っていた姪のAちゃんは、毎日T君をおんぶして通って来てくれ、おやつの差し入れや、旦那様共々オセロで遊んでくれたり、オクラのスタンプを作って、それで絵を描かせてくれるなど楽しませてくれた。
そしてT君がお昼寝している間にシャワー浴までさせてくれた。
 妹も痛い足パンパンに腫らし引きずりながら、私の好きな卵料理を色々作って精一杯もてなしてくれた。
親子丼、タマゴサンド(2種)、フレンチトースト。
最後のランチはこのオムライス。
私が「ケチャップで何か描いて」とねだったら、お絵描きの好きなAちゃんが私の顔を描いてくれた。


 Aちゃん達のお陰で妹もダウンすることなく、帰りは一人で私を送って来てくれた。
 みんな、楽しい4日間をありがとうね。